第71話、その部屋は彼女のために。
佐藤亜月がシャワーを浴びるため席を外していた頃、シェアハウスの二階では、今まで沈黙を保っていた一室に明かりが灯っていた。
「ここが一応バーニングさんのお部屋です。お風呂やリビング、娯楽室なんかは全部一階の共有スペースにあります。トイレはこの通路の反対側。一階も同じ位置にあります。一応各部屋には防音対策がされていますが、暴れすぎないでください。それと、俺の部屋はバーニングさんの向かいですが勝手に入らないでください。この家、部屋ごとに鍵は無いんでちゃんとパーソナルスペースは守るように配慮ある行動を心がけてください。あ、それとバーニングさん。あなた見るからに大人なんですから、もっと節度ある行動を心がけてください。弱い人を脅して金をせびるとかやらないでくださいよ? ちゃんとバイトするとか、仕事見つけるとかしてお金稼いでください。それと──」
その日の夜。俺は、イライラと沸き立つ感情を必死に抑えながら、バーニングさんへ部屋の説明をしていた。佐藤亜月さんは結局俺とバーニングさんの関係を誤解したままだ。
恋人じゃない。そう説明しようと口を開きかけた程よいタイミングで、この赤髪女は何度も何度も割って入ってくるのだ。
「──バーニングさん、ちゃんと聞いてますか?」
せっかく昨晩から今朝にかけて、佐藤亜月さんと上手くいってきたというのに。少し仲良くなって、俺のヒーローとしての秘密も共有できて、これから少しづつ距離を縮めていこう。そんなふうに考えていたのに。ぽっと現れて場を掻き乱してくれたこの同居人と来たら、俺の説明も聞かずに部屋を物色している。
「バーニングさん。聞いて下さい。あなたが『妾はこのマツモトキヨシから説明を受けたいのぉ』なんて言うから佐藤さんが気を使ってお風呂入っちゃったんですよ? 本来なら今頃食後の紅茶とデザートをいただきながら、高校生活初日目の話題で盛り上がっているはずなんですから!」
と、怒り心頭で口走る俺を、彼女はキッと睨みつけた。まるで遊郭辺りで仕事でもしていそうな派手な和装に、真っ直ぐな長い髪。室内なのに輝いて見える赤と黄色のオッドアイ。そして、整った顔立ち。一言で表すのなら『美しい』という言葉が最も適切だろう。そのためついつい油断してしまう。忘れてしまうのだ。この女性、お淑やかに見えて実は小学生を軽々と片手で持ち上げることが出来る筋力の持ち主だということを。
俺は一瞬にしてたじろいだ。脳裏の大半を占めるのは恐怖。慌てて数歩後ずさる。同時に両手を前に倒し、脇を閉めて咄嗟の防御が出来るように体制を整えた。
そんな俺に滲みより、バーニングさんは口をゆっくりと開いた。
「うぬは妾が邪魔と申すのか?」
その言葉は、今日彼女と知り合い話した中で最も重みのある声に聞こえた。どこか悲愴感の溢れる、それでいて怒りの交じった声だ。
俺はその圧に負けて首を横に振る。
「め、滅相もございません。バーニングさんが邪魔だなんて。引っ越してきてくれて嬉しいくらいですよ! こ、こんな美しい方と一つ屋根の下共に暮らせるなんて、ラッキーの次元を超えてハッピーですよ!」
「……ふむ、まぁよい。妾は寝る。また明日、話をしよう」
その瞳は、どこか影を帯びていた。言いたいことは山ほどあるが、今はその時じゃない。そんな雰囲気だ。俺は察しが悪い方ではない。ヒーロー活動において、周囲の評判や目線というものはどうしても気になる要素だった。だから相手が何を思っているのか、表情からだいたい予想することが出来る。
今のバーニングさんの顔に浮かんでいたのは、怒りでは無く純粋な
「バーニングさん!」
どこか萎れて見えるその後ろ姿に、俺は思わず声をかける。
「お、おやすみなさい。また明日……」
しかし、なんと声をかければいいのかも分からず、俺は手を振ることしか出来なかった。
「おう、松本ヒロシ、また明日の朝」
そう言って笑う彼女の表情を見て、俺は気づいた。彼女はこの街でまだ、孤独なのだと。
「……」
ゆっくりと閉められた襖の先を、ただ黙って見つめる事しかできない俺に、ふと背後から声がかかる。
「やっぱり、そういう仲なんですね」
慌てて振り返ると、底には髪がまだ乾ききっていない美少女が立っていた。
「あ、佐藤さん! いや、違うんです。その、それは誤解で」
「いえ、いいんです。お部屋への案内をお願いしてしまい申し訳ございません。それより、紅茶が入っていますよ。飲みますか?」
こっちもこっちで複雑な表情だ。いや、それもそうだろう。カップルがシェアハウスにやって来たと思うと、気まずくて仕方ないはずだ。ちゃんと誤解を解かなくては。
「いただきます」
そう頷くと、彼女は優しく微笑んで先導してくれた。
「今夜は落ち着きたかったので、チャイをご用意しました。作るのは初めてだったので、失敗しにくいダージリンのチャイです。ミルクはあまり拘っていないのですが、シナモンと砂糖には拘りましたよ? それと、こっそりカモミールもブレンドしてみました。お口に合うといいのですが」
彼女が話した通り、一階に降りた途端甘い香りが備考をくすぐる。ホッと一息つきたくなる優しいミルクの香りと、それに混ざった甘さと苦さが混在する複雑な空間。
俺は彼女に促されるまま椅子に腰かけ、ゆっくりと口を開く。
「佐藤さん、実はバーニングさんと俺は何の関係もないんです」
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