第72話、悪魔にも似た契約を恐れよ。上

 先日、佐藤亜月さんは紅茶だけでなくそれを入れるカップにも拘るべきだと熱弁してくれていた。彼女が言うには、紅茶というものは100℃や95℃のような熱湯で淹れるのが常識なのだそうで、そんな熱い紅茶を美味しく飲むためには、カップが口に触れる部分の広さや薄さ、傾きや深さ、紅茶の入る量や熱の伝わりやすさに至る全てに気を使うべきなのだとか。

 そんな彼女の家には、柄や形の異なる食器が100を超える数も用意されているのだとか。


 さて、そんな紅茶や食器にとても強い拘りを見せる彼女が、本日用意してくれたのはチャイと呼ばれるミルクで茶葉を煮込み甘く味付けたものだった。

 彼女はそれを、薄いカップでも口の広いカップでもなく、ずっしりと重たいマグカップに入れて用意していた。


 俺の口の中を、ミルクの滑らかな食感と甘い香り、そして色んな香辛料が入れ混じった茶葉の味が広がっていく。

 舌先、鼻、そして喉を順に潤していき、いつしか心の中まで温まる。

 そんな感覚に襲われながら、俺はゆっくりとマグカップをテーブルの上に置いた。


 佐藤亜月さんは、まだ先程とポーズが変わっていない。


 両手で重そうに容器を持ち上げ、顔の表情が見えない絶妙な角度で口をつけ、喉を鳴らしている。


 俺は、ちゃんと彼女に俺の発言が伝わっているのか不安になってきた。もしかしたら勘違いしっぱなしで、どうやって気を使おうか悩んでいるのではなかろうか。

 彼女の事だ、優しさを清純で塗り固めたような人だ。きっと俺と俺の恋人が幸せになれる方法はないかと悩んでいるに違いない。

 あぁ、なんて素敵な人なんだろう。しかし、そこまで考えてもらわなくとも、俺とバーニングさんは恋人でもなんでもない。単に今朝知り合った程度の間柄なのだ。


 そうだ、今朝知り合っただけの人だとちゃんと伝えよう。それが伝わっていないから、亜月さんもどうしたらいいのか分からず困ってしまったんだ。

 そうと分かれば言うことはひとつ。


「あの、佐藤さん……!」


 俺が決心を顕に顔を上げた時、そこには頬杖をついてニンマリと笑うガトーショコラの姿があった。


「あはは♡ ダーリン健気すぎ♡」


「ガトーショコラッ!? いつの間に!?」


 その背格好や声は確かに佐藤亜月そのものだ。なにせ体は佐藤亜月さんのものなのだから、それはそうだろう。

 しかし、明らかに人ならざる者としての存在であることは彼女の出で立ちからも想像が容易い。

 死んだ魚を焼いて放置したかのような真っ白の瞳、黒くボサボサに荒れ果て血の気を失った髪の毛、精気を吸われたかのような病的な肌。

 そう、この街に怪人フラワーを召喚し続ける張本人。この街の真のラスボス、ガトーショコラなのだ。


「いつの間にって、失礼しちゃうな〜♡ アタシ何も悪いことしてないのに♡」


 よく言うよ、自分がどれだけ街に被害をもたらしてるか考えてすらいない。


「ちなみに、ダーリンが『佐藤さん、実はバーニングさんと俺は何の関係もないんです』ってカッコよく言い切った時からアタシだよ♡」


「……は? じゃあ佐藤さんは?」


「ダーリンの努力虚しく何も聞いてないんじゃないかな?」


 こいつ……とことん俺の恋路を邪魔しに来るっ!


「まぁ、多分あのタイミングで本当のこと全部話したって、亜月ちゃんは信じなかったと思うよ♡ チャイは邪道とか言ってた子が落ち着くことを優先するくらいだもん」


「お前みたいな寄生虫が知ったような口を聞くなよ。佐藤さんはお前とは比べ物にもならないくらい純粋無垢で素敵な人なんだからな?」


「あはは♡ ダーリン、それは買いかぶりすぎだよ? 恋は盲目……なのかも?」


 いちいち見せるドヤ顔が本当に腹立たしい。しかし俺は男だ。ヒーローだ。ジェントルマンだ。俺の恋路を邪魔したことは断じて許されないが、それよりも先に問い詰めるべきことがある。


「それよりお前、今日はなんのために怪人フラワーを召喚したんだ?」


 カップの中のチャイを全て飲みきった俺は、目じり釣りあげ声色を低くしたまま問う。それに対し、彼女は何も悪びれる様子なく答えた。


「花占いがしたかったからだよ♡」


 こいつ……。


「お前、そんな事のために俺だけでなくバーニングさんまで危険に巻き込もうとしたんだぞ!」


「あれ? やっぱりダーリンはあの赤髪おばさんがお好みなの? 年上好きだったんだ〜? へぇー」


「適当に話をはぐらかそうとするな! 心が読めるんならバーニングさんと俺には何も無いことくらいすぐ分かるだろ!」


 嫌味たっぷりのニヤケ顔を浮かべたバケモノは、口角を上げて笑いながら反論する。


「心を読むのは色々条件があるから普段は出来ないの〜♡ 今日のダーリンは特に無理♡ だから、本当は赤髪おばさんが好きだという可能性も捨てがたいのよ♡」


 こいつ、とことんふざけてやがる。


「俺とあの人はそんなんじゃない!」


「でも赤髪おばさんはダーリンの恋人って自称したじゃん?」


「それはあの人が言葉の意味を履き違えてるだけだ!」


 というか、今気づいた。


「そういやお前、俺の事好きとか言ってたよな? お前こそ身勝手な恋愛感情とかで怪人フラワー召喚してバーニングさんを危険に晒すんじゃねぇよ! アイツらが自爆して燃えてくれなかったら、今頃俺もバーニングさんも無事だったか分からないんだぞ?」


「……え?」


 突然、ガトーショコラは紅茶をテーブルに置いて身を乗り出した。


「マリーゴールドが自爆した……?」

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