じぶんのげんてん

 腹上死―――ー性行為中に死ぬ、っていう、例のあれのこと? 


「ということは、要は世間体とかを考慮して、そのことを大事にしたくなかった、ということでしょうか?」


 俺は、自分の中で納得できるような結論として導き出された言葉を鉄平さんに向けて投げた。


「もちろんそれが一番の理由だろう。だが、問題は誰を相手にしてそうなってしまったか、ということでね」


 鉄平さんは、その内容を肯定しつつも、理由にはさらに謎があったことを淡々と伝えてくれる。


 つまり――――


「……ひょっとして、奥さんとの行為中に死んでしまった、というわけではない、と?」

「その通りだ。……すでにその時には、その元専務の妻とはお互い別居状態だったようだ」


 何か言いよどむような鉄平さんではあったが、その時に注文したアイスコーヒー三人分が運ばれてきた。俺はすでに緊張感からか喉がやたら乾いて仕方がなかったので、遠慮なくストローで三分の一ほど一気に飲ませてもらう。


「その元専務は、評判の良い人物ではなかったことは確かでね」


 その間、ふと漏らされた鉄平さんの追加情報に、ストローを逆流するコーヒーが止まった。


「……どのように、評判がよくなかったんですか?」

「ああ。まず、その男は、未成年時に婦女暴行――昔でいう強姦罪だな。それで捕まっている」

「へっ!?」

「これもあまり知られていないようだな。未成年の罪だし、有力スポンサーである大奥酒造がこのときも圧力をかけたのだろう」

「……なるほど」

「そして、結婚した後は、いわゆるDVを日常的に行っていたようだ」

「……はあ」


 俺は思わずため息で返事をしてしまった。ここでもDVか。

 幸いにも、鉄平さんは特に気を悪くしなかったようだ。何事もなかったかのように話は続く。


「だからこそ、妻と別居状態になったと容易に推測できるが……問題は子供でな」

「……子供?」

「ああ。別居生活になった際には、子供は二人いた。そのうち長女は妻についていき、次女は男のもとに残った」

「! そうだったんですか」


 ということは、だ。長女である貴子義母さんは母親と、次女である慶子さんはその元専務である父親と一緒というわけか。


 ――――って。


「ちょっと待ってください。次女が父親と一緒に住んでいたとすると、ひょっとして父親に……」

「――その通りだ。次女は、DVを嫌い何度も家出をして補導されている」


 俺ですら思いつく危惧の念をあっさりと鉄平さんが肯定してきた。


 そういえば、鉄平さんはなぜか慶子さんのことを知っているようだった。普通、そんなに詳しく名前までは知る機会などそうそうないはず。


「……鉄平さんは、慶子さんのこと知ってましたよね。それは、取材か何かで調べたからですか?」


 つい疑問に思ったことを尋ねてしまったが、鉄平さんは動揺する様子も見せずに、あっさりと俺の質問に答えてきた。


「いいや、私は以前、一本松市の中学校に教育実習をしに行ったことがあった。その時に在籍していたんだよ、次女の――慶子は」

「……はい?」

「私は、大学は教育学部だったんだ。教育実習に赴任した先の中学で、まだ一年生だったにもかかわらず慶子は不良少女として有名だった」

「慶子さんは、グレてたんですか」


 慶子さんに関する貴重かつ希少な情報だ。素直に疑問をぶつけそれをさらに掘り下げようとすると、それまで淡々と話を続けていた鉄平さんのポーカーフェイスが、なぜか崩れた。


「グレてたというよりも、彼女はよく痣を作ってたらしいし、単純に家に帰りたくなかっただけだろう。補導されたのはいわゆるヤドカリ援交が理由だ」

「えっ……」


 ヤドカリ援交――――つまり、誰かに泊めてもらう代わりに、自分の身体を対価として差し出す行為のことだろう。今ですら、家出少女が『神』を探してあちこちにいる。よくあることなのかもしれないが――


「彼女は、見た目はどこにでもいる普通の少女だった。それなのに、私にはどうしようもない理由でそのような非行を続けざるをえなかったんだ」


 無念と後悔の入り混じる口調で熱く語りだす鉄平さんから、俺は目をそらすことができない。


「自分の無力さを痛感した私は、その時に教師への道をあきらめ、こんな不幸な少女を救えるような世の中にしたくて、新聞記者になる道を選択したんだよ」


 鉄平さんが慶子さんのことを覚えているのも当然だ。鉄平さんの人生に多大なる影響を与えた人物なのだから。

 俺は納得し、無言でいることで、さらなる説明を鉄平さんにお願いしてみた。


「そうして新聞社に就職し、ようやく記者として仕事ができるようになってすぐ、大奥酒造の専務で慶子の父でもある人物が亡くなったと聞いた。慶子のことがずっと気になっていた私は気合を入れて取材に行ったが、肝心の慶子の行方はその時すでに分からなくなっていたんだ」

「……」

「代わりに残されていたのは、私が教育実習に行っていた時には存在しなかった、亡くなった専務の三女の存在だ」

「親父、その話は……」


 今まで話の向かう先を黙って見極めようとしていた恭平が、その会話の途中で初めて割り込んできた。


 ――――本当に、こいつはいいやつだ。おそらく、三女が誰であるかを推理したうえで俺に気を遣っているのだろうから。


「恭平、ありがとな。おまえがいてくれてよかったよ」

「……ばっかやろ、真一、そういう問題じゃない。おまえの家庭の事情に突っ込んだ話をしすぎる必要はないだろう」

「いいんだ、俺が知りたがってたことだから。――ひょっとするとその三女は、次女である慶子さんの子どもかもしれないですね」


 俺が戸惑うそぶりも見せずに言い切ると、恭平はおろか鉄平さんまでもが目を見開いてきたのが、なんだかおかしい。


「その可能性はある。ヤドカリ援交の末にできた子供かもしれない。だが、専務が愛人に産ませた子どもの可能性もある。そのあたりは詳しくはわからないんだ」

「……そうですか。重要なお話を聞くことができて、感謝しています。鉄平さん、ありがとうございました」


 心からの感謝を込めて鉄平さんに礼を告げ、改めて考え直す。


 貴子義母さんと元旦那であった中原俊哉さんとの間には、愛があったのかわからない。

 夕子さんからもたらされた情報も加味して判断すれば、香織はほぼ元専務の三女であることは間違いないだろう。


 おまけに、香織は慶子さんそっくりらしい。むろん元専務の子どもである可能性も否めないが、慶子さんが何かしらの理由で出産した、世間に大っぴらにできない子供であることの可能性のほうが確率的には高い。


 しかも、三女の存在を貴子義母さんの養子にして世間的に隠蔽、か。いやこうやって取材した鉄平さんにはバレてはいるけど、当時の大奥酒造を知る一族の人間で、生きているのが貴子義母さんと慶子さんくらいだってのもなあ。


 俺のアイスコーヒーは、二杯目分もすでに空だ。恭平は話が一段落して緊張が解けたのか、やっとアイスコーヒーを飲み始めた。

 鉄平さんは、話を終えた後に自分の過去を思い起こすような目で、喫茶店の天井にあるシャンデリアを眺めているだけだった。


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