ベヨネーズ列岩


 私は今、ベヨネーズ列岩の上に立っている。


 周りを取り巻く海は荒れていて、岩に砕ける波の飛沫が顔にかかる。そんな岩の上に、私は一人で立っている。海鳥の群れが頭上を飛び交い、遠く近く鳴き声を響かせる。空はどんよりと曇っている。


 私がここにいるのは、今まさにここにいるということなのであって、それ以外は定義のしようがない。つまり、「今」から5分前にこのベヨネーズ列岩に私がいたか、あるいは5分後に私がベヨネーズ列岩の上に立っているのかどうかという問いは、まったく意味をなさないのだ。


 つまり、「私が・今・このベヨネーズ列岩の上に・立っている」という、その事実以外のことは何ら意味を持たない。


 しかし、なぜ私がベヨネーズ列岩の上に立つことになったのか、さまざまに憶測を働かせることはできるであろう。私という男が、伊豆諸島南方はるか沖合のこの岩に立つまでの間、どのような経緯があったのか。


 まず着目すべきは、「ベヨネーズ」などというカタカナ名称にもかかわらず、れっきとした日本固有の領土であるということだ。「日本固有の」という前置きは、違法占拠が長期化し日本への返還が遠のくばかりの北海道沖の島々にのみ「固有」であるかのように誤解されているのかもしれず、議論の余地がない領土にまで用いるのは甚だ不適切だと見る向きもあろう。しかしそういった周辺事情を考慮に入れず、あくまでも単純な事実関係としてこの表現を用いるなら、間違いなく「日本固有の領土」である。


 にもかかわらず、「ベヨネーズ」などという、思わずマヨネーズを連想したくなるようなカタカナが用いられるのはなぜなのか。


 列岩とは言いながら、そこに足を置けばたちどころに、油っ濃く酸味の強いクリーム色のソースの中に沈み込んでしまうようなイメージが喚起される。一字違いの威力はそれくらい強烈だというのは誰しも認めるところであろう。


 このように、たった一字の違いというのは実に微妙なものである。「ベ」と「マ」の違いだけで「ベヨネーズ」と「マヨネーズ」を、国境線のごとく明確に区分し得るものだろうか? 灼熱の砂漠に国境線を引くことの困難と、それは通底してはいないか。「列岩」と言いながら実は、マヨネーズでできたクリーム色の塊なのではないだろうか? 


 もとより、日本固有の領土なら漢字もしくは平仮名の名称を与えるべきだなどという退屈な議論をしているのではない。想像してみてほしい。荒海の中から突如として、水との親和性がないマヨネーズの塊が列岩と称して立ち上がっているさまを。そんなことはあり得ないと言い張るなら、実際にそれを証明すべく現地を確認せずにいられようか?


 ──とまあ、こんな経緯から私はこの、ベヨネーズ列岩に立つことになったのではないかと考えた。これは何の根拠もない、100%憶測である。だから私は、マヨネーズの塊をここに見いださなかったからといって落胆もしなければ、喜んでもいない。私は「今・ここ」に立っている以外には何の根拠も持たない存在だからである。


 私が「今・ここ」に立っていることは、固定された一つの瞬間であり、動かしようがない。いかなる交通手段を用いてこのベヨネーズ列岩に立ったか、そしてこの後いつ、いかなる方法でこの場を離れるかという問い自体が存在し得ない。言い換えるならば、「私」という存在は「ベヨネーズ列岩」と分かちがたく結びつけられている。ベヨネーズ列岩を離れて、「私」自体が存在しえないのである。何らかの交通手段を用いてこの場を目指す私、あるいは、この場を離れる私というのは、前提自体が間違っている。


 それは既に「私」ではない。



 おわり



<後書き>


 参考までに、マヨネーズの作り方を付記しておく。




 卵黄3個に酢大匙3杯、塩小匙2杯、サラダ油350グラムを加え、ひたすらかき混ぜる。力の限りかき混ぜる。親の仇のように憤怒の表情でかき混ぜる。出来上がったら、”Ah-----! I'll show you the life of the mind! Ah-----! I'll show you the life of the mind! Ah-----!”と絶叫しつつボウルを抱えて家の外に飛び出し、路上にそれをぶちまける。




 そこには、マヨネーズのあるべき姿が現れているであろう。


(「小説家になろう」で2017年12月17日公開)

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