不意の、訪問

 とりあえずは、香織ミッションコンプリート。

 父さん義母さんは……部屋に戻ったかな。リビングには誰もいない。


 まだ七時じゃないか。今日はいろいろあり過ぎて疲れた。もう寝たい気分ではあるが……


 ピンポーン。

 そんなふうに考えていたとき、不意に玄関のチャイムが鳴った。


「……ん? 誰だろう」


 モニターを見ると、髪の短い……若い男らしき姿が見える。知り合いではなさそうだが……


 ガチャ。

「……はい。何か御用ですか?」


 ドアの向こうにいたのは、年齢は俺と同じくらいに見える男子だった。やはり知り合いではない。


「あ、あの、こちらは桐山きりやまさんのお宅でしょうか?!」

「……いや、違うけど」

「あ、そ、そうでしたか。間違えました、失礼いたしました!」


 お客人は、そう言って慌てて逃げていってしまった。……なんだったんだか。

 同い年くらいに見えたけど、何となくあか抜けない感じもしたし、中学生くらいかもしれない。

 でも『桐山』ってどこかで聞いたような名字だな。えーと、どこだったろう。


 ……あ。


 義母さんと、香織の……昔の名字だ。

 てことは、あの男子は……香織の、しかも再婚する前の、知り合いってことか……?


 意外と、香織のことが好きだったりしてな。……ま、何もわからんし、いかんともしがたい。いいやほっとこう。

 俺がそう割り切って玄関の脇にある傘立てに目を移すと、そこには美久から借りた傘があった。


 ……そうだ。美久に傘を返さないとな。ちょっと遅いが、美久の家に行ってみるか。


―・―・―・―・―・―・―


「おう、真一君、久しぶりだな」

「夜分にすみません、お久しぶりですおじさん。美久いますか?」


 美久の家に来るのも久しぶりだ。おじさん、いや美久のお父さんは……まあ豪快な人で、昔からいろいろお世話になってる。


「ああ、台所にいるよ。おーい、美久。真一君が来てくれたぞー」


 おじさんが大声で呼ぶやいなや、美久は駆け足で玄関までやってきた。……エプロン姿で。


「いらっしゃい。どうしたの真一?」

「……傘を返しに。あと、今日のことを謝りにきた。途中で解散しちゃって悪かったな。せっかく……」

「……せっかく?」

「ん……いや。傘、ありがとう」


 せっかくおめかしして来てくれたのに、と素直に言えないのは、俺がシャイだから……ということにしておこう。


「……ふふっ。香織ちゃんは大丈夫だった? 風邪引いてない?」

「ん、大丈夫だと思う。じゃあ……」


 見透かされたような笑いがこそばゆくて、きびすを返したら、おじさんが脇から声をかけてきた。


「なんだ、真一君はもう帰るのかね。せっかく久しぶりに来てくれたんだから、夕飯でも食べていったらどうだ?」

「あ、そうね真一。ちょうどこれからご飯だし、予定がないなら、どう?」


 美久も一緒に誘ってくれた……正直ありがたいかもしれない。矢吹家は皆遭難してしまって、今日の夜の食卓は想像できないからな。


「……ご迷惑でないのなら……」

「迷惑と思うなら誘わんよ。よし、上がってくれ真一君」

「おじゃまします」


 有田家におじゃまするのも久しぶりだ。今の有田家には、おじさんと、美久しかいない。

 美久の母親……おばさんは、蒸発してしまった。美久が中1のときだ。理由は未だわからない。今、生きているのかさえも。

 それ以来、美久は代わりに家事をやっている。お兄さんもいるが、高校を卒業して東京の大学に行っているので、この家に住んではいない。


 物心ついたときから母親がいなかった俺より、美久はつらかったんじゃないかと思う。……ある日突然に母親がいなくなるなんて。


「まあ、立派なものは何もないけど、どうぞ召し上がれ」

「ありがたくいただきます」


 大げさに手を合わせて、ご相伴しょうばんにあずかる礼としよう。

 肉じゃが、野菜炒め、ハムカツにポテトサラダ。無難だがどれも美味そうだ。


「……また腕を上げたな、美久。この肉じゃが美味い」

「どうしたの真一がそんなこと言うなんて明日も雨が降るのかなー」

「おい」


 真面目にほめたのに棒読みで茶化す美久を見て、おじさんが豪快に笑い声をあげた。


「何やら今日の美久は上機嫌だったからな。こいつは機嫌のいいときにしか肉じゃがを作らんし」

「ちょ、ちょっとお父さん!」


 よけいなことを言うな、とばかりに美久が黙らせようとするが、時すでに遅し。


「まあなんだ、真一君なら毎日食べに来てもいいぞ。どうせ将来は毎日、美久の手料理になるわけだし。はっはっは」


 どういう意味だ……と悩んで三秒。あーあ、美久が真っ赤になったわ。珍しい光景だな。さすがの美久も親にはかなわないか。


「お父さん……もういいから……」


 俺はどうフォローしていいのかわからず、ひたすら食べ続けた。……うーん、あちこちそちこち気まずい日だ。


「……ごちそうさま。美味しかったです」


 そう言って、俺は再び大げさに手を合わせた。心から、感謝の気持ちの表現である。


「お粗末さまでした。あ、そうだ。真一、一昨日出た英語の課題なんだけど、もうやった?」


 すると、美久が思い出したように、挨拶にあわせて話題を振ってきた。そういやすっかり忘れていたな。


「いや、まだやってない」

「じゃあさ、ちょっと一緒にやらない?」

「……かまわないよ」

「ありがと。じゃあ、あたしの部屋に」


 夜に年頃の娘の部屋に行くのもどうなんだろうかと思い、チラッとおじさんのほうを見てみたが、特に反応はなかった。


 ……やましい心はないんだから、別に堂々としててかまわないとはわかってはいるが。

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