フリーダ・カーロ


 俺はフリーダ・カーロの愛人になった。


 なぜ愛人になったのか。そんなことを聞かれても困る。気づいた時に俺は、既に不可逆的なフリーダの愛人であった。俺を見つめるフリーダの目が、こう言っていた。


「お前はあたしの愛人なのよ。お前のち○○こはあたしに奉仕するためだけにある」


 フリーダの性欲はものすごかった。俺は徹底的に、カリフォルニアの太陽の下で果汁を搾られるオレンジみたいに搾り取られた。音を上げても許してくれない化け物みたいな女、フリーダ・カーロは、仰向けの俺に跨って見下ろしながら詰問する。


「ねえあたしを愛してる?」

「愛してるよ!」

「本当? じゃあもっともっとがんばれるわよね?」

「ああ……」


 俺は確かにがんばった。しかし記憶のどこかにある、控え目な東洋の女の不確かな面影を懐かしいと思わなかったわけではない。懐かしいと思いながら、口ではフリーダの名を叫ぶ俺。やがて遂にフリーダは満足し、ベッドで息も絶え絶えの俺を残しアトリエに引き上げる。


 フリーダは毛深い。そして情が深いというのか、毛深さ相応にものすごく性欲が強い。こんな女はたぶん、他にいないと思いたい。そんなものすごい性欲が、俺からフリーダ以外の女の記憶を、いや、それ以外の記憶全部を消してしまったのかもしれないが、俺はそれに満足している自分を発見する。


 なぜなら俺は愛人だからだ。


 そしてフリーダに愛されるのを待ちながら、ベッドに仰向けで待っているすっぱだかの俺の、これ。


 フリーダが仕事を終える頃、これは元気を取り戻し、いつでもフリーダと愛し愛されるようになるのだ。


 それが愛人というものだ。


 3時間たった。いつになく今日の仕事は長い。


 ドアが開いた。入ってきたのはフリーダではなかった。眼鏡をかけたジジイだった。


「その情けない姿は、人間の尊厳を忘れた者の一つの到達点を示している」


 訳の分からないことを言っているこのジジイを、俺はなぜか知っていた。レフ・ダヴィドヴィチ・トロツキーという自称革命家だ。こんな男に用はない。俺はフリーダに愛されるために存在しているのだから、尊厳云々は俺に関係ない。

 ジジイがとっとと去ってくれるのを、俺はベッドに仰向けのまま待った。しかしジジイは開いたドアの前から去ろうとしない。


 消えてくれ。


「君の心の声が聞こえたよ。ではせいぜいがんばりたまえ」


 ジジイは去った。フリーダが待ち遠しい。俺のこれは、フリーダのためだけにある。あのものすごい性欲で、一滴も残らなくなるまで搾り取ってほしいと、涙を流して固く立ち上がっているのに、フリーダは来ない。


 ドアが開いた。しかし現れたのはやはりフリーダではなく、口ひげを生やしたデブだ。知っている、こいつはフリーダの旦那のディエゴ・リベラだ。来るべき時が来た。間男の俺に制裁を加えるつもりだろう。


 やってみろ。俺はどんな痛みだろうと耐えてみせる。それが愛というものだ。


 だがリベラは、ベッドでまっぱだかの俺を見下ろしてにやにや笑ってやがる。


 この卑怯者が。てめぇの女房を寝取ったこの俺様に文句があっかこの野郎。矢でも鉄砲でも持ってきやがれ……はて俺は、ちゃきちゃきの江戸っ子だったのか? 江戸っ子? 江戸っ子って何?


 リベラがドアの外を振り返って、「皆さんどうぞ」とか言ってる。何考えてんだこいつ、とか思ってたらリベラが部屋に入ってきて、それに続いて報道陣がドドドドドとなだれ込んできた。


「皆さん、これが『愛人』ってやつです。うちの女房が高い値段で買ってきた、高性能愛人奴隷。ものすげー精力! この俺でさえ脱帽の脱輪、じゃなかった絶倫ですよ!」


 「『ウタマロ』がビンビンですね!」と女性記者がカメラを構えながらしきりに感心している。金髪のすげー美人だったので、俺のウタマロは涙を流して喜んだ。


「そう! なんでしたらお貸ししましょうか? もちろんレンタル料なんていただきませんよ」

「いいんですか?」

「よろしいですとも!」


 四方八方からカメラのストロボが焚かれて目が潰れそうだったが、俺のウタマロは元気いっぱいだった。仕方がない。俺は愛人なのだから。


 俺は服を着せられ、女性記者の家に連れて行かれた。フリーダは見送ってもくれなかった。俺はフリーダの愛人なのに、どうしてそんなにつれないのか? 俺は泣いた。ウタマロもフリーダを恋しがって哭いた。


 女性記者は自室に入るなり服を脱いで、自分の体を見せつけながら俺に「裸におなり」と命令した。俺はまっぱだかになって記者の前に立ったが、ウタマロは萎びている。


「どうしたのお前。全然元気がないじゃないの」

「すんません、どうがんばっても、元気になりません」

「今の私を見ても興奮しないって言うのかお前は」

「はい。俺は、不可逆的なフリーダ・カーロの愛人なので」

「馬鹿。そんな役立たずは置いておけない」


 裸の女性記者は俺をグーで殴った。俺は赤い花びらのように鼻血を撒き散らしながら倒れた。そして泣いた。


「出て行け」


 俺は追い出された。メキシコの太陽が照りつける市街地を、俺は泣きながら歩いた。フリーダのところへ戻っても追い返されるだろう。俺は捨てられたのだ。もうどこにも行き場所はない。いつまでも、いつまでもこの、メキシコ市の往来をさまよい続けるしかないのだ、泣きながら。


 おわり


(「小説家になろう」で2017年11月18日公開)

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