さんにんそしてかぞく

「……ところで、有田さんは、要子の元婚約者が亡くなったのはご存知ですよね?」


 遠くを見るような幸蔵さんが、夕子さんのその一言でこちらへと戻ってきた。


「……ええ。俊哉が婚約を解消したその後についても、全部ではないですが知っています。要子と別れた俊哉は、酒造会社に将来の社長となるべく招かれたはずです。だが、それは自分を犠牲にした挙句に、俊哉をさらに堕としていく流れになってしまった」


 幸蔵さんが夕子さんと会話を再開する。俺は食い入るように幸蔵おじさんだけを見た。


「俊哉は……生命維持が必要な父親のため、きれいごとを言ってられない状況になったのです。必要な医療費を稼ぐために」

「!!!」


 話には聞いたことがある。生命維持装置は、えげつなく費用が掛かると。


「俊哉は優秀だった。それはわかっていたからこそ、迎えた会社も、俊哉を次期社長とするために、社長の孫と婚姻させたのです。そこに愛があったかはわかりません」


 ここでやっと、俊哉さんと貴子義母さんが関係するようになってきた。……愛はなかったのかな、やっぱり。


「ただし、そこでひとつだけ、経営者側から出された条件がありました。婚姻した後、ひとりの子供を養子にすることと」

「……えっ?」


 俺は先読み予想外の事実展開に驚き、思わず幸蔵おじさんと夕子さんの会話に口をはさんでしまった。


 たしか、貴子義母さんには、香織以外に子供はいなかったはず。


 つまり――――ひとりの子供を養子にする、ということは、香織を養子として、俊哉さんと貴子義母さんが迎え入れる、ということではないのだろうか。


 声を上げた俺のことを、幸蔵おじさんは気にしてないようだ。だが夕子さんは、俺を気にして、申し訳なさそうに見てくる。


 俺は確信した。――――香織は、貴子義母さんの実の子供じゃない、と。


 正直なところ、気が重くなった。こんな事実を、貴子義母さんや香織のあずかり知らぬところで知ってしまったことに。


 そんな俺の雰囲気を感じ取った夕子さんが、鋭い目線でテレパシーを送ってきた。


(知ってしまったら、忘れるか乗り越えるしかないんだろ? 乗り越えて見せなよ)


 ハッとして両頬をたたき、気合を入れる。幸蔵おじさんは一瞬びっくりしたようだが、気合を入れ直した俺に余計な言葉はかけてこなかった。


「……で、そうして経営者と婚姻関係を結び、俊哉が会社を継ぐ下準備はできました。ですが、その時に、俊哉を待っていたのは、過去の糾弾でした」

「糾弾?」


 夕子さんがなぜか疑問を浮かべる。これから幸蔵おじさんが話すことは、ひょっとして夕子さんですら知らない事実か。

 そんな考えが、俺に再度気合を注入させた。


「はい。俊哉は社長の孫と婚姻関係になりましたが、会社内にはぽっと出の若造にそんなことをさせたくない一派もあったと聞きます」

「……」

「そうして、叩き上げの社員で常務の娘と結婚した男と俊哉、二人の派閥で争いが起きたらしいですが、俊哉が以前、沈みゆく会社を見切り、要子と婚約破棄したことを、ライバル側に糾弾されてしまった」

「!!!!」

「ライバル側は、『傾いた会社から婚約者すら見捨ててさっさと逃げ出した人間に、果たして会社を任せられるか?』とネガティブキャンペーンをし、社長の座争いに負けた俊哉は社長になるどころか、その後発覚した会社の不祥事の責任もかぶせられて、社長の一族ともども会社から追われたのです」


 俊哉さん、本当に幸薄いな。これを聞いたら同情しかわかないわ。香織と貴子義母さんをひどい目に遭わせたことは許せないけど。


「そうして俊哉は荒れました。そして……俊哉の父も亡くなりました。私はなんと声をかけていいか、わからなかった」

「…………」


 悲痛な顔をする夕子さん。きっと、俊哉さんが大奥酒造を追われたことが、父を失った理由だろう、とは何となく想像できる。


「……はは、なんとなく、酒の力を借りたい気分ですね」


 幸蔵おじさんは夕子さんから受け取った吟醸酒に目をやり、許しを乞うてきた。


 夕子さんは申し訳なさそうに微笑み、快諾する。


「どうぞ、どうぞ。飲まれたほうがお酒も喜びます」

「そうですか、ではお言葉に甘えて。――――大奥酒造、俊哉がいた会社の酒を呑みながら、俊哉の話をする。これも人生の妙ですな」


 この状況で夕子さんが、自分が大奥酒造の関係者であると言えるはずがない。黙って微笑みながら頷くだけだ。


「……うん、うまい! 偲び酒……ついいろいろ語りたくなりますな」


 そうして、幸蔵おじさんの独白が始まった。


―・―・―・―・―・―・―


 ――――その後俊哉は酒に溺れ、ある日、酒気帯び運転で死亡事故を起こしました。前経営者の孫娘とも別れ、独りになった俊哉は、しばらく服役していました。


 出所してきた俊哉とは、しばらく連絡が取れませんでした。ところがある日、俊哉から私のところへ一本の電話が入りました。私が慌てて約束を取り付け、俊哉と会ったら――――俊哉の身体は酒でボロボロで、余命宣告されるくらい重度の肝硬変を患っていたんです。


 要子も――――そのころは、俊哉の呪縛から離れ、少しずつささやかな幸せを感じていてくれていたと思います。ですが、私は、そんな幸薄い俊哉のことを、要子に黙ったままいることはできなかった。


 だから、ある日意を決して、要子に俊哉の様子と、もう長くないということを伝えたのです。


 要子はだいぶ悩んだと思います。それでも、それからしばらくして、私にこう告げました。


『わたしは、幸蔵さんのおかげで、今幸せに暮らしています。そして、このまま、俊哉のことを忘れて生きていく選択肢を選ぶことも可能なのでしょう』


『ですが、俊哉は、わたしと違って、だれも救ってくれなかった。わたしと違って、誰も幸せをくれなかった』


『そんな俊哉の不幸も、もともとわたしと婚約したことから始まったのです。ならば、わたしは、その責任をとりたい。せめてこの世を去るその時は、安らかに旅立ってほしい』


『幸蔵さんは、わたしに新しい幸せを教えてくれて、俊哉の子供である美久も、自分の子供のように愛情を注いでくれました。そんな幸蔵さんを――――家族を裏切ってまで、俊哉のもとへ行ってしまうわたしを、みんな許せないと思います』


『ですが、わたしは――――俊哉と同じくらい、幸蔵さん、あなたを、愛しています。ですから……』


『俊哉との子供を自分の実の子供のように育ててくれた幸蔵さんと同じように、幸蔵さん――――あなたとの子供を、わたしと俊哉の子供として育てていきたい。家族の、そして三人の絆を一生感じられる子供として』


『わたしに、幸蔵さんの子供を、身ごもらせてください』


 実は、それまで俺と要子は、夫婦間の契りなど一切なかった。要子はいまだに俊哉を忘れられない、俺はそう思っていたから。


 だが、その時初めて、要子から『愛してる』という言葉を聞けた。俺は、その言葉を聞いてしまったせいで、要子を俊哉のもとへ行かせることを、止められなくなったんだ。


 十年以上もためた愛情をお互い再確認するかのように、俺と要子は、一日中愛し合った。そうして要子は懐妊し、そのあと俊哉のもとへと戻った。


 ――――あのときだけだったなあ、人生で本気で泣いたのは。


 その後の二人がどうなったかは知らない。もし俊哉が死んでも、俺は俊哉の葬儀には出ないと、あらかじめ伝えていたから。


 ただ、ちょうど一年ちょっと前に、名もなき手紙が届いた。そこには一言、『ありがとう』とだけ書かれていた。まるで身体を患っているような、力のない震えた文字で。


 俺はそれを読んで、つい毒づいてしまったんだ。




 親友の文字を、見間違えるはずないだろう。名前くらい書きやがれ、馬鹿。――――じゃあな。

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