2-13.

「クォルフォア・G教官、お忙しいところ申し訳ございません。少々よろしいでしょうか」


 息をのむほど美しい青年は教卓に広げていた紙の教科書やメモ等を手早く片づけつつ顔もあげず内容も聞かずにすげなく返答を寄越してきた。


「悪いが質問はポータルから受けつけさせていただく」


「質問ではありません」


 教官が少し顔をあげてこちらを一瞥した。


「意見や感想、レポートなどもポータルから提出願いたい」


「魔法史についてではありません」


 ムーウは根気強く言う。


「少々よろしいでしょうか」


「講義の内容以外私から話せることは無いが?」


「あの、お忙しいでしょうか。日を改めましょうか」


「忙しくはない。だが、担当先生の病状や学園生活などの質問なら学生課に問いあわせを――」


「クォルフォア教官個人に用事があるんです」


「……聞こう」


 部屋は興奮の冷めない学生たちが先ほどの講義を熱く称賛する声で満ちていて、歴史の授業で教官が実演してみせた複雑極まりない〈治癒〉や〈修復〉、〈手術〉魔法の時代別の変遷に関して教官と話したい学生が教卓のまわりにかなりの人数集まってきていたが、おそらくこの騒ぎが引けばまた数日で教官について話題にする人はいなくなるのだろう、ということがムーウにはなんとなく予測がついた。


 ――新入生ガイダンスのときの衝撃的な名乗りからたった一週間で教官はほとんどきれいさっぱり学生たちに忘れられていた。


 今日もさりげなくフルネームを名乗っていたのに誰も話題にしない。二度目で慣れたからではない。二度も名乗りをするなんてますます狂っているからだ。普通なら一度目より騒ぎになっているはずで、でもゴウたちは彼の名乗りに気がついてすらいなくて、なんだか、彼の言動に意識が向かなくなる免疫じみたものがみんなのほうについたみたいな感じだった。


 教官が執拗にポータルからの質問しか受けたがらないのはそういうことのせいかもしれないとおもう。


 きっと、彼がどれほど学生に驚かれるようなことをしたとしても、一時的にこうやって教卓に人だかりができて、そうして数日後には無かったことになってしまう、呆れるほど愚かな名乗りも、鮮やかな魔法の披露も、きれいさっぱり忘れ去られる、それが気の遠くなるくらい何度も繰り返されているのではないかとムーウは考える。


「今からなんですが、グリクトを受け取りにアナログアンブレラへ行く予定です。もしお時間があれば、依頼主である教官も一緒に受け取りの確認をしていただけませんか。それと――」


 青年を見あげるとやはり身長差が気になった。百四十二センチメートルしかないムーウと、教官はおそらく百八十センチ強で、いくらお気に入りのヒールで少し身長をあげているにしてもそのままでは高さがありすぎた。


 なので前回と同様にムーウは教官のネクタイに左手を伸ばす。


 ストライプの黒いスーツと無地のグレーのオッドベストに、ネクタイの紺の落ち着いた色が似合っているとおもう。


 ムーウはネクタイを強く握り締め、ぐいと引き寄せた。周囲の喧騒がゆっくり遠のいていく。教官は長身を屈めて無表情で黙っている。ムーウもなにも言わない。しばし、沈黙のまがあった。


 振りあげた右腕はぱし、と教官のおおきな手にとめられる。


 まあ、同じことをまたできるとはムーウも考えていなかった。でも怒っていて、前回より怒っていて、怒っているということをエゴではあっても伝えたくて、けれど伝えたい反面、伝えても無駄であること、本質的に伝わりはしないということが今日解ってそのことがさみしい気がした。


 無言で二人は手を放し、ムーウが差しだした学生証から教官が十点差し引いてピンバッジを返してくる。受け取って、二人で講義室を出ていった。もちろん行き先はアナログアンブレラだ。


 講義室の外まで迎えにきていたユアンが静かに後ろをついてくる。三人で小雨の春のなかを歩きだす。


 教官が黒いアナログアンブレラの傘を広げた。ユアンが白いレースのほどこされた傘をムーウに渡してくれて、ユアン自身はといえば、魔法を使える珍しい機種なので自分で〈傘〉魔法を広げて、それで三人ともなにも言わないで、雨の春を、梅や金木犀の咲き誇る小道のゆるい坂を、校門前のにぎやかな往来を、機密保護用の〈フェイク〉にまみれた灰色の道を、ただ歩き続けた。

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