チチオヤヘノオモイ

「……俊哉さん……?」


 要子おばさんの言葉を聞いて思わず横を向くと、美久は会うことのなかった実の父親のことを偲ぶように、目の前にあった空のラーメンどんぶりを見つめていた。


「真一くん……も、知ってるのよね。幸蔵さんがすべてを話したって、美久から聞いたわ。美久の支えになってくれて……本当にありがとう」


 そのありがとうは、母としての感謝の気持ちなのだろうか。それでも、要子おばさんの眉は、元に戻っていない。


「私は……俊哉と幸蔵さん、二人とも同じくらい愛してしまった。でもそれは、二人を、そして家族さえも同じくらい苦しめるだけで……」


 要子おばさんのその独白が、俺の心に深く突き刺さる。


 二人を同じくらい愛してしまった要子おばさんがとった一連の行動は、確かにみんなを幸せにしたとはいいがたい。


 おそらくだが、俊哉さんも――死の直前に幸蔵おじさんに送った『ありがとう』という手紙の言葉の裏を推し量るならば――幸蔵さんから、そして美久から要子おばさんを奪ってしまった自分のことを、ずっと責めていたのかもしれない。


 そして思わず、俺は自分のことを要子おばさんに重ねてしまっていた。俺は、香織と美久、どちらも大事だ。どちらも多分異性として意識している。


 ――――どうすればいいのだろうか。

 そんな戸惑いを表面に出すわけにはいかない。おれはただ黙りこくって、要子おばさんの次の言葉を待つことにした。


「それでも、幸蔵さんは私に美幸を授けてくれたし、俊哉は『みんなが幸せになれる味だ』と、このラーメンのスープレシピを残してくれた。そして今日、美久がここにきて、私を許してくれた。みんなからもらった愛で、こんな私でも生きていられるの」


 美幸、というのは、おそらく幸蔵おじさんと要子おばさんの子ども、おそらくニヨニヨ共和国で要子さんと一緒にプールにいた、あの子のことだろう。


 美幸ちゃんと、ラーメンの味、そして美久。愛した人から返された愛を大事にして、要子おばさんは今を必死で生きている。


「……お父さん……」


 どんぶりをじっと見つめていた美久のつぶやき。おそらくその『お父さん』とは、幸蔵さんではない。

 お父さんは一人しかいない、そう断言した美久ではあるが――おそらく最初で最後の、俊哉さんに対する気持ちなんだろうな。


 三者三様の考えがそこにはあったんだろうが、しばらく三人とも沈黙したままだ。だが、気まずさから何か言わなければならないという奇妙な強迫観念に動かされ、俺はつい変な質問を飛ばしてしまった。


「そ、それにしても、こんなおいしいスープを作った俊哉さんってすごいですね。でも、なんでラーメンスープを作りだしたんですか? 別にラーメン屋を開いていたわけじゃないですよね?」


 その質問は正解だったか、要子おばさんは『仕方のない人よね』と俊哉さんを思い出すかのような表情をして、経緯を教えてくれた。


「俊哉は大学時代の頃から、飲み会の締めにラーメンを食べるのが大好きだったんだけど……自身が酒に溺れるようになってからもそれは変わらなかったみたいで。お酒を呑んだ後においしく食べられるラーメンが欲しい、とかいって自分で作りだしちゃったのよ」

「……」


 リアクションに詰まった。俺は本当にアドリブに弱い。だが、おい。なんだそれは。


 たったそれだけの理由でこんな美味しいスープを作ったのかよ。天才にもほどがある。俊哉さんって、やっぱり才能あふれる人だったんだな。そりゃ大奥酒造も次期社長として招きたくなるわ。


 俺の半分呆れた顔を見ているのかいないのかわからないが、要子おばさんはそのまま補足説明を続ける。


「……それでね、私がここで働くようになると、レシピを教えてくれたの」




『―――ー俺のとっておき、食べた人全員が幸せになれるラーメンスープのレシピだ。もし要子が飲食店を開く時が来たら』

『――――俺の代わりに、このラーメンでみんなを笑顔にしてあげてほしい。笑顔を増やしてほしい』

『――――それが、かかわってきた人間全員を不幸にしてしまった俺にできる、せめてもの罪滅ぼしだ』




「……ね、バカみたいでしょう? 俊哉って。自分の不手際を、私に押し付けてくれちゃって……」


 精いっぱい笑う要子おばさんの目からは、やや暗めの食堂内でもわかるくらいに涙が流れだす。美久もつられて、うつむいた顔の前にあるラーメンどんぶりに、透明な塩味スープを垂らした。


 そしてその時、俺は俊哉さんを許した。香織と貴子義母さんをつらい目に遭わせた俊哉さんを。

 きっと、俊哉さんは自分の死が現実となってやってきたときに、そのことも後悔していたに違いないから。


「俊哉さんの気持ち、受け取りました。この一瞬だけでも、俺は幸せになりましたよ」


 食べる前のように手を合わせて、俺は強く思う。


 ―――いつか、香織と貴子義母さんにもこのラーメンを食べさせてあげなければならない。

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