06.




 小説を書くときわたしは多少派手すぎるくらいが頃合だろうとおもってなるべく劇的に物事が発色するようこころがけてきたわけでたとえば大怪我をするとか不治の病にかかるとか大事な人が亡くなるとかそういうことで濃く濃くストーリーを組んでいけばいいと信じていました。派手なものは書きやすいです。目立っているため想像に難くなく、曖昧な線しか書けなくても他人に伝わります。安物の珈琲と一緒ですね。〈拡張〉や〈強調〉〈味覚刺激剤〉などをふんだんに用い、香味の一層目だけを肥大化させ、シンボルとしての珈琲をこれでもかと主張すれば、飲んだ人は「間違いなく珈琲である」と満足するんです。小説を書くとき大怪我をするとか不治の病にかかるとか大事な人が亡くなるとかそういうことだけが重要に見えてくるのと同じで、ほんとうに大切なものは日常生活のなかにある、という真実を我々はなんとなく忘れる。アナログアンブレラの珈琲は、この日常生活の部分を疎かにしないため香味が何層にも奥まっていて、もしかしたら魔法期以前の人間はこんなに深かったのかなあ。わたしたちは時代が進むにつれ人間味をなくしているのかもしれないなあ。的な感じです。

「ほぅ。小説を書くのか?」

「趣味で少し。っていうかこれなんの話でしたっけ」

「珈琲の感想」

「そうでした」

 閉じられた傘を杖のようにかつっかつっ地面について歩く少女の右はかつっかつっ杖を地面について歩く青年だった。人が寄りつかないビル街のしかも地下に隠されたアナログアンブレラは、誰かに案内されなければ新しい客がこない。〈瞬間移動〉用の〈箱〉と〈瞬間移動〉を防ぐ〈セキュリティ〉とで魔法がむせ返るほどに満ち、専用のパスカードを持っていないと体調を崩す場合もあるこの区画――関係者以外立ち入り禁止感がものすごいオフィスビルの群れには、やっぱり歩いている人間などいなくて、似たような灰色の景色が前後左右にひたすら続いている。少女は徐々に前も後ろも判らなくなってくる。青年は前だけ見て歩調をゆるめることなく闊歩し、自身のゆく手にはなんの迷いも無いとばかり堂々とビルの壁に突っこんでいった。

「え? あの、えっと?」

 そこ壁ですけど。

「なにをしている。来い」

「あ、」

 機密保護用の〈フェイク〉魔法はビルの壁やらイチョウの木やらの様相を呈していて、道は隠され、人間が歩くことは想定されていないので街灯もなく、ただただ灰色が続く……。

 パスカードを持っていない人は迷うようにできているのだ。ではあの人たちは持っているのだろうか。訊いてみると青年は短く「いや」と答えた。それ以上互いに訊くことも答えることも無く、二人のあいだに沈黙だけを挟んで歩き続けた。

 道の無い道を進んでいった。壁に突っこむとか木をすり抜けるとかを繰り返した。少女はこのように〈フェイク〉空間に拒絶されたことが無かった。人間には拒絶されても、空間にはいつもアクセスする権限があったから、どこにいても道はクリアだった。慣れないことだった。これがあの家を出るということ。闊歩する青年のあとをついて、機密保護用のペチュニアやマリーゴールド、ラベンダーなど架空の花壇を恐る恐る踏み散らして歩きながら、人間はほんとうに隠し事を暴きたいなら花も踏むしかない、とおもった。

「……で、だ。結局のところ、進むか終えるか迷っていたのはどうなった?」

 最後のラベンダーを踏んだとき問われ、逡巡した。

「わたし、は………………保留中です」

「ふむ。また迷いたくなったときにでもアナログアンブレラに行くといい。ではな」

 あっさりとした挨拶だった。簡易な〈瞬間移動〉を書いて青年は軽い目礼ののちさくっと消えていった。四方灰色のビルとビルの街にあっというまに取り残された。

 彼が「迷ったとき」ではなく「迷いたくなったとき」と言ったところを口に出して呟いてみる。迷うのは不正解だ、とあの人は言わなかった。進むと決めてもいいんだろう。終えると決めてもいい。決められずに迷ってもいい。どれも等しく意志を尊重すると、突き放すような優しさで言われたのだとおもった。なにを選んでも(選べなくても)あのお店には少女の席があると。もしかしたら、彼も飛び降りるために高層ビルを探したことがある人のうちの一人なのかもしれなかった。解る人にはそういう一言二言で伝わるものだ。

 ほとんど雨はとまりかけていて、小雨が粒状でいくつもまつ毛に載って、遠くのわずかなひかりを反射し、イルミネーションのごとく視界をきらきらとさせているのを見て、手にしていた傘を開いてみた。ぽんっ。なるほど、傘は文学のなかで「咲く」ものだった。ポリエステルの花だ。肩に、金属の棒の部分をもたせかけてみる。暗い夕方に白が映える。少女の頭上だけぽっかりと雨がやむ。

 ぱたた。ぽた。ぱた。

 傘とは、雨を遮りながら雨を奏でるもの。ぽた、ぱたた。この世界も文学だったらよかったのにな。漫然と肩のはじっこと脚の下のほうを濡らし、それから数十分して彼女専属の使用人が名を叫び走ってくるまでのあいだずっと、灰色の現実のなかで、傘を咲かせて立っていた。

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