千歳飴
スーパーのお菓子売り場を通りかかった11月初めのある日のこと。
千歳飴が目に留まった。
すなわち、あの棒状の飴である。3歳、5歳、7歳の子供の健やかな成長を祝う七五三の縁起物として売られる飴だ。だいたい、把手の付いた細長い紙袋に飴の棒が何本か入っている。子供たちはそれを、ご機嫌の様子でしゃぶるのである。
棒飴を手に持ち、時の経つのも忘れてしゃぶる。幼女が千歳飴を無心にしゃぶっているさまを想像してみるがいい。見ているだけでその場が桃源郷と化すであろう。そう。あの飴は3、5、7歳の子供にしか、味わうことを許されていないのだ。
しかし、俺の記憶には鮮明に残っている。あの飴の味が。
あの飴はおいしかった。しゃぶっているだけで至福の時間を過ごすことができた。我慢しきれなくなって噛み潰したら奥歯に飴が張り付いてしまい、虫歯の詰め物と一緒に剥がれ落ちるアクシデントがあったりしたのも幼き日の懐かしい思い出だ。
なぜ大人が千歳飴を食べてはいけないのだろう?
確かに、大人が長い飴を持ってしゃぶっているという図は、社会通念上「気の毒な人」のレッテルを貼られても仕方ないような光景かもしれぬ。だが衆人環視の中ではなく、プライベートな場で棒状の飴をしゃぶるという快楽をなぜ大人が味わってはいけないのか? 一般的にキャンデーといえば一粒一粒包み紙にくるまれていたりビニールで包装されていたりひと口サイズに統一されているのはなぜなのか? 棒飴は七五三という「ハレ」の場の特例として認められているだけで、事実上規制の対象なのか?
40歳近い男である俺が一人で千歳飴を買い求める。異様な光景だ。子供連れで買うならまだしも、俺には子供どころか嫁すらいない。そんな男が一人で店頭に立ち、千歳飴を買おうとしただけで警察が飛んできそうな気がする。38歳無職独身男による千歳飴購入未遂事件。誓って言うが、俺にはまだ逮捕歴はない。唯一胸を張って言えるこの経歴に傷をつけたくはない。
つまり、俺があの千歳飴を入手できる可能性は限りなくゼロに……待てよ。
俺は今、38歳。ここで38という数字について考えてみよう。
7×5+3=38!
この事実はたった今、俺によって発見されたのだ! 何てこった、俺は今年七五三だったではないか! 俺は千歳飴を入手できぬどころか、むしろ千歳飴を食べることが必然だったのだ! いったい何を悩んでいたのだ!
俺がこんな天才だったとは……。幼児期の三つの年齢に限定されていた千歳飴の門戸は、この俺によって大きく開かれたのだ。七五三の規制緩和万歳!
7+5+3=15歳
5×3+7=22歳
7×3+5=26歳
(7+5)×3=36歳
(7+3)×5=50歳
(5+3)×7=56歳
ざっとこれだけの人々が新規に千歳飴の恩恵にあずかることができる! 俺だって今年が最後ではない。56歳まであと2回、七五三を祝うことができる。50歳の俺に嫁や子がいるだろうか。多分いないだろう。それでも50歳になった俺が健康であれば、千歳飴を味わいたいものだ。さすがに7×5×3=105歳までは生きられないだろうが、105歳になった人には長寿を祝う七五三も悪くないだろう。
俺はついさっき通り過ぎたお菓子売り場へとUターンした。ショーケースの奥で、可憐な女子店員が俺を見て微笑んでいる。俺はカウンターに平積みされていた千歳飴の紙袋を一つ取って、その店員に差し出した。
「お一つでよろしいですか?」
俺は黙って頷いた。店員に少しも怪しむ様子がないのは、恐らく子供への土産に買って帰るのだとでも思ったのだろう。しかし、そんな理想的な世界ばかりではない。俺のように38歳になるまでバイトしかしたことがない無職独身男が、狂気とも言える理屈をひねり出して千歳飴入手を企てる、そんな現実だってあるのだ。確かにあるのだが、絶対に他人の理解を求めようとしてはいけない。それは百も承知だったはずなのに、どういうわけか俺の分別は決壊してしまった。
「実はね、僕は今日七五三なんです」
「はい?」
可憐な女子店員の表情がみるみる曇っていく。太陽が暗雲に遮られていくのを見る思いがした。
「7×5+3は38でしょ? 僕38歳で今年七五三ってわけ」
「は……はあ、そうなんですか」
何ということをやらかしてしまったのか。彼女の顔を見ればドン引きなどというレベルではない、世界の暗黒面を生まれて初めて覗き込んでしまったような、心底からの嫌悪と怖れが表れている。女子店員はそそくさと釣り銭を俺に渡して「ありがとうございました」と言うなり、飛び退くような勢いでカウンターの奥へ引っ込んだ。
それでも俺はスーパーから出なかった。人の大勢集まる場所に留まっていたかったのだ。入口近くのベンチに腰掛け、紙袋を開ける。中には紅白の千歳飴がビニール包装の中に入っている。俺はまず、ピンク色の飴の封を開けた。
そして無心にしゃぶった。目の前を人々が行き交っている。誰も俺に関心を払う者はいない。俺はよくいる、そこにいないも同然の「気の毒な人」の一人だった。両親に連れられた晴れ着姿の、3歳程度の女児が通りかかって俺に手を伸ばす。しゃぶっていた飴を掲げて笑いかけてやると、親は女児の手を強く引っ張って急がせる。女児は遠ざかりながらずっと俺を振り向いて見ていた。
女子高生の一団が通りかかった。俺は酔ってもいないのに、何を血迷ったのか彼女らに声を掛けた。
「君らの中に15歳の子はいるかな?」
途端にお喋りをやめ、ドン引きして顔を見合わせるJKたち。だが俺は、今日の発見を周知せずにはいられない。俺の発見によって、七五三の門戸は大きく開放されたのだから!
「7+5+3は15! 15歳の子も七五三を祝っていいんだ! 38歳の僕だって七五三なんだよ!」
JKたちは足早に去った。別に俺は、38歳の唾液にまみれたピンク色のこの飴を、彼女たちにしゃぶってほしいなどと考えたのではない。ただただ理解してもらいたかった。俺にだって千歳飴を味わう権利があるということを。15歳になっても、健やかな15歳を迎えた記念に千歳飴を味わってもいいということを!
そんなことを叫んでも誰も信じるまい。それは分かっている。本当は俺だって信じちゃいない。
だが、……懐かしい味は遠い日の記憶を呼び起こす。前にこの飴を味わった時、俺は幾つだっただろう。
思い出した。最後に千歳飴を食べたのは、実は7歳の時ではないのだ。
俺には三つ違いの弟がいる。本当に俺の弟かと思えるくらいよくできた男で、一流大学を卒業して一流企業に勤め、結婚して子供がいる。今年の七五三に正当な権利を主張できる、5歳の男の子がいる。
子供の頃、弟が七五三を迎えるたびに俺は弟の千歳飴を横取りしていた。弟が三つの時俺は6歳、5歳の時は8歳、7歳の時は10歳と、まったく権利がないにもかかわらず俺は不当に七五三の恩恵にあずかっていた。「お兄ちゃんが全部食べちゃった」と弟をよく泣かしていたのは、他ならぬこの俺だった。何という兄だったのだろう、俺は。
こんな兄だからだろう、弟とは疎遠である。嫁や子を会わせたくない気持ちは俺だって理解できるし、無理に会いたいとは思わない。俺は間違いなく駄目な兄だった。駄目な駄目っぷりを自分ではどうにもできなかった。わがままなだけで、わがままな自分を変えるなんて思いもよらなかった。自分のことで手いっぱいだったのだ。どうすればよかったのか。
俺は泣いた。10歳の時以来の、懐かしい千歳飴を味わいつつおいおいと涙にくれた。何が7×5+3だバカタレ。死んじゃえよお前。50歳になってまた、一人で千歳飴を買って食うつもりか。弟がそんなお前を見てどんな顔をするか想像してみろよ。
ベンチで泣きながら千歳飴をしゃぶる俺の前を、11月の装いをした人々が通り過ぎていく。通り過ぎる人ばかりとは限らない。俺の前で足を止める人間もいる。
「恐れ入ります。ここで何をなさってるんですか」
青い制服を着た官公庁の職員だった。俺は泣きはらした顔を上げたが、何と答えていいか分からず、右手に持った千歳飴を示して警官の顔を見ていた。
「ご同行願います。さあ立って」
おわり
(「小説家になろう」で2017年11月4日公開)
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