チイサナシットトハッポウビジン

「……父さん、ちょっといい?」


 夜になり、香織は部屋に戻り、貴子義母さんは風呂に入っている。俺はまたまたそのタイミングを選び、秀人父さんに話しかけた。


 今日は日本酒のカップを呑んでいる。酒なら何でもいいのだろうか、父さんは。


「どうした?」


 少し機嫌のよかった父さんだが、俺がこのタイミングで話しかけたせいか、緩んでいた口元がやや締まりをみせた。

 間髪入れずに俺は本題を切り込む。


「……美久の実の父親が、貴子義母さんの元旦那だって、知ってたんでしょ?」

「もちろんだ」

「それは、貴子義母さんや香織は……」

「当然ながら知らない。有田家とも面識はないだろうしな」


 即答である。まあそりゃそうか。父さんと義母さんが再婚したのもほんの一年前の出来事だし、要子おばさんはすでに失踪していたし。


 俺は気を取り直して、さらに切り込んだ。


「……じゃあ、貴子義母さんの元旦那が、亡くなったことは?」

「俺は知っていたが、貴子は知らなかった。つい最近までな」

「……最近、まで?」

「ああ。どうやら命日が近かったらしいな。貴子の昔の知り合いらしき人が訪ねてきて、そのことを告げていった」


 父さんは顔色一つ変えずにそう答えてくる。まるで想定内といわんばかりに。


 つい最近。俺はその言葉にピンときた。


 つまり――俺が香織と一緒にニヨニヨ共和国へ泊まったあの日。


「そっか……やっぱり、あの日に須藤さんが訪ねてき」


 俺が『須藤さん』と言った瞬間に、それまで勝者の余裕みたいなものを頑なに崩さなかった父さんが、驚いて日本酒のカップをタン、とテーブルに打ち付けた。


「真一! おまえ、須藤さんのことを知っているのか!?」

「あ」


 そういえば、大奥酒造で働いていた知り合い、と言った記憶はあるが、須藤さんという固有名詞は出してなかった。ついでに、須藤さんと俺が面識があるということは、夕子さんも多分知らないはず。


 父さんの情報源が夕子さんのみとするならば、俺が須藤さんを知っていることは想定外だったのだろう。


「実は、夕子さんの義理の娘と一緒にいるときに、偶然須藤さんと遭遇したんだ。その義理の娘がなついていたから、その流れで」


 俺の自白を聞いた父さんが、額に手を当てて天を仰ぐふりをした。


「……真一が、いちいち事細かに報告しなくて助かったのかそうでないのか、わからんな……」


 父さんのボヤキが、須藤さんから報告を受けた義母さんの反応を容易に想像させる。まあ当然だろう、父さんですら修復に二年かかったと言わしめる貴子義母さんの心の傷。おそらく幸せな毎日に身を置いていたとしても、こういうトラウマは簡単によみがえるわけで。


「……でも、義母さん、帰ってきた日にはそんなに暗くなかったようにも思えたけど」

「前日の夜、俺が必死に癒したからな、当然だ」

「癒した……? 参考にまでお聞きしたいのですが、父上。どのように?」

「…………察しろ」


 察した。

 俺たちに泊まってこいと言ったのはやはりこの理由か。


「香織が同じようにトラウマ復活したときの慰め方として参考にしたかったのに、参考にできない……」

「マネされても困る。というより、思い出させないほうがいいに決まってるだろ」

「……確かにその通りだけど。でも、須藤さんみたいに事情を知っている人が不意に訪問してくる可能性もあるし」

「居留守を使え」

「そういうわけにもいかないんじゃないかと……」

「じゃあ追い返せ」


 だんだん父さんの発言が駄々っ子みたいになってきた。


「なんでそんなに、必死なの?」

「バカ野郎! 貴子の……貴子の初めてを奪ったやつのことなんか、思い出させたくないに決まってるだろ!」

「……はい?」

「ただでさえ女性は初めての男が忘れられないと聞くのに、貴子が前の夫を思い出すと考えるだけで、俺は気が狂いそうになるぞ!!!」

「……」


 え、ええと、父上様。それって、嫉妬ですよね? 単なる。ってそうじゃなくて、俺は香織が『俊哉さんが亡くなった』ことを知ったときにどうしたらいいかを知りたいんですが。


 戸惑いつつも、俺はとある仮定が脳裏に浮かんだ瞬間に、それを口にした。


「まさか、貴子義母さんにあれこれ訊くなって言ってたのは、義母さんへの気遣いじゃなくて、父さんが嫉妬するからな」

「は、はは、ははははは、な、何を言っている真一。もちろんそれもないとは言えないが、た、貴子のことを思いやっての発言に決まっているだろうははははは」

「……」


 思い切り嘘くさい。いや、確かに義母さんを思いやる部分はあるにせよ、そんなところで嫉妬してどうするのやら。それに、今の貴子義母さんは父さんしか見えていないことは、まごうことなき事実だ。


 …………


 都合よく考えると、義母さんは前の旦那である俊哉さんのことを、それほど引きずってない可能性もあるな。


 もしそうならば――――問題は、香織のみとなるが。そのことさえケリがつけば、美久の力になってやれるかもしれない。

 要子おばさんが有田家に戻るために――――俊哉さんの代わりに義母さんと香織に謝罪をして、二人に過去を思い出させることになったとしても、大丈夫ならば。


 自分が体験した辛さでないために、その闇を深くわかろうとしなかった八方美人な俺は、楽観的な思考しかできていなかった。

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