くうきがおもいです

 更衣室の外に出ると、すでに着替え終わっていた美久たちがいた。悩みながら着替えていたせいか、俺が一番遅かった。プール前の着替えと真逆だな。


 当たり前のように、みんなの表情が暗い。美久はもちろんだが香織も朝斗も由里ですらも、事情が飲み込めてないのと、なんと言えばいいのかわからないのと、複雑に絡み合ったような場の空気である。


 俺の姿を確認した由里が、今回の幹事らしく、みんなに向けて言葉を発する。


「……帰るにしても、とりあえず、保養所に行きませんこと? 立ち話もなんですから」


 誰も異を唱える者はいなかった。


―・―・―・―・―・―・―


 温泉プールから少し歩いた保養所。あまり大きくはない。どこかの民宿みたいに年季の入った建物だ。


「…………ここ…………」


 香織は、その保養所を正面から見上げ、なにか神妙な顔つきになった。


「どうかしたか、香織?」

「……いえ、気のせいです、きっと。何でもありません」


 様子に疑問を感じた俺が投げかけた言葉をいなし、香織も保養所の中に入る。今日は貸し切りらしく、ほかに誰もいない。


「美久お姉様は、松の間へどうぞ」

「うん……」


 俺たちを振り返ることもなく、美久は言われるがまま松の間へ消えた。残された俺たちは互いに顔を見合わせ、行動を決めあぐねる。


「小十郎。あのご婦人は、美久お姉様の……?」

「ああ、三年くらい前に家を出ていった、実の母親だ」


 由里が現状把握のための質問をしてきた。香織には説明したが、朝斗と由里には言ってなかったな。俺も把握してないことのほうが多いのだが、わかることくらいは答えてやろう。


「美久さん……大丈夫でしょうか。事情が詳しくわからないから、なんとも……」

「……とんでもない、偶然ですわね。まさか、あんなところで再会とは……」

「どんな事情があったのかわからないですけど、僕らにはなにもできそうにないかも……」


 三人は一斉にに俺の方を向いてきた。頭を軽く掻きながら、俺が行くしかないか、と腹をくくって。


「ちょっと、美久と話してくるわ」


 三人にそう告げてから、俺は松の間の前に立った。


―・―・―・―・―・―・―


「失礼するぞ」


 俺が松の間の襖を開けると、中には膝を抱えて座り込む美久がいた。無言で美久の隣に座った俺は、美久の様子を探ろうと五感をフル動員させるものの、わかるわけもない。

 仕方なく、沈黙の時を経た後、会話という方法を採らせていただく。


「……なあ、要子おばさんって、失踪したときに、妊娠していたのか?」


 美久は膝を抱えた手を見ながらコクンと頷いた。いろいろあの様子から疑問はあるが、まずは美久のことが第一だ。


「そっか。よくよく考えたら、要子おばさんの事件、詳しくは知らなかったな」

「…………そうだね。あたしも、詳しくは言ってなかった」

「まあ、俺には立ち入れない範囲だからな。だけど……」

「…………」

「もし、吐き出して楽になることがあるならば、なんでも聞くぞ」


 俺は座りながら足を伸ばし、両腕を後ろ側についてシミの付いた天井に顔を向けながら、美久に話しかけた。わざと美久の方は見ないようにする。


「……吐き出したくないことばかり、だよ」

「なら、何も言わなくてもいいさ。俺も無言で隣にいるだけだからな」


 長年連れ添った幼なじみ同士だからこそ成り立つ会話術だ。気まずさがあれど、一緒にいること自体は意味があるのだから。


 お互いに黙り込み、数刻。


「……ねえ、真一はさ」

「ん?」

「あたしがもし、突然真一の前からいなくなったら……どうする?」


 美久がそんな質問を、たどたどしく投げかけてくる。横目で美久を確認したら、視線は相変わらず膝を組む手からは動かしてないようだ。


 美久がいなくなったら――か。前にも、似たようなことを訊かれた気もする。


「困る」

「!」


 俺は、たぶん前に質問をされたときと同じ返答をした。美久が目の前から消えたら、きっと俺は困って途方に暮れる。それだけは確実だ。


 前にその答えを聞かされたことを、美久も覚えていたのだろう。下を向いていた顔を、横にいる俺のほうへ向けてきた。


「なんだ?」

「うん、デジャヴ、ってやつ?」

「やかましい、確信犯」

「……そんなこと、ないよ」


 美久は照れたように膝を組んでいた手をもじもじと動かし始めた。


「……ずるいよね、真一は。『寂しい』とか『悲しい』とかじゃなくて、『困る』なんて返してくるんだもん」

「いや、本音なんだが……」

「わかってる。たぶん、あたしが一番喜ぶ答えだよ、それが。さすがは幼なじみ」

「気にするな、俺と美久の仲じゃねえか」

「……なにそれ」


 この質問は美久にとって大事なことだったのだろうか。ちょっと照れくさくなったごまかしとして、美久の口癖をそっくり返してやると、美久は軽くむくれた。


 そして。


「…………あのひとは、あたしたちを、捨てたの」

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