11.


       ◆


 くるくるりめまぐるしく見せられるのは目が二つに鼻が一つ口も一つの人間の顔で次も目が二つ次の顔も目が二つ鼻が一つ次の顔も口一つで喋りまくりどれも同様にただの人間の顔であるのを次々右から左へ受け流しつつ少女は笑って笑って笑うもう笑顔の生産が追いつかないけれど生産停止にできない理由として彼女の笑顔がすなわちノクテリイ家の笑顔となるためとかなんとかが挙げられるわけでヒトロイドグループという会社はお客さまへただただ死にものぐるいで微笑み続けた。今やヒトロイドグループの人工知能を持っていない家など無いに等しい。全人類がお客さまだから「社長令嬢」の呼び名がほぼ固有名詞として成立する。社長なんて世界中にごまんといるだろ! その令嬢もまたろくまんやらななまんやらいるだろ! とのツッコミは野暮だった。N・ムーウにパーティーを抜けだす選択肢は存在しなかった。

 あまりにパーティー参加者が多いのと社長令嬢とお近づきになりたい人の数が多いのとでもう誰と話したのか判らなくなっている。要するに誰と話していないのかも判らず「初めまして」すら軽率に言えない地獄だった。実のところムーウは人混みが嫌いだった。出身地は? 話題に困れば本日の天気は……、貴方のグリクトについて聞かせて。あれ、訊いたっけ? 専門分野は? このケーキ美味しいですね。ケーキは食器用スポンジみたいにごわごわしていてなんの味も感じられない。食器用スポンジとはまた古くさい比喩だ。どうでもいいか。……不味いとは言えなくて美味しいと言ってみせるのが社長令嬢のマナーだ。肯定。肯定。全肯定。一人と長くは話していられなくて次の人の……とりあえずは髪を褒める。バッグでも可。ドレスでも可。ネクタイでも(以下同文)。

 出口が無かった。

 ゆえに飛び降りるしかなかった。

 今夜しかないとおもった。

 もう無理だった。

 悲鳴が出そうになって、ムーウは唇を噛んだ。

 鉄の、

 味がする……。

 ホールの出入口はおおきく開け放たれて大量の人間を吐きだしたり吸いこんだり海のごとく寄せては返した。一緒の空間にいても、彼らは異世界人だった。世の中にはパーティーを自由に出入りすることが許される人たちもいるんだと、認識するほど脳は、鈍く、重たさを増す。何故生まれてきたのだろうか。笑うためか。からっぽの笑みでお客さまのこころを満たすためか。誰が誰なのかも判らない人間の海のただなかにたたずんで、見分けがつかない目と鼻と口とを順繰りに見やるためか。今後一生? 一生そうするために昨夜を生きながらえた……。

 出口が無い。出たい。ひたすらに出たい。此処を出ることができるならその際の生死は問わない。もう無理だった。

 ――陶器人形のように生気の無い指がか細くムーウの左手を絡め取った。

「みっ、見つけたあああ!」

 なにが起きたのか分からなかった。

「って、ちょっと!? ちょ、ちょ、えっ待って、人混みいいいい……きゃあ!」

 手を掴んできておいて向こうが勝手に転んだ。当然引っ張られ、なんでだか揃って転倒することになった。あー床かたそうだなあ。大理石の床がスローモーションで迫り、けれど受け身も取らず、からだが打ちつけられる衝撃をただ待った。寸前に使用人がムーウを引き寄せた。

「いっ――たあああ!? なっにっよっここ! この混み具合! ごめんね、大丈夫!?」

「お怪我は?」

 ずっと後ろに控えていた使用人は、耳元で囁きながら主人を抱いて人の少ない壁際へ強引に連れていった。転んで痛そうな顔をしている女の子は放置だ。ムーウに対してだけやたらと過保護な使用人だった。女の子もあとからついてくる。あの珈琲店で会ったアルバイトさんで、その歩行にあわせて過多なアクセサリーがじゃらじゃら揺れた。ただ名乗るためだけに何十分もカウンターチェアーで黙りこくっていた、黒髪の女の子だ。

「S・シャノンさん」

「うぉぉ覚えててくれた!?」

「お嬢さまお怪我はありませんか」

 壁に背を向けて立たされたムーウに、使用人が覆いかぶさるように近づく。お調べいたします。と言うその背後でシャノンが申し訳なさそうにぴょんぴょん飛び跳ねてムーウを覗きこもうとする。使用人の長身が邪魔でシャノンの飛び跳ね方が激しかった。怪我なんて無いし別に有ってもどうでもいいのにな。二人の必死さに笑えてくる。ムーウは手を伸ばした。彼女の全身をくまなく点検し始めた使用人の、両肩をつかみ押しのけた。

「ああ、こんなところに! ノクテリイ嬢お探ししましたよ! あなたのような美しい女性が隅に隠れておいででは困ります。僕とあちらへゆきませんか? 美味しいワインがあるんですよ。以前あなたのお父様とディナーをご一緒させていただいたこともありまして……」

 ひどい猫撫で声が近寄ってきた。脂ぎった黒髪を七三分けにつるりとかためた五十代くらいの男性が、両手をすりあわせながら人混みを掻き分けているのが見えた。念の為挨拶を返そうとおもったが、

「あなたのお父様がそのとき僕の事業を大変褒めてくださってね、ほら、今時珍しい本物志向であると! お父様から僕のこと聞いてませんか? 聞いているはずですよね! 七年前の五月四日にお招きいただいた、ほら僕です! お互いが感動に打ち震えたあの素晴らしい夜をまた思い出してもらおうと、あれから毎年五月四日に贈り物をしているので、ええほら本物志向のワインをいくらか――当然ノクテリイ嬢も僕をよくご存知でしょう! 社長との再びの邂逅をどんなに心待ちにしていることか! おお、お嬢様のなんとお美しいこと、立派なお父様から引き継いだ凛とした眼差しと――」

 ちゃんと呼吸できているのか不安になるほど切れまなく台詞と唾を飛ばしていて挨拶を挟む隙も無かった。ムーウは気が遠くなってきた。

 壁際へ逃げても出口は無いとおもった。出口が無い事柄のおおかたは、出口を出口として使用できない点に問題がある。乳鋲の打たれた分厚いホールのドアへ近づけず、それどころか奥へ奥へ押し流されて、いったい自分は誰なんだろう。

 わたしは。N・ムーウ。ノクテリイ家のお嬢さま。ヒトロイドグループ代表取締役社長の一人娘。叫びだしそうなのをこらえて微笑んでみせた。

 それが存在意義だ。

 期間限定の意義だ。

 わたしが生まれてきたことに意味は有るのか? 一秒後は? 明日は? 来週は? 来年は? 笑っていればこの瞬間の意味だけは守れる。つい数日前まで中学生だったたった十五歳の子どもに「美しい女性」と呼びかけてくるこの大人にとって今、刹那、ムーウは利用価値がある。

「お父さまのご友人なのですね、お世話になっております。ぜひお話お聞かせくださいませ――」

 では、さようなら。

 という意味でもってシャノンに目礼した。きょとんとした顔で首を傾げている彼女を置いて、壁際を離れて、脂ぎった七三に向かって歩きだし、やっぱりこの子の手は不吉に生気が無いので触れるたびにドキンとする。控えめだけど確かな意思でシャノンはムーウの手を掴んできていた。ひやっ……。心配になるくらい冷たい指先だった。びっくりして足をとめる。珈琲店で会ったときもそうだったなあ、変な子だなあとおもう。

「逃げよっ」

「な、なんでですか」

「だってワインなんか飲まないでしょ。あたしカフェモカがいいもん」

 言い放ち、シャノンは長い髪を乱暴にひとつ束ねてからムーウの手を握り直して人混みへまっすぐ突っこんでいった。小柄なからだで会場を器用に走り抜けつつポップキャンディーみたいな甘くて軽快な声で質問を投げてくる。質問は軽すぎてあんまり的にあたらず大理石の床にぽこぽこ落下していくけどシャノンは気にしていないようだった。動きに合わせて彼女の過多なアクセサリーがいっぺんにじゃらっと鳴る。

「なんていうのっ!?」

「は? なにがですか」

「名前だよ!」

「はあ。なんの名称について訊いてます?」

「君の名称だよばか!」

「なるほど。N・ムーウといいます」

「ムーウさんね。年は!?」

「十五です」

「十五!? やったあ! あたしより下じゃん珍しい! じゃあ呼び捨てしよっ。ムーウ!」

「は、はい?」

「一歳も年上のあたしだけど、特別にタメ口でもいいよ!」

「はあ」

 乳鋲の打たれた分厚いホールのドアは荘厳に人間たちを出迎えている。独りでいるときには壁でしかないそれもシャノンとならドアとしてちゃんと機能して、夢中で駆けたら呆気なく会場を飛びだしていた。曇天の真下に二人と一台で三つの影法師をつくる。ぽつ、ぽつ、と小雨が降り始めた。なにがおかしいのかシャノンが呼吸より優先して笑い声をあげた。

「あははっさっきのおっさんやばいロリコンだよね! 逃げてやったぁあどうだー!」

 使用人がうやうやしく〈傘〉のコードを書いて少女たちの上に広げた。

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【長編】アナログアンブレラ。 五水井ラグ @KwonRann

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