キノマヨイ

「じゃあ、頼んだぞ、朝斗、由里」

「はい! やれることはやります!」

「泥船に乗ったつもりでいるといいですわよ」

「沈むぞそれ」


 須藤さんが立ち去ってからしばらく経ち、各人が少し落ち着きを取り戻したところで、俺たちは食堂の今後について話し合った。


 まず、ラーメンは価格を今の五百円から七百円へと上げることが決まった。

 これに関しては要子おばさんは『安く提供したい』と渋っていたのだが、小汚い建物を改装しないとならないことと、由里が頑なに『安い価格ではその程度の価値と思われてしまう』と主張したからだ。


 まあ、俺なら確かに七百円でも通う。とりあえずはお試しPR価格でしばらく五百円での奉仕をするという形で、要子おばさんを説得した。


 それと要子おばさん一人では、間違いなく人手不足だ。人を雇うことは考えなければならないが、由里の護衛をしている黒服になぜか調理師免許を所持している人がいたので、しばらく手伝ってもらうことになった。


 それでいいのかとは思ったが、当事者の黒服はこのラーメンを食べて一も二もなく了承してくれた。由里には本当に助けられたな。


 あとは食堂内の回転率を上げる工夫としてカウンター席のみにする案も浮上したが、それは店が軌道に乗ってからでもいいだろう。とにもかくにも、今はリピーターを増やして食堂を繁盛させることを最優先に考えなければならない。


「あたしも余裕があれば手伝いに来ようかと思うんだ。みんな、協力してくれてありがとう」


 美久が俺たちへと頭を下げてくるのを受けて、あわてて朝斗が両手を振ってきた。


「み、美久さん、頭を上げてください。ボクたちが美久さんに受けた恩はこのくらいじゃ返せませんから」

「そうですわよ。このくらいで礼など不要です。むしろこんな美味しいラーメンを教えてくださったことを逆に感謝したいですわ」


 朝斗も由里も、本当に義理堅いことだ。なんだかんだ言って、こいつらも優しいやつらだな。


 ――――だけど、もしもこのラーメンを生み出した俊哉さんが、由里の父親である智史さとしさんに社長争いから蹴落とされた元香織の父親、と知ったら、由里はいったいどうするのだろうか。



『敵にはなりたくないが、敵になったら――許せ』



 以前由里に俺が言った言葉が、静かに脳裏によみがえってきた。そして、俺は確信してもいた。


 おそらくは、近いうちに――――


 ―・―・―・―・―・―・―


 朝斗と由里と別れて、俺と美久は帰りの電車で揺られている。


 新しく知ってしまった、須藤さんと俊哉さんの因縁。そして、その贖罪を自己満足と自嘲する要子おばさん。


 俺がまとまらない考えに必死になっていると、肩を寄せて座席に座っている美久が不意に話しかけてきた。


「……ねえ、真一」

「どうした?」

「あたしね……お母さんに『もう家には帰ってこないの? お父さんだって、きっと待ってる』って尋ねたんだ」

「……」


 美久の心情からして、それは要子おばさんに訊いてもおかしくない。予想はしていた。だが――――


「そしたらね、『俊哉が謝罪しなければならない人たち全員にお詫びをしないうちは、帰れない』ってね、返されたの」


 これもある程度予想できた、美久の内容説明であった。


 ――――要子おばさんの言う、謝罪しなければならない人たち。その中には、当然のように貴子おばさんや香織のことも入っている。



『貴子も香織も、俺たちにはわからないくらいつらい思いをしてきた。それを安易な好奇心で思い出させちゃいけない。世の中には、忘れ去るしか対処法がない過去ってのもあるからな』



 父さんにそう言われたことは、もちろん忘れてはいない。だからこそ、俺は要子おばさんの自己満足にすぎない贖罪を手伝うべきかどうか、それをずっと悩んでいた。


 果たして、貴子義母さんや香織は、そんなことを望んでいるのだろうか。いまさらほじくり返さなくてもいいんじゃないか。今のままで、忘れたままで、じゅうぶん幸せなんじゃないか。


 とはいっても、まさかの須藤さん絡みだ。俺が黙っててもそのうち自然とバレてしまうかもしれない。大奥酒造で長年働いていた須藤さんだ、貴子義母さんや香織のことも知っているだろう。由里だって事情は知っているはずだし。


 ――――そう言えば。


 須藤さんは大奥酒造をクビになったと由里は言っていたが。

 俊哉さんが須藤さんのお孫さんをはねてしまったならば、単にクビになっただけなのか非常に疑問だ。実際、須藤さんは以前会ったときに貴子義母さんのことを探している様子だった。


 いったい、どのように思惑が絡み合っているのだろう。

 俺には考えれば考えるほどわからなくなってくる。


「……だからね、あたし、お母さんのいう贖罪ってのを手伝いたいんだ。それが終われば、きっと……」


 美久が、要子おばさんの失踪によって失われた有田家の三年余りの月日を取り戻すべく、そう俺に語り掛けてきたが。


 香織のことを思いやって、美久の幸せを叶わないものにするか。それとも、美久に協力して、香織が幸せである今の暮らしを壊してしまうか。


 どちらも選べない俺は、


「……うまくいくといいな」


 あいまいな返事で、美久に嘘をついた。

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