3-04.

       ◆


「――他人の人生壊しておいて呑気にカフェで飯かよ」


 不意に背後から聞こえてきた囁きの悪意に、驚いた途端肩へ衝撃があって、ムーウの持っていたカップから珈琲がサンドウィッチの皿にばしゃっとこぼれた。


 椅子を蹴って立ちあがりかけたゴウを「大丈夫ですから」制止しムーウは座ったまま〈修復〉魔法をテーブルに書く。


 ユーザー辞書起動。〈修復〉は五分以内に壊れた物体について有効だ。壊れ方の構造が単純であれば壊れた痕跡を残さずに直せる。コードや詠唱によって数億種類あるが効力はさほど変わらない。


 ムーウの〈修復〉魔法でサンドウィッチが直った。珈琲は戻らなかった。大量生産の安い魔法珈琲だったのでまあ構わないかとおもった。


「あいつら……」


「シルバーさん構いませんから」


 去っていく知らない後ろ姿が正午過ぎのカフェの人混みに紛れて消えるのをそのまま見送る。


 次の三限目は魔法テキスト論だ。講義棟二号館に行きやすいようその近くのカフェを選びみんなで昼食をとっていたところだった。初めて入ったお店だ。味は悪くなかった。でももともとほとんどなかった食欲が今の騒動ですっかりなくなってしまった。


 ヒトロイドグループの不祥事は当初ムーウが想像していたよりおおごとになっていたのだった。魔法を使いすぎたり魔力を提供しすぎたりして過労と診断された従業員十一人のうち一人が意識不明の重体になってしまったからだ。


 会社としては従業員が体調に関して自己管理できていなかったことが問題だとし、法に則って体調不良を自己申告すべきところを従業員自ら重労働していた、と主張した。従業員の家族は、彼が発達障害を持つため適切な指示を出さなかった会社側に責任がある、と訴えている。


 裁判の予想などを国営チャンネルがしつこく取りあげ、毎日ニュース画面に父親の顔が映しだされていた。そのたびに学園内でムーウは様々な視線にさらされることになった。


 ゴウが椅子を戻して座り直す。ポーシャが「ちょっといいかな」小麦色の肌によく似合うパステルピンクのシルクのショールを外すとムーウの肩にかけた。


「装置省略の服装って結構目立つものだからね」


 とその隣でヘレーネは見事な〈ネイル〉がほどこされた手でムーウの髪に触れ、魔法をかけ始めた。


「〈染色〉! ……何色がいい? ブルネットとかにしてみちゃう? 地毛が綺麗だからもったいねーけど。〈セミロング〉! うん、ちょっと長くしたら雰囲気変わったわ」


 得意げにウインク。奥の椅子に座っていたゴウがいきなりムーウの荷物を運び、


「こっち入っちゃいなよ」


 席を譲ってくれ、


「だいたいっすね、どんな理由があろうと突然殴りかかってくるなんてっすね、暴力ですよ、女の子に背後から暴力を振るうなんて……」


 ルークが生真面目に力説する。


「ほら、社長令嬢ちゃん」


 ラルフの持ってきてくれた新しい珈琲を受け取ってムーウがお礼を言うと、


「ってか社長令嬢ちゃん、誰!?」


「へへん。女の子は髪だけでも化けるんだよ。ウチの大変身術を見たか!」


「見事な腕前お見それいたしました」


 などとかしましく、


「ムーウちゃんってこういうとき『当然』って顔しないでいちいちお礼言うのいい意味でお嬢さまらしくないよな」


 ゴウがしみじみ呟いた。


「いいえ。そんなことありません。お礼を言うのは当然です。みなさんの優しさが嬉しいのです。……わたしがノクテリイ家として有名になったのは自業自得なので、みなさんの手を煩わせてしまうことが申し訳ないです」


「自業自得ってどゆこと?」


 ヘレーネは遠慮のない性格でずばっと質問してくる。


「そうですね……国営チャンネル等でもうご存知かもしれませんが父はわたしのことを話しません。腹いせのつもりで十歳の誕生日のすぐあとに自分から国営チャンネルに乗りこんでいったんです」


「えええ、意外だね、落ち着いた子に見えるのに」


 ポーシャは可愛らしいリリーのブローチでショールをとめてくれた。


「あのときは子どもでしたから」


「確かに社長令嬢って当時急に国営チャンネルに出てくるようになって『ノクテリイ氏に隠し子か』って騒がれてたな」


「隠し子なワケ?」


 またもヘレーネの質問は遠慮が無い。


「いいえ。検索すればいくらでも記事はでてきますが隠し子ではないですよ」


「だよね~」


「どっちでもどうでもいいことだよ」


 ゴウが言った。


「俺たちの友人だってことは変わらないだろ」


「うおー、くっせー台詞」


「自分はそういう台詞好きっすよ」




 呼ばれて振り向くとゴウがいつもの馴れ馴れしい感じじゃなくてムーウは若干戸惑った。立ちどまって彼の逆立てられた赤い短髪を見あげる。言いにくそうに頭を掻いたり手をポケットに突っこんだりして、みんなが先に講義室に入っていくのを待ってからゴウが言った。


「ムーウちゃんって俺たちのなかで一番年下だろ。で一番頭いいし、一番有名人だし。検索すればいろいろでるから、家が複雑なのも分かるし」


「えっと、はい……?」


「それでさ、」


 口ごもってまた手を所在なさげに頭やポケットにやる。


「シルバーアクセサリーさん……?」


「そう、それだよ。ムーウちゃんってみんなのこと名前で呼ばないだろ。そういうの、距離取ってんだなって俺たまにおもう。別にいいんだけどさ、でも」


 彼が動くと骸骨やら十字架やらドラゴンやらの凝ったピアスが揺れる。ネックレスもブレスレットも彼が趣味で持ち歩く数々の装置がじゃらじゃらと音をたてる。


「君のそういうとこ尊重して、みんなは君を名前で呼ばないようにしてるみたいだし。あだ名で呼ばれるのは嫌いじゃないから俺もいいんだけどさ、――あだ名って、ただ普通に名前を呼ぶより親しみこもっちゃう場合もあるよな。本人が嫌がらないもので、特徴つかんでて、呼びやすくて、とか考えると本名よりあだ名は難しい。みたいな。なにが言いてーのかな。えっと」


 そろそろ講義が始まる時間になる。二人だけ講義室に入ってこないのを誰か不審におもって呼びに来るかもしれない。ゴウが困ったように赤毛を掻いている。三限が始まる直前なのでもうあまり廊下にひとけがなくなっている。


「ムーウちゃんってもしかするとノクテリイ家のことあんま好きじゃねえのかなっておもうんだ。社長令嬢ちゃんってみんな呼んでるけど、もしそういうの嫌だったらちゃんと言えよ。みんな君に遠慮して、君を待ってるんだ。なんて言ったらいいか分かんねえけど、俺たち、君の味方だから。――それだけ! 行こうぜ」


 気まずげにちょっと笑ってゴウが走っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る