Part.2 紙の本。
2-01.
私にとって本とはなにか、だと? 知るか。
――あーうるさい分かった分かった、そうだな……本とは、決定づけられた不可逆的な時間の束だ。紅茶を入れたティーカップのように、文章をなみなみとたたえた器だ。無音で人を壊したり生かしたりできる影響力だ。
脳にテキストデータを数秒でダウンロードすることを「読書した」と呼ぶ風潮は個人的にはどうかとおもう。最近の若者は本を読むことを知らん。ページをめくれ、ページを。
どこか懐かしい感じのする紙の匂い、指先の一ページの感触、そのときにかかっているジャズや、飲んでいるアールグレイの風味……そういったものを含めてすべてが私にとって本を読むということだ。
ところで、「本とはなにか」だけでは質問が漠然としすぎる。もう少しましな訊き方をしろ。
以上。
◆
珈琲の香りで目覚めると少々肌寒いくらいの気温で、カーテンのスイッチを結局オフにしたままの窓から朝の控えめな陽が差しこんできていた。
昨夜感情と記憶をリセットした使用人は毎回そうであるように主人の好みが分からないとき用のオーソドックスなブレンド珈琲をお盆に載せ、ミルクと砂糖もあわせて静かにサイドテーブルへ置いたところだ。ムーウは礼を言って珈琲カップを両手で包みこむように持ち、なにも入れず飲み始める。
香り高い褐色の液体にはそのへんの魔法抽出士たち顔負けの魔法が幾重にもかかっていた。新しい主人の好みが分からないため無難にまとめられているが、さわやかな明るい酸味が感じられ、コクのある苦味とのバランスがよく、ほぼ非魔法珈琲に近い味がする。
ユアンを専属に選んだときムーウが絶対外せない条件としてあげたのはこれだった。彼は〈フレーバー〉魔法がずば抜けている。料理も全般美味しいが、特に珈琲に関しては、ユアンを超える魔法抽出士に会ったことがなかった。
カーテンをオンにし、身支度するから部屋を出るよう使用人へ指示する。
魔法の〈洗顔〉〈歯磨き〉〈メイク〉等をさくさくとかけていく。
〈アイロン〉されたワイシャツへ腕を通し、ボタンをぷちっ、ぷちっととめていく。
おおきなリボンを髪に巻いて結ぶ。
真新しいベージュのジャンパースカートに脚を入れて、持ちあげ、からだの右側に沿って指をすべらせ、チャックをしめる。
ストッキングを爪先にかぶせてから緩慢に、す、す……たくしあげる。
外を歩けば誰もが振り向くような少女の容姿を無機質に単なる作業のように整えていく。
何事も生きていくために必要な義務でしかない。
ジャケットを羽織り頭のリボンの位置を直す。
ライティングビューローに無造作に置かれた手帳をそっと手に取った。
この記名式ロック機能内蔵完全オフライン手書きノートはA5サイズのハードカバーだ。焦げ茶色の表紙は革張りで、ムーウの名前が打刻されている。専用のスタイラスペンがついており、筆圧感知機能がほんとうのボールペンくらい繊細だから気に入っていた。ものごころついた頃から使っている古い日記帳で、重さが手に馴染んでいる。
なかほどまでページをめくった。学園説明にキャンパスの案内、履修登録方法、マナー研修。時間割と教室を確認して手帳を閉じた。
部屋から出る前に彼女の特徴的なプラチナブロンドのボブヘアーを黒へ染めるコードを書いてみた。色に干渉する魔法は魔力を多めに使って疲れるのだが、ムーウはノクテリイ家じゃないただの学生になってみたかった。
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