あいぞうのゆくすえ

「……少し、酒が過ぎたか。本当にうまい酒だ、これは」


 幸蔵おじさんが、酒のラベルをマジマジと見つめる。すでに中の酒は半分近くなくなっていた。

 ふと夕子さんのほうを向くと、目が真っ赤だ。


「要子、全然不幸なんかじゃ、ないじゃないか……。心から愛する人が、ふたりもいるんだから」


 感極まり涙を流し始める夕子さんに、幸蔵おじさんは照れくさそうな微笑みを向けた。


「要子は、たとえ何があったとしても、もう有田家うちには戻らないだろう。俺ももう会わないことを約束して、別れたんだ。でも、あまりにも、要子が……」


 おじさんが言いよどんだ。その先を口から出してしまうと、どうしようもなくなってしまうのだろう。


 たとえお互いに好きあっていたとしても、幸せになれないこともある。

 きれいごとだけでは済まない世界は、確かにあるのだ。


 だからこそ。


「……おじさん、美久は、今の詳細を知らないんですか? 要子おばさんのお腹の中にいた子供は、おじさんの子だってことも」


 俺は巻き込まれた美久が今度は不憫に思えて、そんな質問をした。


「……ああ、知らない。要子の希望なんだ。俺のもとへ美久を残すために、自分が悪者になる、ってな」

「えっ?」

「俺と血がつながってないから、もしお互い納得して別れたとすると、美久が要子について行ってしまうかもしれない。そんなことを恐れていたのさ、要子は」

「……」

「だが、たとえ円満に要子と別れたとしても、美久はこの家を出ることはなかったと思う」


 おじさんの話が、他でもない俺のみに向けられていた。


「それは、なぜですか?」

「決まっているだろう、真一君が、いるからだ」

「!」

「美久にとっての真一君は、俺と要子とは違って、何があっても離れられない相手だよ。きっとな」

「…………」


 いつもならここで夕子さんのチャチャが入るのだろうが、今の夕子さんはすっかり幸蔵要子ラブストーリーに当てられているようで、反応がなかった。

 おかげで、俺もどう返していいかわからなくなる。


「なのに、美久のやつ、『お父さんをほっておくと、困って途方に暮れるさまが目に見えるようだから、あたしはお父さんと一緒にいるよ』なんてわざわざ言いやがるんだからな。まったく、素直じゃない」


 さらなる追い打ちの言葉、その真の意味は幸蔵おじさんですらわからないだろう。


 ――――そんなに、あの言葉は、美久にとって大事なものだったのか。


「真一君、君と美久は、どうか俺と要子みたいに……なるな。平凡でもいい、先のある未来を見てくれ」


 俺は、先走りも甚だしいその願いを、はぐらかすことはできなかった。かといって何と答えていいかもわからない。

 ゆえに、無言を貫かせてもらうことにする。


 未来、か――――俺と美久の未来は、果たしてどうなっているんだろうな。

 ずっと一緒にいられるのか、それとも別れる日が来るのか。


「そろそろ、美久にも、本当のことを伝えるころかもしれないな……」


 俺の悩みに気づいているのかいないのかわからない様子で幸蔵おじさんはそうつぶやき、コップに残っている吟醸酒を飲み干した。


―・―・―・―・―・―・―


「美久ちゃんのお父さん、寝ちゃったね」

「……そうですね」


 あのあと、幸蔵おじさんは何かの不安を消すためなのか、またまた吟醸酒をあおり、倒れるように寝てしまった。一升瓶は三分の二くらい空いている。


 俺と夕子さんがどうしようかと途方に暮れているその時。


「ただいまー。……お客さんかな?」


 ナイスタイミングで美久が帰宅した。もう六時すぎだ。ちょっと長居しすぎたかもしれない。


「あれ、真一と夕子さん? どうしたの?」


 帰宅するなり美久が定番の訊き方をしてきたので、夕子さんがこの前朝斗と由里を止めてくれたお礼に伺ったことと、それからの流れを説明した。

 

 もちろん幸蔵おじさんが話してくれた内容は伏せて。


「……そう。でも、お父さんがお酒飲むなんて、久しぶりすぎてちょっとびっくりしたよ」

「え?」

「あのね、お父さん、一年ちょっと前くらいから、禁酒してたんだ」

「!」

「だから、なにかあったのかなー、とか疑問に思ってたんだけど。どうやらそういうわけじゃなかったみたいね。お客様の前でこんなにだらしなく酔っぱらうなんて、もう」


 俺は美久の事情説明に、思わず夕子さんと顔を見合わせた。


 ――一年ちょっと前。おそらく、あの手紙が届いたころ。そして、俊哉さんが――


 幸蔵おじさんも、心の整理がついてなかったのかもしれない。きっと、誰かに聞いてほしかったんだろう。


「……そうだったのかい。うん、お礼にお酒を持ってきたのは間違いじゃなかったね」


 そして夕子さんが嬉しそうにそうつぶやいた。俺が今日ここに来たことも、間違いではなかったんだなと理解できた。


「まったく……要子じゃなくて、アタシが先にめぐり会いたかったくらいだね。……美久ちゃん」

「? はい、なんですか?」

「お父さんのこと、大事にしてあげなよ。いいお父さんだよ、本当に」

「……? はい、もちろんです」


 意思の疎通が見られない夕子さんと美久の会話に、思わず吹き出しそうになった。慌てて口元を抑え、美久に向き合う。


「じゃあ、俺と夕子さんはそろそろおいとまするよ。すまないが、あとはお願いできるか?」

「うん。真一も、案内お疲れ様。……また、明日ね」

「ああ。それじゃ」

「お邪魔しました。美久ちゃん、また遊びにおいで。朝斗も由里も喜ぶから」

「はい! 夕子さんもお気をつけて」


 一通りのあいさつを済ませ、俺と夕子さんは有田家から出た。外はまだ明るかった。


「さて、アタシは行くけど……しんちゃん」

「はい、なんでしょうか」

「これ、有田さんよりしんちゃんに渡したほうがいいと思う」


 停めてあった車の前で夕子さんから渡されたのは、なにやら一本松市の住所が書いてある一枚のメモだった。


「なんですか、これ」

「……要子の現住所だよ。ちょいと調べたのさ。思ったより苦労しなくて助かったよ」

「!」


 ひょっとして、夕子さんが日曜に言ってた『面倒が重ならなければ』ってのは……


「アタシの予想では、きっとしんちゃんにこれが必要なときが近いうち来るはずさ。ひょっとして今日かもしれないけどね」

「……それって」


 夕子さんが言わんとしていることは、俺にもわかった。――おそらく、美久も近いうちに――


「ありがとうございます」

「まあ、美久ちゃんを支えてあげなよ。必要なら、一発ぶちこんじゃえ。美久ちゃんのお父さんも公認だろうしね、さっきの言い方からして」

「ぶっ!」


 心の底から礼を述べたにもかかわらず、なぜかまたまたそちらのほうへ進む夕子さんの発言。今回は吹き出すくらいで済んだ。


「……それもどうかと思いますけど」

「何言ってんの。好きな男とのセックスってのは、女にとって一番の精神安定剤さね。秀人さんにはナイショにしとくから、気兼ねなく楽しめばいいんだよ」

「…………」

「でも、要子がうらやましいね。有田さんは絶倫そうだし、『一日中愛し合った』か……いったい何発やったのか、しんちゃんは気にならないかい?」

「いい話が台無しです」

「あっはっは! それもそうか。冗談はこのくらいにしておくかね。じゃあね。あとは任せた」


 バタン。


 下品な会話で締めた夕子さんが停めていた車に乗り込み、軽い音をさせて走り去って行く。


 それを視界から消えるまで見送り、俺は――――まだはっきりと伝えてない美久の返事をどうするか、それだけを悩んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます