不合格を目指して 1
イヌミミ族の集落から丸一日と少し掛けて、夕暮れ時に街へと帰還。俺はシャルロットに連れられて、ユーティリア伯爵家のお屋敷に招かれていた。
「お父様、ご無沙汰しております」
上品な家具で纏められた執務室。
ソファに浅く座って周囲を見回すと、壁に飾られた抽象化されたバラのレリーフが目に入った。部屋の外でも何度か見たから、ユーティリア伯爵家の紋章だろう。
「うむ。久しいな、シャルロットよ、よくぞ戻った。アウラやお前の兄が心配しておったぞ」
「あとで顔を見せてきます」
「うむ。それが良いだろう。……して、隣にいる男は誰だ? なぜここにいる?」
それは俺の方が聞きたい。
俺はイヌミミ族の集落付近で発生している異常事態を、ユーティリア伯爵家の信用できる使用人かなにかに報告しようと思っただけ。
なのに、シャルロットがなぜか『いまならお父様のお時間が取れるみたいなの』とかいって、俺とユーティリア伯爵を引き合わせたのだ。
という訳で、どういうことなんだと、俺はシャルロットに視線を向ける。
「彼の名前はアベル。私の仲間です。そして……いまは家名を持たぬ身なれど、小さき青薔薇を咲き誇らせたお方ですわ」
「……まさか、彼は小さき青薔薇を手折ったのか?」
「いいえ、小さき青薔薇が手折られることを望み、女神の名の下に誓いを立てたのです」
「……ほう、これは驚いた」
……いや、小さき青薔薇ってなんだよ? ほうってなにに驚いた? 俺は園芸を手がけた記憶なんてないぞ?
「アベルくん。私は率直に言って驚いている。娘にここまで言わせる者が現れるとは思ってもなかったからな。娘に一体なにをしたのか、ぜひ私に教えて欲しい」
なんか評価されてるみたいだけど、なんのことかまったく分からない。シャルロットが最初に仲間とか言ってたから、冒険者としての話……かな?
「シャルロット――お嬢さんとは、最初から相性が良かったんです。だから、俺はなにも特別なことなんてしてませんよ」
攻撃魔術が得意だが、守備は紙も同然なシャルロットと、攻守のバランスは良いが、決め手に欠けている俺の親和性は非常に高い。ただそれだけの話だ。
「くくくっ。娘とは最初から相性が良い、か。この状況でそのようなことを言い放つとは、なんと豪胆なことよ。さすが、娘が絶賛するだけのことはある、気に入った」
相性が良いって言っただけなのに、気に入ったって……なんだろう? なんて聞けるはずもなく、俺は「ありがとうございます」と答えておいた。
それより――
「えへへ……相性が良い。アベルくんが私と相性が良いって……」
シャルロットが頬を染めてモジモジとしている。
その姿はいつもの凜としたシャルロットと違って、なんだか甘えた感じ……というか、ほろ酔いみたいになってて可愛いんだけど……一体なにがあった。
「……ふむ。そうか、もうそんな時間か。しかし、周囲に人がいるのにシャルロットがこのような状況になるとは……アベルくん、さすがだな」
……どうしよう。さっきから二人の会話にまったくついていけてない。
「よし、今夜は宴だ!」
シャルロットのお父さん。まだ名前を聞いていない――が、ベルを鳴らしてメイドに指示を出す。そうして、どうしてかは分からないけど、俺は宴に出席することになった。
誰か、お願いだから俺に状況を説明してくれ。
そんなこんなで、俺はシャルロットの両親と食事の席に着いていた。
ユーティリア伯爵家の当主がブライアンで、奥さんがアウラと言うらしい。シャルロットの両親というだけあって気品があり、なおかつ貴族としての威厳を兼ね備えている。
そんな二人と向き合って食事。しかも、シャルロットは少し準備が遅れているとかいう意味の分からない理由でこの場にいない。俺は孤立無援だ。至急救援を要請する。
俺はただ魔物の異常発生の件を報告しようと思っただけなのに、どうしてこんなことになっているのか……誰か俺に説明して欲しい。
というか、あれだよ。
シャルロットから誓いのキスという契約魔術を受けてしまった。つまり、この夫妻の愛娘は、俺としか結ばれることが出来ない。
傷物にしたわけではないけど、傷物にするより酷いと言われても仕方がない。さすがのシャルロットもぶっちゃけたりはしないと思うけど、一緒に食事をするだけでプレッシャーだ。
……ストレスで死にそう。
「アベルくん、そのワインはどうだ?」
「ええ、口当たりも良くて飲みやすいですね」
「ふっ、そうか。気に入ったのなら、もっと飲むがいい。シャルロットと共にいる者が酒に弱かったら、なにかと大変だからな」
ブライアンが合図を送ると、俺の背後に控えていたメイドがグラスにワインを注ぐ。
って言うか、シャルロットと一緒にいる者が酒に弱かったら大変ってなに? なんかよく分からないけど、酔っ払ったフリをした方が良い気がしてきた。
……なんて、伯爵夫妻を前に酔っ払うなんて、たとえフリでも恐くて出来ないけど。
「ところでアベルさん」
「はい……なんでしょう?」
アウラさんに視線を向けられ、俺はゴクリとワインを飲み下した。
「娘は無事の便りをよこすだけで、近況はあまり知らせてくれなかったの。だから、冒険に出ていたあいだのことを聞かせてくれないかしら?」
「あぁ……分かりました」
助かった。シャルロットの話をする方が、無言で向き合ってるよりずっとましだ。
「娘とはずっとパーティーを組んでいるのよね?」
「ええ。娘さんがお屋敷を出たころからですね。最初はダンジョンで魔術の訓練をするための護衛として雇われたんですが、結局そのまま仲間になりました」
シャルロットが募集したのは、メンバーに空きがあって、女性だけか、もしくは男女混合のパーティだったので、エリカと二人でダンジョンに潜っていた俺達が名乗りを上げたのだ。
最初は冒険者の暮らしに戸惑っていたシャルロットだが、困っている人に手を差し伸べる優しい性格をそのままに、冒険者として立派に成長していった。
――と、それらにまつわるエピソードのいくつかを二人に語って聞かせる。
俺の緊張が少しだけほぐれてきた頃、ガチャリと部屋の扉が開いた。そうして姿を見せたのは話題の主、シャルロットだったのだが……さっきまでの魔術使い風の姿とは違う。
シャルロットは青みがかった銀髪を結い上げ、若草色のドレスその身に纏っていた。
「お待たせいたしました」
シャルロットは優雅にカーテシーをしてみせる。いつもの茶目っ気のあるシャルロットとは違う、貴族令嬢としてのシャルロットがそこにいた。
「準備で遅れてるってなんのことかと思ったら、着飾ってたんだな」
「うん。久しぶりだったんだけど……似合ってるかな?」
「ああ、よく似合ってるよ。俺にとってのシャルロットは、冒険者仲間ってイメージが強かったんだけど、やっぱりお嬢様なんだな。ちょっと見惚れた」
感想を口にすると、シャルロットは赤らんだ顔で、にへらと笑った。……にへら?
「えへへ~。アベルに見惚れたなんて言われたら恥ずかしいよぅ。でも……えっと、そんな風に思ってくれたなら、すごく、すっごく嬉しいなぁ」
まただ。あのお嬢様然としたシャルロットが、また甘え口調になってる。
「シャ、シャルロット?」
「え? あ、私、また……恥ずかしい」
シャルロットはパンパンと自分の頬を軽く叩き、優雅な仕草で俺の隣の席に座る。良かった、なんか知らないけど、冷静さを取り戻してくれたみたいだ。
「さて……お母様。お父様から聞いていると思うけど、あらためて紹介いたします。彼はアベルくん。私が将来添い遂げるべく誓いのキスを捧げた相手です」
はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?
――と、叫びたい衝動を必死に我慢した俺頑張った。超頑張った!
って言うか、なに? なにをいきなり暴露しちゃってるの!? 伯爵家のご令嬢が、死が二人を分かつまで、俺以外と結ばれることが出来なくなったという宣告。
殺される、俺殺されちゃう!
に、逃げるか? ……いや、ダメだ。
なにを思って暴露したのか知らないけど、ここで逃げたらシャルロットまで敵に回す。既に夫妻は敵に回ってるはずだから、せめてシャルロットは味方になるように立ち回ろう。
俺が夫妻に殺されかけたら、シャルロットも失言に気付いて味方してくれるはずだ。
「アベルさん」
「……はい」
来るぞ、来るぞ……攻撃魔術か、はたまた別の攻撃か。シャルロットの母親であることを考えたら、きっと攻撃魔術だろう。
だが、俺だってSランクの冒険者だ。たとえ屋敷を吹き飛ばすような一撃だったとしても、必ず防いで生き残ってみせる!
俺はアウラさんに一挙動に意識を集中しながら、アイテムボックスにしまってある、秘蔵のアーティファクトを取り出す準備をした。
高価な大粒の魔石を代償に、強力な攻撃をも無効化する奥の手の一つ。これなら、アウラさんの攻撃魔法がどんなに強力でも、きっと防げるだろう。
俺はアウラさんの挙動に集中し――いまだ!
アウラさんが唇を動かした瞬間、アーティファクトによる結界を展開する。その直後、アウラさんから放たれた風の刃がシャルロットに襲いかかり――結界の前で消失した。
……………………あれ? 狙われたの、俺じゃなくてシャルロット? というか、いまの威力じゃドレスだって切り裂けないぞ? 一体なにがどうなって……
「アベルさん」
「は、はい?」
「その結界はもしや、アーティファクトによるもの……ですか?」
「え、あ、そうです」
「やはり、アーティファクト……」
「い、いや、違いますよ」
「違うんですか?」
「いえ、たしかにアーティファクトですけど、いまのは、別に全力で防がないと殺されるとか思ったわけではなくて……えっと、そう! 条件反射、条件反射的なあれです!」
自分が殺されると思って、高価な魔石を潰して全力防御したわけじゃないんです! と誤魔化しながら結界を解除する。その瞬間、なぜかブライアンさんとアウラさんが拍手した。
なに、なんなの? なんで拍手? 分かんない、まったく分かんない!
状況説明してくれなきゃ、そろそろ泣いちゃうぞーっ!?
「アベルくん、キミはひとまず合格だ」
「……ご、合格?」
「うむ。試すような真似をしたことをまずは謝罪しよう。だが、シャルロットは我々にとって可愛い娘なのだ。その娘を守る気骨もない者には任せられない」
「……それは、そうでしょうけど」
ヤバイ、ブライアンさんがなにを言ってるのか、本気で意味が分からない。
「すみません。出来れば説明をしてくれますか?」
「ふっ、キミは最初からすべて分かっているのだろう?」
いえ、全然まったくこれっぽっちも分かってません。
……って言っても大丈夫かな? 本気で分かってないから、分かってないって言ったらどんな反応を引き起こすかまるで予想できない。
「えっと、その……そう。分かってはいますが、あなた方の口から聞きたいんです」
「ふむ。そういうことなら説明しよう」
「ええ、ぜひお願いします」
「私達は娘が選んだ相手と添い遂げさせようとは思っているが……最低限、伯爵家の娘に相応しいかは確認する必要がある。だから、アウラは娘に攻撃魔術を放ったのだ。キミが娘を守ろうとするか確認したくてな」
なるほど。俺にシャルロットを護る力があるか試したのか。それは分かったけど……なんで試されたのかが分からない。
だから、続けてくださいと促した。
「結果、キミは高価な魔石を消費するのもいとわずに全力で娘を護った。この先、どんな困難が訪れようと、必ず娘を護り通すというキミの強い意志を見せてもらった」
おぉう。そんな結論に――って違うんです。ただ、自分が殺されると思って、反射的に持ちうる最大の防御を使っただけなんです。
……なんて言ったら、今度こそ最大級の攻撃魔術を喰らいそう。
「シャ、シャルロットを護るのは当然ですから」
俺は命惜しさに素知らぬ顔で言い放った。
シャルロットは俺にとって大事な仲間で、憎からず思っている相手だ。ピンチになったら全力で護るというのは嘘じゃない。
だから……許して。
「……ち、ちなみに、娘が誓いのキスの契約魔術を使ったと聞いて驚かなかったんですか?」
「私は事前に夫から聞いていましたから」
アウラが夫に視線を向ける。
俺も釣られてブライアンさんに視線を向けた。
「私はもちろん驚いたさ。だが、人前で内心を出さないように訓練しているからね。だから私はむしろ、アベルくん、キミの豪胆さにこそ驚いたよ」
なんのことかと疑問に思ったのは一瞬だった。
思い出したのは小さき青薔薇がどうのというやりとり。
ユーティリア伯爵家の紋章はおそらく薔薇。それもきっと青い薔薇。そして、シャルロットとは小さな女の子という意味がある。
つまり、小さき青薔薇とはシャルロットのこと。
だから、あのときのやりとりはおそらく、『彼がお前に手を出したのか?』『私が手を出されることを望んでいるのです』みたいな感じだろう。
それなのに、俺は冒険者としての話だと思って、娘にここまで気に入られるとはなにをしたという質問に、最初から相性が良かっただけだと答えた。
完全に違う意味だって誤解されてるよ! そりゃ、ブライアンさんに豪胆だと感心されるはずだよ。剛毅すぎだよ!
あぁ……俺の人生詰んじゃったかも。
……いや、落ち着け。まだだ、まだ大丈夫だ。俺は誓いのキスを一方的に受けたとき、返事は保留させてくれとハッキリ告げた。
ここでその事実を明確にしておけば、エリカの件がバレても殺されないで済むかもしれない。ここで勇気を出して一歩を踏み出しておけば――
「いや、しかし安心したよ」
俺が口を開く寸前、ブライアンさんがぽつりとこぼした。
「……安心、ですか?」
「うむ。アベルくんが、一途にうちの娘を愛してくれていると分かったからな」
「えっと、それは……」
「ふっ、照れることはあるまい」
照れてるんじゃなくて言葉に窮しているんですよ! なんて、言うべきか? 言うべきだよな。ここで言わないと、取り返しのつかないことになる気がする!
「実は――」
「娘が誓いのキスを捧げた相手が不純な二股男だったりしたら、どんなことをしてでも契約を破棄させようと思っていたのだが……いや、本当に安心した」
「はうっ!?」
「……どうかしたかね?」
「なんでもありません大丈夫です! ……ちなみに、どんなことをしてもって言うのは?」
「契約を破棄する方法は二つ。人として殺すか、男として殺すかだけだ」
……終わった。俺の人生やっぱり詰んじゃった。
対象としか添い遂げられなくなる契約魔術を、二人の女性が俺に使っている。どう考えても、いつかバレるに決まってる。……もう無理だよ。
……い、いや、諦めちゃダメだ。快楽主義の女神様が言ってたじゃないか。誓いのキスのダブルブッキングを隠し続ければ、いつか状況が打開する――って、楽しそうに。
……あ、なんか無理かもしれない。
「そ、そういえば、報告したいことがあったんです」
俺はさり気なく話題を変えた。……いや、ごめん嘘。わりと無理矢理だったかもしれないけど、他に方法がなかったんだよ。
「報告したいことだと?」
「ええ。実は先日――」
かくかくしかじかと、イヌミミ族の要請を受けて魔物退治をおこなったところ、フィールドに通常ではありえないほど魔物が発生していたことをブライアンさんに打ち明けた。
「Dランクの魔物達に、Bランクのボス、か。それはたしかにおかしいな。うむ、良く知らせてくれた。私からギルドに伝えて調査させよう」
「よろしくお願いします」
やったぜ。話を逸らしつつ、目的の達成に成功した。
「ところでアベルくん。キミは政治に興味があるのかい?」
「もちろん興味あります」
娘さんとの関係以外の会話ならなんでも興味あります。
「私とアベルくんは、田舎町でスローライフをする予定なんだよ」
シャルロットが援護射撃をしてくれた。まだ少し頬が赤いけど、さっきみたいに甘えた口調ではなくなっている。元に戻ったのかな?
「ほう、そうだったのか……それはちょうど良い」
「……ちょうど良い?」
なんだろう? 嫌な予感がするのは、俺の気のせいなんだろうか?
「キミに対する試験が決まった。これに合格できたら――正式に娘との結婚を認めよう」
「――ごふっ」
ダメダメダメ、それだけは絶対にダメ!
結婚なんて認められたら、婚約やらなんやら盛大に発表されるに決まってる。そんなことになったら後に引けないし、確実に契約魔術のダブルブッキングがバレちゃうからーっ。
だから、そんな試験は受けたくないからーっ!
――なんて、言えるはずもなく。
「その試験、謹んでお受けします」
俺は神妙な顔で言い放った。言い放つしか……なかった。
……泣きそう。
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