三角関係を乗り切る鍵 3

 ティアの暮らす集落は、北の大きな森の中にあるらしい。ということで、俺はティアと一緒に森を目指して歩いていた。


「ティア、集落は森のどの辺りなんだ?」

「えっと、えっと……」

 ティアがぴょんぴょんと跳ねる。地面に起伏があるせいで、目線の低いティアには森がちゃんと見えないらしい。それに気付いた俺は、ティアの腰を掴んで抱き上げた。


「――ひゃう。ア、アベルさん?」

「これなら、周囲が見渡せるだろ?」

「……え? あ、ホントです! えっとえっと、集落はあっちの方です!」

「ん、分かった。それじゃ、急いで行ってみよう」

 俺はティアを下ろさず、逆に頭の上へと持ち上げて肩車をする。


「ふえ? あ、あの、アベルさん?」

「こっちの方が早いからな。しっかり――掴まってろよ!」

「ひゃあああああああっ!?」

 ティアの悲鳴を置き去りにして、森を目指して走り出した。



「ア、アベルさん、早い、凄くはやいです!」

 速度になれてきたのか、ティアがはしゃぎ始める。

「あんまりしゃべると舌を噛むぞ~」

「えへへ、分かってます。大丈夫――あいたっ」

 お約束過ぎる。こういうところは年相応の子供だな。


「……大丈夫か?」

「いひゃい……へろ、らいじょうぶ、れす」

「まったく大丈夫に聞こえないんだが……」

 むしろ、聞いてるだけで痛くなってくる。


「ホントに、らいじょうぶです。あ、それより減速してください。あの獣道です」

「――っと、あそこだな」

 俺は減速して、ティアが指差した森の入り口へと向かう。


「よし、ここからは歩いて行こう」

 ティアを肩車したまま突入して、高いところで出っ張っている太い枝に――なんてことになったら目も当てられない。俺はよいしょと、ティアを地面に立たせた。


「はいっ。ここまで運んでくれてありがとうございました!」

 ティアがぺこりと頭を下げると、サイドツインのお下げが揺れた。肩車で走っているうちに風でめくれたのだろう。ティアの顔を隠していたフードが脱げている。


「その耳は……」

「え? あ、あぁっ!」

 ティアが慌てて両手で耳を隠す。


「……み、見ましたか?」

「バッチリ見た。ティアはイヌミミ族の女の子だったんだな」

 モフモフな耳と尻尾を持つ人種。エルフと同様に森で暮らすことが多く、身体能力が普通の人間よりも高い。人里に出てくることはわりと珍しい種族だ。


「そっか、それでギルドが依頼を受けてくれなかったのか」

 イヌミミ族やエルフ族の集落は治外法権を持っている。逆に言うと、ユーティリア伯爵にイヌミミ族やエルフ族を保護する義務もない。


「えっと……その、隠しててごめんなさい」

 ティアは隠すことを諦めたのか両手を離す。そうしてあらわになったイヌミミはなにやらしょんぼりとしている。

 イヌミミ族はその内心が耳に出ると聞いたことがあるが……どうやら事実だったらしい。


「別に落ち込む必要はないぞ。俺はまったく気にしてないから」

「……ホント、ですか?」

 耳がピクリと起き上がる。


「ホントだ。俺は他種族に思うところはないからな」

 彼らを亜人種と呼んで迫害する連中もいるが、それはごく一部だ。


「ホントのホントですか?」

「ああ。見た目が多少違っても、同じ人種には変わらないし……あ、ごめん、やっぱり思うところがあった」

 イヌミミがピコピコと元気になるのを目の当たりに、思わずそんな言葉を発した。


「あう……やっぱり、イヌミミ族を助けるのは嫌、ですか?」

「それは嫌じゃないよ」

「えっと……?」

 じゃあどういうことなの? と、つぶらな瞳と、ピコピコ動く耳が訴え掛けてくる。


「みんなを助けたら、報酬にそのイヌミミを触らせて欲しい」

「ふえぇえぇっ。ティアの、イヌミミを、さ、触りたい……の?」

 ティアが慌てふためいて、恥ずかしそうに両耳を隠した。


「ああ、物凄くモフりたい」

 村に住んでた頃、世話をしてた狩猟犬がモフモフだった。あのときのモフモフとした触り心地が最高で、いつかペットとして飼おうと思っていたのだ。

 いや、別にティアをペットにとか思っているわけではない。ないけど……ティアの毛並みは、あのときのワンコよりもモフモフしている。ぜひともモフりたい。


「わ、分かりました。アベルさんがちゃんと集落を救ってくれたら、ティアの耳をモ、モフっても、い、いいです……ょ。~~~っ」

「おぉ、ありがとう。すっごくやる気が出た」

 よぉし、ティアをモフモフするためにも集落へ急ごう!



 そうして森の中を進むこと一日足らず。森の中で一泊明かして、次の日の昼過ぎになってティアの暮らす集落へ到着した。

「ここがティアの暮らす集落の入り口だよ~」

 この一日ですっかり打ち解けたティアが無邪気にクルクルと回る。

 既にフード付きのローブは脱ぎ捨てており、冒険者服の姿にクラスチェンジ。モフモフなイヌミミだけでなく、お尻から伸びるモフモフなシッポが揺れている。実に眼福である。

 どさくさに紛れて、少しくらいモフっても……


「ひゃうっ!」

 ティアがぴょんと跳ねた。いいいいや、俺じゃないよ? 俺はモフってもバレないかなと思っただけで、まだモフってない。俺を犯人扱いするのは冤罪である。


「ティア、どうしたんだ?」

「え、あぁ……そっか。アベルさんは聞こえないんだね。いま、イヌ笛が吹かれたの」

「イヌ笛?」

 たしか……人間には聞き取れないような高い音で鳴る笛、だったかな。

 ……って、それが吹かれた?


「そのイヌ笛、どんなときに吹かれるんだ?」

「あ、そだ! 笛は緊急事態の合図だよ! この集落に魔物が来たのかも!」

 ティアが慌てるけれど、俺は違うだろうなと思った。

 タイミング的に考えて……


「お前は何者だ!」

 ――ほら来た。

 ガサガサと周囲の草むらが揺れて、周囲に人の気配が集まってくる。

「え、え? みんな、どうしたの?」

 緊急事態の対象が自分達だったとは思ってもみなかったんだろう。混乱するティアを庇うように、俺は一歩前に出る。


「俺はティアに頼まれ、この集落を助けに来た人間だ。お前達イヌミミ族に危害を加えるつもりはない! どうか話を聞いてくれ!」

「ティア……だと?」

「おい、見ろ。横にいる子供、ティアじゃないか?」

「ホントだ、ティアだぞ!」

 周囲の木陰から、ゾロゾロと人が姿を現す。すべてイヌミミ族の男達のようだ。そんな男達の一人が俺達の前に立った。


「ティア、無事だったのか! 急にいなくなったと聞いて心配してたんだぞ!」

「ギムおじさん、こんにちは! ティア、助けを呼んできたんだよ!」

「……どういうことだ?」

 ギムと呼ばれたイヌミミ族のおじさんが俺に視線を向ける。


「ティアは街の冒険者ギルドに助けを求めてきたんだ」

「ティアが人の街へ? 本当なのか?」

「うん、本当だよ~」

 ティアが無邪気に答えると、ギムは「なんて無茶を……」と顔を覆った。


「事情は分かった。だが、人間に我らを助ける義理はないはずだが?」

「ギルドや領主に、お前達を助ける義務がないのは事実だ。だが、今回ここに来たのは俺個人の気まぐれだ。集落に対して報酬を求めたりもしないから安心してくれ」

「報酬を求めない、だと?」

「まぁ色々あってな」

 女神様のお告げ云々は論外だし、モフモフ目当てと言ってロリコンと間違えられたらたまらない。だから誤魔化したんだけど、いぶかるような目で見られてしまった。


「人間は信用できないか?」

「いや、人間と一括りにするつもりはないが……正直、いきなり無報酬で助けてくれると言われても信じられない。少し話を聞かせてくれないか?」

「なら、ティアを家に送り届けながらで良いか? 心配してると思うんだ」

「分かった。……俺はギム。自警団の隊長をしている」

「俺はアベルだ、よろしくな」

 がしっと握手を交わすと、目前にイヌミミが飛び込んでくる。

 中年の渋いイヌミミ……ありだな。


 それはともかく、ギムに依頼を引き受けた経緯――といっても、俺の気まぐれなのだが、それを話ながら、ティアの家を目指して小道を歩く。

 森の中にある小さな集落。切り開かれた小道の左右には、小さな木造の家がポツポツと建ち並んでいる。ティアがそのうちの一つに駆け寄った。


「ここがティアのお家だよ! お母さん、ただいまーっ!」

 満面の笑みを浮かべて家に飛び込んでいく。

 俺がその後に続こうとすると、ギムに引き留められた。


「……なんだ?」

「お前に一つ言っておくことがある」

「うん? 心配しなくても、ティアの家族はもちろん、イヌミミ族に危害を加えるつもりはまったくないぞ?」

「それは無論だが、そっちじゃない。アリア――ティアの母親のことだ」

 少し重苦しい口調。


「ティアの母親がどうかしたのか?」

「夫を失って以来、細腕一本でティアを育ててきたんだが……いまは重い病気を患ってな。ずいぶんと長い間床に伏しているんだ。おそらく……もうあまり長くはない」

「そう、か……分かった。その辺を配慮するよ」

 うっかり失言をしないように、その事実を意識に留める。


「頼んだ。……では、俺はお前から聞いた話を仲間と吟味してくる」

「ああ、分かった」

 ギムを見送った後、ティアの後を追って家の中に。玄関を上がると、リビングのような小さな部屋がある。でもって、その奥にある扉の一つが開いている。


「あ、アベルさん、こっちだよ~」

「分かった、いま行く」

 ティアに招かれて部屋に入ると、薬草の匂いが鼻についた。でもって、質素なベッドに、二十台半ばくらいの女性が横たわっている。この人がティアの母親だろう。

 事前に聞かされていなければ、思わず息を呑んでいたかもしれない。それほど、ベッドに横たわるティアの母親は弱々しく見える。


「あなたがアベルさん、ですね。私はティアの母親で……ごほっ。アリアと言います。このような姿で出迎えることをお許しくださいね」

「こちらこそ、急にお邪魔してすみません」

「いいえ、とんでもない。……娘から色々と聞きました。私達イヌミミ族を助けてくださるそうで……ごほっごほっ。ありがとう、ございます」

 咳が深い。軽い風邪とか、ちょっと咳き込んだとかとは明らかに違う咳だ。ギムがいってた通り、なにか重い病を患ってるみたいだ。


「――ティア、悪いけどお隣のおばさんのところに卵を届けて、ミルクと交換してもらってくれるかしら?」

「うん、分かったーっ!」

 ティアはぴょんと跳ねて、元気よく部屋を飛び出していった。

 そうして、俺とアリアさんは二人っきりになる。それはおそらく、アリアさんの望んだ結果。一体なにを言われるのだろうと、俺は背筋を正した。


「アベルさんは、どうしてティアの頼みを聞き届けてくださったんですか?」

「ただの気まぐれです」

 困ってるティアを見て助けてあげたいと思ったのは本当。だけど、他に用事があったらこんな風に助けたりはしなかった。だから、ただの気まぐれだ。


「そうですか……こほ、ごほっ。では、イヌミミ族だと知ったのは、いつですか? イヌミミ族だと知って驚きませんでしたか?」

「知ったのはここへ向かう途中です。そのときはびっくりしました。人里にはあまり現れないって聞いてましたから」

「そうですか……」

 アリアさんは痛ましい表情で、けれど頬をほんの少し緩めて見せた。いまのやりとりで一体どんな答えを導き出したのか、アリアさんは「アベルさん」と再び口を開き――


「娘にモフモフさせて欲しいと言ったそうですね?」

 切り出された言葉に、俺はビクンとなった。

 

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