09.




 左から渡された紙の束の一枚を取って残りは右へまわしながら私語を溢れさせる新入生たちのなかでムーウはぎくっと固まった。本校を卒業あるいは退学するときに本人へお返しする用紙です、とある。「宣誓書 一年一回生」の題名が印字されていた。自分の将来を今日一日よく考え、どんな人間になりたいか、学園生活や卒業後の仕事その他の未来像を、オフラインのボールペンで記入してください、明日回収します、現時点の貴方がたが書けることを等身大で残しましょう、どんな内容でも成績にはいっさい影響しません、と司会者がマイクで説明した。というのはこの時間、持ち物検査をされることになっており、入学式が終わり、記念撮影も終え、保護者来賓報道関係者が退場し、留まった新入生たちを、教職員たちが手分けして検査し始めたところだった。確認するのは法律や学則で装着を義務づけられた魔法装置について、新入生は三百六十人で、一人につき七つ以上装置を持っていないといけなくて、作業にあたっている教職員はたった十人だった。よってしばし時間がかかるということだ。待ち時間をこの宿題の下書きにでも費やせとのことらしかった。

 ムーウは思考入力で空中ディスプレイを開いた。此処は列の最後のほうだからまだまだ教職員が来ない。ユーザー辞書を起動する。魔法装置とは、それを身につけた本人のレヴを調整しつつ適度に引きだし、いざというとき助けてくれる魔動式機械をいう。小学校で習う常識中の常識だ。魔法は便利な反面危険なもので、身体的または精神的コンディションによってバグが起こりうる上、意図的に魔法をクラッキングする犯罪だって後を絶たない。咄嗟に身を守ってくれる機械の携帯が必須だった。これを義務装置という。ホームページによると学園で必要なのは三つ、簡易シールド、記録装置、制御装置。紅龍国の国内法で決まっている装置は三つ、短縮救急、強制解除、強制遮断。国際法には一つしかない。「グリクト」といわれる緊急救命自動発動型移動シールド装置である。

 このグリクトが面白くて、名前の通り、緊急時自動的に〈修復〉や〈治癒〉、〈延命〉を発動し、その場が危なかったら数メートル勝手に〈瞬間移動〉して、薄いシールドを張る、という優れた装置で、災害や事故で人々のいのちを救うことが多々あり、度重なる国際会議の末に法で全人類装着することが強く定められた。まあ面白いのは内容でなく名前のほうで、戸籍に名があって存命中の人間全員が持っているこの一番身近な装置が「緊急救命自動発動型移動シールド装置」では長くて言いづらいので、グリクトと縮めている。グリーンピクトグラムの略だ。第二次魔法期以前は建物内を脚で物理的に移動していたから、災害などで外へ逃げる際には走るしかない。建物にはあらかじめ脱出用の経路が設けられ、これを非常口と呼び、目立つように緑色の案内看板がつけられていた。看板で使われるピクトグラムという絵単語を歴史の講義で習った若者たちが面白がって仲間うちで装置のことをグリクトと言うになり、一般的な通称として定着したらしい。遊園地等々でレトロな風景を再現するとき緑色の案内看板が積極的に取り入れられるようになったのもその頃だった。

 ――と、そろそろ現実逃避はやめるべきだとムーウはおもう。

 宣誓書は白い紙だった。単純な魔法がいくつかかけられ破れず濡れない普通紙だ。ムーウは常時持ち歩いているペンを取りだす。オフラインの筆記用具を使うのは好きだった。右脇に抱えていたハードカバーの本を下敷きにし、机がなくても書ける姿勢を取る。でも書けることが無かった。宣誓書。学園生活? 卒業後? 将来?

 隣の男性がまたなにか話しかけてきた。この人は延々としつこかった。長い自己紹介もされたけどまったく聞いていなくて名前も分からない。肩をつついてきた。馴れ馴れしいことこの上ないな……とうんざりし、

「おい。入学早々教師を無視するとはいい度胸だな」

「ムーウちゃんんんん、装置、装置出して、ほら! せんせめっちゃ怒ってっから!」

 低く平板な口調と、それに対象的な焦った口調が同時だった。

 奇妙だとおもった。

 此処は列の最後のほうで教職員が来るのはずっとあとのはずだ。時計を見る。十五分も経っていない。この教師一人で三十人以上をその時間で検査したことになる。そんなわけがなかった。装置は日常的にぽいっと広げる魔法とは違う。どう違うかというと、日常的な魔法はたとえるなら短歌で、装置は長編小説のようなものだ。実際に文字列にすると数十万文字の差になってくる。コードを細部まで読みこまなければ学生の体格・病歴にあうかどうかとか有効期限内かどうかとかが判らず、ましてや装置は高度な〈カバー〉魔法でコードを隠してあって、外側のデザインだっていろいろある。本の表紙をさっとひと睨みしただけで長編小説を読みきるなんてどだい無理な話だ。

 とおもっていた。

 つまり、端的に言えばムーウは世界最先端の国立学園教職員たちを舐めていたようなのだった。

「なるほど、おおいに、我々を舐めているらしい……」

「……っ!」

 ――魔法で他人の記憶や感情を覗くのは犯罪である。反射的に少女は顔をあげた。杖を持ち、黒くシンプルなスーツに白く長い髪の、今までに見たことがないほど美貌の青年が立っていた。かたちのよい顔面なんぞ家で腐るほど商品を見て慣れているのに、一瞬、呆気にとられた。ムーウは「失礼しました」と微笑んで会釈した。

「ぼーっとしてました。今装置を出して説明いたしますね先生」

「不要だ。提示されずとも判る。だが、」

 先生は伏せた目を少し細めて、初対面のムーウに対し愛想の欠片も無い声で言う。

「法をなんだと考えている? ガラクタで我々を誤魔化せるとおもったか?」

「あ――先生」

 冷淡にガラクタと言い切られた状況にムーウは納得したため、できるだけ礼儀正しく謝ることにした。

「申し訳ございません。先生、やはり今装置を出します。わたしは一般的な装置とは異なるものを使ってまして、けれどそうしてはならないと学則にはありませんでした。紛らわしくてご迷惑おかけします――」

 社長令嬢、とまたどこからかいつものひそめた声が無遠慮に耳を叩く。いかにもな格好だよね。装飾を省いた服装、ふうんあれが金持ちの装置省略というやつか、ほんとに社長令嬢なんだな……ざわめきが面白おかしく二人を囲んだ。ムーウは緩慢に頭上のおおきなリボンをつまんで首を傾げた。

「鉱物や貴金属でできた一般的な装置ではないので、どれが装置なのか見分けるのも難しいかもしれません。持ち物を揃えてきてないように見えますよね。布製は珍しいですがこれが短縮救急で、えっとここに検索用シリアルナンバーが――」

「提示されずとも判る」

 先生は淡々と答えつつ腕に持っていた杖をかつっ地面についた。ムーウはちょっと驚く。音が鳴るということはあの杖にいっさい魔法がかかっていないかもしくはそう見せかけるために緻密な魔法が大量にかけられているかのどちらかで、どちらにしてもなかなかの高級品だ。木製の魔法製品はノクテリイ家の令嬢でさえそんなにしょっちゅうお目にかかれるものじゃなかった。彼に高価な布製の装置を説明する必要はまあ確かに無さそうだ。

 魔力レヴは生きていないかたいものと親和性が高い。魔法装置を複数個持ち歩かなければならない現代人たちは宝石や金銀で装飾過多になりやすく、あえてシンプルなかっこうをするのが上流社会で流行していた。義務である装置をつけないことは考えられないので、つけないことではなくて、わざわざお金をかけて布やらプラスチックやらの装置を買うことを「装置省略」と呼ぶ。

 白髪の教師は空中ディスプレイのリストを眺めながら気怠げに杖へ体重をかけた。

「仰る通り学則で装置省略は禁じていない。だが私は、貴方に法をどう考えているかと訊いた。意味は解るな?」

 なにも言い返せなかった。

「六つは申し分ない。タイプ、品質、メンテナンスすべて良好だ。一週間後までに残り一つをなんとかしろ。来週再度検査する。理解したか、82番」

 ムーウの返事を待たず青年は前を歩き過ぎた。

「さて83番、見たところ簡易シールドが貴方のレヴにあっていない。似てはいるな。対象年齢も近いようだ。――兄弟から借りたか? 検査だけパスすればいいというものではない。来週再検査。84番――」

 隣のシルバーアクセ男83番がなにか話しかけてきていたがムーウはそれどころじゃなかった。生まれて初めて人にバレたのだ。今まで誰にも気づかれたことはなかった。軍人にも警察にもプロの装置調律師にも見抜けなかった。

 ムーウはもう五年以上も犯罪者をしている。グリクト――緊急救命自動発動型移動シールド装置はとうに期限切れだった。緊急時に救命されては困るからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます