05.




 右。アルバイトの女の子が黙りこくってうつむき、カウンターチェアーに座ったまま身を縮めている。なにも言わないで十分ほどが過ぎる。前。明らかにその辺の普通のデパートで買った普通のミルクチョコレート(未開封)が箱ごとテーブルに置かれている。同じ箱をもう一つおじさまがごつい腕で開封し、カップケーキのかたちのチョコレートを頬張っている。左。恋愛小説があまりにつまらないのか青年は本をいったん閉じ後ろから読み始めた。ページ単位の後ろではなく、本最後の行を下から上に向かってである。

 おだやかな時間が過ぎていく。音楽はいつのまにかジャズに切り変わっていて、サックスが悲鳴じみた高音を響かせていた。そこに混ざりこむかすかな水音。春時雨が終わらない。

「新しい客は二年半ぶりぐえれだかんなあ、解るけどよ」

 磨き終えた杖をもう一拭きし、撫でてみて、照明の下で掲げて最終点検後、チョコレートを口に放りこみ杖は投げる。

「ほらよクォル」

「どうも」

「二年半ぶりとかあれだよなあ、二年半だもんな、分かるけどよ、バイトいいかげんなんか喋れ!?」

 女の子は黙りこくっている。

 ただ時間だけが過ぎていく。ち、ち、ち、ち、時計が鼓動を刻む。こ、こ、こ、こ、それよりおおきめなのは壁の掛時計だ。レンジがちーんといって止まると、マスターがなかからカップを取り出し無造作にカウンターへ置いた。ごとっ。かちゃり、ティースプーンがソーサーとささやかに鳴る。

 此処は音に溢れている。

「ほらよクォル」

「どうも」

 ち、ち、ち、こ、こ、こ、おだやかな時間が過ぎていく。アルバイトの女の子は言葉を言わない。もう行きたい。全自動で微笑んでいるだけのこの時間であと数時間人生を長くしてもなんの意味にもならないと少女は経験上知っていた。

「バイト生きてっかあ?」

 マスターがチョコレートでくぐもった声色の質問をし、ごもごもと咀嚼に勤しむところを少女が重ねた。

「やはり帰ります」

「あたし、シャノンというの。シャノン。氏はシノ。友だちになってほしい。二年半ぶりのお客さんで、あたしにとっては最後かもしれない。人の人生にあまり口出しすべきじゃないっておもうけれど、明日も来てほしい」

 陶器人形のように冷たかった女の子の手は繋いだまま少女の体温をうつして少しあたたかい。引かれてついていき二人の歩幅でもほんの数歩で端まで着けるので傘立てはすぐだった。女の子がスチールの長方形から迷わず白の傘を引き抜く。花模様のレースがほどこされた精緻なデザインだ。渡してくるのを少女はやんわり押し返す。

 メニューと同じ紙の同じ文字で貼り紙がしてあった。

『傘は雨を弾く。「弾く」は「はじく」と読むし「ひく」とも読む。傘とは、雨を遮りながら雨を奏でるもの。昔ながらのアナログの傘をお貸しします。明日でも十年後でも気が向いたときに珈琲を飲むついででご返却くだされば幸い。現代という時間の喧騒に埋もれがちな貴方へ』

 樫のドアを開けた途端に大粒の雨音が飽和した。諦めず渡される白の傘を今度は受け取る。――貸す。だけだからねっ。女の子は震えている。

「ありがとうございます、S・シャノンさん。さようなら」

「またね」

 言ってまた一瞬だけ少女の手に陶器人形のような指を絡めた。それだけだった。

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