ヤットイイカエセマス

 電車に揺られ、一本松駅に到着し、徒歩で歩くこと数十分。

 スマホの地図頼りに到着した瑞宝寺は、この前来た『おいちゃん食堂』からさほど離れていない場所にあった。


 訪問して事情を説明すると、住職は留守だったようだが、お寺の住職さんの奥さんらしき女性が中原俊哉さんのお墓を調べてくれて、案内までしてくれるという親切ぶりだ。


「ええと……こちらになりますね」

「わざわざ案内までしてもらってすみません」

「いえいえ。……あら?」


 少しひんやりとした墓地。空気も穏やかに動いている、そんな光景の中。案内してくれている女性が、何かに気づいたような声をあげる。

 それを受けて前を見ると、スーツ姿の男性が、誰かの墓の前から立ち上がるところが遠目で確認できた。


 俺たちに気づいたせいか、その男性は立ち上がってすぐに墓の前を離れ、俺たちのほうへ向かって歩いてくる。そのまま帰るつもりなのだろう。

 歳は四十代後半くらいだろうか。きっちりと整髪料で整えられた髪型は、なんとなく会社重役っぽいような、そうでもないような。うちの父さんとは違った意味でダンディな風味を醸し出している。


 そうしてすれ違おうとしたとき。

 俺たちの前にいた女性が軽く会釈をし、近づいてきた男性もつられて会釈を返してくる。


 だが。


「!!」


 顔をあげた男性の目が、会釈直後に驚きを宿して見開かれた。そのまま男性の歩みが止まる。


 何に驚いているのだろうか。俺たちのほうを見て──いや、違う。この男性は、俺の後ろにいる香織を見て驚いているのだ。


 少しだけ、時が止まったような、そんな感覚。ただでさえひんやりした墓地の気温が、さらに下がったように感じられる一瞬であった。


「……??」


 香織は何か疑問に思ったかもしれないが、それでも先導役の女性につられるかのように、無言でペコリとお辞儀をした。慌てて俺も香織に合わせると、男性は我に返ったように頭を左右に軽く振って再度会釈を返してきた。


 そうしてそのまま、男性は何事もなかったかのように俺たちとすれ違い、そのまま進んでいった。

 思わず俺は立ち止まり振り返ってしまうが、当然男性は振り返る様子もない。ただここから去ろうとしているだけだ。


「……兄さん?」


 香織に声を掛けられ、ハッとする。

 突然起こった出来事に、イマイチ反応しきれないのが情けないやら何やら。


「あ、ああ、すまない」

「どうかしましたか?」

「……いや。ところで、香織。今の男性……どこかで会ったことあるか?」

「? いいえ。記憶にはありませんけど」

「……そうか」

「??」


 香織が嘘をついている様子は感じられない。間違いなく知らないのだろう。だが、あの男性は少なくとも香織を知っているような感じだった。そしてあの目には、ここで出会うことが信じられないという意味もこもっているようにも思えた。


 なにかもやもやとした思考の中、案内してくれる女性の後を追いかける。


「……はい、ここですね。中原様のお墓」


 その言葉が示していた墓石は、決して立派ではない、ほんのわずかな寂しさを知らない人の心にも湧き上がらせるような、悲しいものだった。だが、心ばかりの新しい花と、ついさっき火をつけたばかりの線香が煙を上げている。


「あの男性の方……もしかして同じ墓に?」

「そうみたいですね。あの方は、定期的にいらっしゃいますよ」

「……」


 定期的に……か。ということは、生前の香織の前の父親──俊哉さんを知っている、いや、親しい間柄だったのだろう。それならば、香織のことをしていてもおかしくはないはず。


 俺はそう結論付けて気を取り直し、途中で買ってきた花を挿して、ライターで線香に火を点けた。


「では、私はこれで失礼します。何かありましたら、声をおかけくださいね」

「あ、はい。ありがとうございました」


 案内役の女性は、そう言って本堂のほうへ戻っていった。

 俺は火を点けた線香を、半分香織に渡す。


「ほら」

「あ、すみません、兄さん」

「ああ。まずは、形式的に墓参りを済ませよう。それから──」


 ──香織が俊哉さんに伝えたいことを伝えればいい。


 俺たちは線香を供え、二人並んで手を合わせて目を閉じた。

 無言状態が一分ほど続く。お墓の前で無駄口など叩けるわけもない。


 俊哉さん、か。

 俺にとっては、香織の元義父で、美久の実父で。感謝したい部分もあり、憎からず思う部分もあり。

 直接会ったことはないが、俺にとって大事な義妹と幼なじみに、深くかかわっている人物で。


 何を思えばいいんだろうな。


 そんなことを思いつつ目を閉じたままいると。


「……お父さん」


 香織が不意に口を開く。思わず俺は目を開けて香織のほうを見てしまうが、まだ香織の目は閉じられたままだ。


「……わたしは、今、笑えてます。幸せです。そう思える毎日です。前にお父さんから言われた──お前みたいな子どもが、幸せになれるはずがない、おまえなんて誰からも必要とされてない、なんて言葉を、忘れてしまえるくらい幸せです。いえ、忘れたいです。だから、今なら──言い返してもいいですよね」


 声は小さく、震えている。

 そして香織の独白から、俊哉さんが生前、香織に向かってどんなひどい言葉を言ったのか、理解してしまった。


 その暴言を俊哉さんが香織にぶつけたころはきっと、会社を追われた俊哉さん自身が荒れていた時期だったのだろう。


 それでも、だからといって許されるものではない。言葉の暴力。それは立派な虐待だ。

 幸せラーメンを食べた時に許したはずなのに、やっぱり俊哉さんを許せないかもしれないなんて、俺の心はブレブレである。


 ──ああ、そうか。

 ようやく俺は、電車の中での香織の言葉の意味を知る。

 香織をおそらく今まで縛っていたであろう、言葉による虐待。そこから自分を解放したかったんだな、香織は。


「……でたらめばっかり言いやがって……ざまあみろ」


 過去の呪縛から自身を解き放つための、香織の魔法の呪文。

 言葉は悪いが、ひょっとしたら俺の真似をしているのではないか。俺と兄妹になれたことでそう思えたという、香織なりの感謝の表れなのかもしれない。

 それに気づいてつい、香織の行動をねぎらうように震える小さな肩に優しく手を添えると、香織は目を閉じたまま涙を流し始めた。


 ──ははっ。香織も、もう許してあげるつもりだったか。やっぱり優しい義妹だな。

 その涙を受けた後の都合のいい俺の解釈が当たりか外れかは、この時はどうでもいいことでしかなかったに違いない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

微かな誤解と暴走義妹 冷涼富貴 @reiryoufuuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ