02.


       ◆


 やる気の無さそうな声である。

「おー、いらっしゃいー」

 スマイル要素ゼロのおじさんの営業仏頂面に傷跡が何本も走っている。

「あんたあ初めてだな」

 しかもあんた呼ばわりである。少女はあんたと呼ばれたことが無かった。親にはいつもあれかそれだったしその他からはお嬢さまと呼ばれて十五年を生きてきたからだ。

「新しい客は二年半ぶりだったか? まあ適当に座れや」

 適当なのはお前の接客態度だ。とおもったが言わなかった。っていうか状況がいまいち分からなかった。地下はカフェだ。セピア調で撮るのがちょうどピントのあいそうなこしゃれたレンガの壁に、古ぼけたモノクロ写真を六枚とか七枚とか木製の額に入れてはぶらさげてみて、ちょっとさみしげなピアノのバラッドなどかけて本を読む、店内はほどよく花や葉っぱを飾ったり機械の無骨さを放置したりしてアンバランスさがバランスよく保たれ、背もたれに寄りかかってすぅうと珈琲の香りを堪能するのにもってこいだ。古風な内装が最高に好みだった。

 さらに好みなのはカウンターでマグカップを洗っているワイルドな傷跡のおじさまだった。

(死後の天国って、天国なんだなあ)

 まだ飛び降りていないけど。

 口笛を吹き始めたおじさまは、客など気にかける様子もなく慣れた手つきで濡れたカップを拭き、置き、次、拭いて、置き、テーブルをさっと拭き、一曲吹き終えた。動くたびに白いシャツの袖から腕にも傷が見える。素人目にも判る鍛え抜かれた腕だ。明らかに只者ではなくて、暖色のライトがやわらかく照らしだすこのカウンターにそぐわないにもほどがあった。今まで少女のまわりにはいなかった種類の人間だ。興味深かった。とはいえそんなことより優先すべきことがあるわけで、右手に握った黒い家一軒をゆっくりしぼませた。ぼたた。水滴が影法師に重なり水たまりになった。

 店内を一見したところ椅子が十数個しかなく、何人か座ってはいるものの隠し扉でもない限りあの青年はいなかった。なんだか探し物ばかりしている夕方だ。途方に暮れた。頭が動かなくて、傘の水たまりへ気持ちが沈みこんでいく。沈みたいのではなくのぼって落ちたいのだというのにどうしてこうなっているのか。

「あんたずいぶん濡れとるなあ」

「え」

「ほれ」

「あの」

「来な」

 カウンターテーブルへタオルが置かれた。少女は入口から三番目の席まで歩いていき、普段なら手っ取り早く魔法で乾かしているけれど素直にタオルを受け取った。この古風なお店で魔法を使うのはちょっとちぐはぐな感じがしてちょうどこんなタオルがしっくりくる。しっかり厚みがあるグレーのフェイスタオルは、あたたかなかなしみを含んでやわらかく膨らんでいた。少女はカウンターへ笑いかけた。

「あの、ご親切にありがとうございます。実はお伺いしたいことがありまして、人を探しているのですがついさきほどここに杖をついた二十代の男性は来ませんでしたか? どうしても返したいものがあるんです。お返ししたら行かなくては」

 店内の人間は自分含めて五名だった。後方奥のテーブル席にノートを開いた男子学生が二名、自分の隣の隣にスーツ姿の冴えない男性、前のカウンターのおじさまと、自分。人以外は一匹、カウンターの水槽にリクガメ。

「行くって嬢ちゃんどこへだ?」

「それを探してる途中なんです。これ、持ち主をご存知ありませんか? おそらく手づくり製造の特注品です。持ち主にお返ししたら行かなくては。急ぎの用事があるんです」

「まーそう言わずに一杯どうよ」

「ええ、もちろんいただきますね。マスター、メニューはありますか?」

「うちは珈琲しか出さねえんだけどよ。珈琲ならなんでもあるぜ」

 彼がぞんざいに示したメニューはテーブルに立てかけられた見開きだった。天井からぶらさがった照明の暖色をそうっと伸ばし広げたような色あいでつくられている。なんと紙製だ。しかも内容はペンで手書きされていて、指先でなぞってみると文字の色にあわせて紙がわずかに溝になっているのが分かった。魔法コードがひとつも見あたらないのは、高度な〈カバー〉を念入りにかぶせて隠しているか、逆にいっさい魔法が無いかのどちらかだ。

 マスターが悪戯っぽく笑う。

「珍しいだろ? かけてねえんだよ。こうしてみりゃあ分かる」

 おもむろにマスターが拭いていないほうのマグカップをメニューの上に置いた。

「!?」

「わっはっは! そう驚きなさんな」

 か、紙が。

 紙なのに。

 カップをどけると底のまあるいかたちに呆気なく濡れていて少女は慌てて簡易な〈修復〉を書き始める。と、マスターが彼の右手首を左手で握るしぐさをした。笑っている。

 ユーザー辞書起動。自分の利き手を封じてみせる動作つまり右手首を左手で握ることは「今すぐその魔法を引っこめないとお前の手首を切り落とすぞ」との乱暴な意味があり、手にかすり傷ひとつでも負えば魔法全般が使えなくなるという現代魔法の性質から、第二次魔法期直後に浸透した。故意または偶然この動作をすることにより道端で突如知らない者同士の殺しあいに発展することもある。有名なのは三六五七年の黄山国コウセンコク中央魔法局連続殺人事件。十年で十三人殺害し、遺体を細かく切断した上、右手首だけを魔法管理局ロビーのスウレイ博士像に飾りつけた。

 少女がおとなしく〈修復〉を解除した。

 マスターは笑っている。

「店内は基本的にそれ使用禁止なもんでなぁ」

「はあ」

 やっぱり笑っている。珈琲店をやるには不似合いな筋骨隆々の腕を厚い胸の前に組み、面白そうにこちらを見おろしてくる。

「防水されてねえ紙を見るのは初めてか? 折れねえ破けねえ変色しねえのしか見たことないってか。ここにあるもんは壊れていいつもりだし、こんくらいならすぐ元通り乾くからよ」

「はあ」

「なんなら破いてみてもいいぜ。なかなかに面白い感触を味わ」

「――なっにっがっ『破いてみてもいい』なのナモっ!! 面白がって壊すのやめてつってんでしょそれ書いたの誰だオラ言ってみなさいばかばかばか!」

 バックルームから長い黒髪の女の子が飛びだしてくるなり息を切らしてマスターの腕をぱこすか叩き始めた。十五、六ほどに見える。過多なアクセサリーがじゃらじゃらした。リボンのついた袖口から細い腕を伸ばし、頼りなく振りまわしながら真っ赤な顔でなおも怒鳴った。

「紙がぼこってなるじゃん! 得意顔でウィンクすんなきもナモ! このっ! ばかばかばか!」

「おーバイト。痛えなあ」

 マスターはにやにやしている。

「ばっかっにっすんなあああ!」

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