ぎせいになるのはだれ

 美久の様子を探りながら、震える肩を抱く力を緩める。こんなに細かったんだな、美久の肩は。


「少しは落ち着いたか」


 美久が首を縦に動かしたので、まわした手をどかそうとしたが、美久はさらに俺に身を寄せてきた。


「真一と一緒なら、落ち着くかも」

「…………そうか」

「あは。幼なじみパワーって、すごいね。いとも簡単に、あたしを落ち着かせる」

「そういう言い方をすると、なんかハ〇ドパワーみたいにまがい物っぽく聞こえるな」

「幼なじみにしかわからないパワーだから、仕方ないね」

「幼なじみじゃなくて、俺たちの間だけじゃないのか、そのパワーがあるの」

「……そうだね。あたしと真一の仲だもんね。ふふっ」


 なんとなく甘く聞こえなくもないような会話も拍車をかけてきて、美久と触れ合っている部分だけが低温やけどしそうである。

 このままでいいのかはわからないが、美久の震えは止まったようだ。俺はドギマギしっぱなしだけどな。二人きりの暗闇。イケナイ妄想くらいはタダだろうが……いかんいかん、不埒になってはいかん。


 煩悩を必死に振り払うふりをしつつも、しばらくそのまま身動きもとれずにいると、美久が静かに語りかけてくる。


「……あの人の、ことでね」

「あの人? ……ああ」


 要子おばさんのことか、と言いかけてやめた。今、名前を出すのもはばかられる気がしたからだ。

 相変わらず『あの人』呼ばわりで、頑なに『お母さん』とは言わない。美久もそうとう頑固というか、心に決めたことは曲げないというか。


「…………」


 ちょっと間をおいて理解する時間を与えてくれた美久が、肩に頭を乗せてくる。ちょっとこれバカップルみたいなんですけどどうしよう、などとうろたえつつも、会話の内容はどシリアスだったりするこのアンバランス感よ。


「あの人のことで、ひとつだけ仕方ないと思えることがあるとすれば……何もかも捨ててでも一緒にいたいと思える人が、存在していたということだけなの」

「……何もかも捨てて、か……」

「うん。今のあたしには、よくわからないことではあるんだけど……一線を越えてみたら、何かわかることもあるのかな、って」


 一線。簡単に越えちゃいけないいろんなこと。要子おばさんにとっては、家族を捨ててさえも、この世で一番愛する人と一緒に暮らすことがまさしくそれだったのだろう。


 果たして、その為にはどのような覚悟が必要だったのか。それはわからない。ただ、自分のことばかり優先して、美久や有田家の家族のことを全く考えていないと思われても仕方がない行動であることは間違いない。


 しかし、一番好きな相手と添い遂げたいという自分の想いをあきらめ、有田家の家族を優先させればよかったのかというと――――その場合、要子おばさんは幸せではないのかもしれないわけで。


 そこに、自分にとって一番の愛、それがない結婚生活を、自分の気持ちに素直になって終わらせるか、自分を犠牲にして続けるか。まるで、要子おばさんと夕子さんみたいだ。


「要子おばさんは、今、どんな気持ちなんだろうな。幸せなのか、それとも後悔してるのか」


 まあ、のちのちに選択を後悔することもあるだろうから、どちらがよいかなどと一概には言えない。そんな気もするので、俺はつい無意識にそんなことを口走ってしまった。

 美久も、先ほどの言いようから、たぶん俺がずらずらと考えていたそのことに気づいているだろう。


 だが、最愛の人と家族、天秤に掛けた重さで決められてしまったなら、軽い扱いを受けた側の人間は相手を恨むしかできないからこそ。


「……後悔に押しつぶされてなきゃ、割に合わないよ……」


 美久がそう漏らすのも至極当然であった。あたしたちと同じくらい苦しめばいい、そんな恨みつらみの気持ちの中に、どこか微かな母への想いを感じるのは、気づかない振りをしておく。


 それにしても、結婚して築いた家庭を捨ててまで、愛する者――――たとえそれが元婚約者だったとしても――――のところへ簡単に行けるものなんだろうか。


 あと、疑問に思う部分、それは。


 幸蔵おじさんと要子おばさんは、おたがい好き合って結婚したわけではないのか? 婚約者のことを好きなまま、要子おばさんは幸蔵おじさんと結婚したのか?


 ということである。


 こんなことを考えても、当事者でない俺にわかるわけがない。そう気づくまでには少しの時間を要した。その間ずっと無言だった俺にじれたのか、美久が甘えるような声を上げて俺の気を引こうとしてくる。


「……だからね、真一」

「どうかしたか?」


「あたしと……しない?」

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