第22話、それは勝利のようで。

 ガトーショコラは俺の投げた椅子に頭をぶつけ、その痛みと怒りで自分の魔法に溺れている。ざまあみやがれってんだ。

 どうやらガトーショコラの出す魔法は自信にも影響があるらしく、ダイヤモンドの時は彼女も嘘がつけずにいた。そしてアクアマリンの状態では怒りの感情に溺れればその肉体も文字通り溺れて呼吸が出来なくなる。


「ゴボボッ……くっ! ダーリン……逃がさなっゴボッ」


 人は溺れると呼吸することを求めるがあまり筋収縮が強制的に起こるらしい。冷静な判断が出来なくなり、体は強ばる。そのためにほぼ身動きが取れない状態にまで陥ってしまうのだ。

 本来ならこのチャンスを逃すまいと追撃に出るのだが、今回それはなしだ。今の俺は一文無し。つまりトランス能力が発動できない状況にある。確実にこの女を倒す為にも、今は『さくせん:いのちだいじに』だ。わざわざ自らを危険に晒す必要は無い。


「という訳だ。また会おうガトーショコラ!」


「どういう訳よ! ガボガバッ」


 上手いこと煽りも入り、彼女は益々息が出来ないようだ。さぁ、今の内にそさくさと……ん? 待てよ、いくら椅子が突然飛んできたからとはいえ、何故その場から逃げようとしなかったんだ。わざわざ撃ち落とそうとまでして……。

 それに、よく良く考えれば俺がテーブルと椅子でバリケードを張って攻撃を凌いでいる間に、近づくだとか回り込むとかすれば良かったはずだ。そうすればわざわざバリケードを破壊する必要も無いわけだし、もっと早く勝負は着いていたはず……。何故それをしなかったのか……。そもそも、いくら呼吸ができなくて焦っているとはいえ、何故先程から身を隠そうとしないのか。俺の攻撃は怖くないのか……? いや、そんなはずは無い。彼女はまだ俺のトランス能力のタネを知らないはず……。


「ははぁん、なるほどな」


 抜き足差し足忍び足で玄関に向かっていた最中ではあった俺だが、即座に踵を返してガトーショコラを睨めつける。俺は半信半疑ではあるものの、どうやら彼女の弱点に気づけたようだ。もしかすると、トランス無しで倒せるかもしれない。どうせ今この家から逃げたところで、ゆく宛もない。ならいっそ、今ここで決着をつける方がいいのではないか。ああ、その方がいいに決まっている。


「覚悟しろよガトーショコラッ!」


 そうと決まれば先制攻撃だ。先程までバリケードとして機能していたテーブルの片側を担ぎ上げて、俺は一気に駆け出した。目標はガトーショコラだ。俺の体にはいくつか切り傷だとか打撲だとかがあって、正直これ以上動かしたくはない。だが、そんな事よりも今目の前にぶら下がった勝利の可能性に齧りつきたくて仕方が無かったのだ。何せ俺は貪欲だからな。殊更ことさら勝利に関しては強欲の化身だ。


「ちょっ、ダーリン、な、あ、危ない、危ないから!」


「どうしたガトーショコラ、何をそんなに焦ってんだ? お望み通り顔を出してやったぜ!」


「テーブルが邪魔で顔見えないよッ! ってか危ないからこっち来ないで!!! お願い、い、嫌ァァァ!」


「嫌よ嫌よも好きのうちだろ! ほれほれほれほれ!」


「ちょ、ほ、ほんと無理、お願い、辞めてっ!」


「どうした? 少し強引な方が好きなんだろ?」


「いや、お願い来ないでッ!」


 全力疾走だ。これまでで一番本気で走っただろう。全身の筋肉に命令を送り、ただただ前へ突き進む。目指すはガトーショコラだ。

 彼女も慌てた様子で水の刃を俺目掛けて放ってきた。しかしその全てがテーブルにぶつかり弾かれる。彼女の放つ水の刃一枚一枚がテーブルに直撃する度、強い衝撃が両腕を走ったが、そんな事気にしている暇もない。俺はただただ駆け抜けるのみ。そう、ガトーショコラをぶっ潰すのみだ!


「死に晒せェェェエエエッ」


「こ、来ないでぇぇぇっ!」


 ガトーショコラが必死になって叫んだ瞬間、俺が抱えたテーブルが彼女と衝突した。ゼロ距離で無数の水の刃が発射され、爆音が鼓膜を揺さぶる。弾け飛ぶダイヤモンドの欠片、柔らかい肉体にぶつかった衝撃、そのまま引きずる音、そしてダイヤモンド化した壁へ激突。その全てがスローモーションに感じた。

 ガトーショコラの肉体は今壁に押し付けられている。水の刃も飛んでは来ない。俺はそれでもテーブルを必死に押した。壁とテーブルの間に挟まれ、押しつぶされたガトーショコラがなにか口にしようとする。しかし、彼女からは水中で溺れるような音しか聞こえてこなかった。


「……くっ……ゴバゴバゴボッ…………ダーリン……グボッ……ダーリンの意地悪ッ!」


「相手が悪かったなガトーショコラ。お前のアクアマリンの能力は見切った。お前それ、攻撃用の能力じゃないな。むしろ援護や防衛向きだ。恐らく固定砲台になり、永遠に自己修復を繰り返す能力。『聡明な聖女アクアマリン』はその場から動くことが出来ない。そういう事だろう?」


「だから……だから何よッゴバッ」


「……俺の勝ちだ、諦めろ」


「…………」


 俺の脳裏で、勝利の鐘が鳴った。

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