13 塩と石材の街
ダムティルへの道中は実に平和なもので、獣や人に襲われることは一度もなかった。
これまでの経験から不思議に思ったイサムがエルスロに問えば、そもそも旅の道中で襲われることが珍しいとの答えだった。
森に入らなければ獣や魔物には襲われることはなく、それも道沿いに進めば滅多なことはない。また野盗の類に至っては、危険率の高さでいえば栄えた街の中が一番危なく、次いでその街の周辺、このような都から遠い場所ではまず襲われない。危険率の高いと挙げた場所もすぐに討伐されるそうで、治安は相当良いらしい。
エルスロは、様々な土地を回っているが襲われたことは一度もないとも語った。只、その話には、治安の悪いところへ行く際には護衛を雇っているという言葉が続きとして用意されていたが。
二日間寝入っていたことで大分迷惑を掛けたと思っていたので、イサムは襲撃がなかったと聞いて少しほっとした。同時に異界に来てから何かと襲われる機会の多かった自分のこれまでが、如何に特殊だったかということをそこで初めて知った。
進んできた道が一般的なものではなかったからと自分を納得させようとしても、どうしてこうなったのかという思いは消えない。
馬車に揺られる中、そうだった一因だろうユーラを見れば、いまだ眠り続けているが痛みの源泉となる左腕が癒えたからか、イサムのもやもやとした胸中とは関係なしに、顔色は若干良くなっているようだった。
「見えてきたぞ」
御者台からの声に、イサムとナリアは視線を前へ向ける。
街の建物はまだ見えない。けれど建物とは全く違う、大きな建造物の存在をイサムの目が捉えた。
この街で一番目を引くものといえば、誰もがそれを示すのではないか。それは遠くにあっても大きく、近寄れば尚目立った。その存在にイサムだけでなくナリアも驚きの声を漏らす。
塩と石材の街というだけあって立派な造りの建物が並ぶ中、それらを霞ませるのは全長十五メートルはあるだろう、大きな起重機の姿だった。
その起重機はイサムの知っているものとは大分様相が違った。二階建ての建物の屋根を越えて起重機の長い首が伸びているのとは別に、直径五メートルほどの大きな回転車が目に入ってくる。恐らくあれを動力源にするのだろうと想像は付くが、本当にあれで動くのかと疑問を覚えずにはいられない。
幌から顔を出したイサムが起重機に見入っている間も馬車は止まらず、街の中を進んでいく。
通りを進んでいくと起重機は建物の陰で見えなくなってしまう。だがそのまま街の様子に視線を移したイサムは、次の光景に起重機に対する印象を薄れさせた。
「巨人の足跡と呼ばれている。それがあの、神話の巨人のことなのかは知らないが」
イサムはちらりとナリアを見たが、ナリアはさしたる関心を見せなかった。
街の中に広がっているのは、大きな窪地だった。底までの深さは二十メートルあるだろうか。広さは野球場が二つ、三つは収まりそうなほどだ。窪地の底には碁盤の目のように区画が整理されて、家屋が建ち並ぶ。
また窪地の崖は二段階となっていて、崖上と底のちょうど中間ほどのところには土地が広がっている。崖沿いに窪地をぐるりと囲むその土地にも家屋は建ち並び、遠くには一際立派な屋敷が建っている。
「この街は三層から成っている。崖のあそこ、川が流れているだろう」
エルスロの指し示す方向にあるのは窪地の底の崖だ。そこにはぽっかりと空いた洞窟があって、その洞窟から川が流れ出ていた。川は底を裂くように進んで、反対側の崖に同じようにある洞窟の中へ消えていく。
「あれは塩の川だ。あの川の水を煮詰めて塩を作るそうだ。下層の者は洞窟から石材を切り出したり、切り出した岩塩に川の水も使って塩を作る。そして出来たものを上に引き上げるのがあれだ」
そう言ってエルスロが向いた先には、建物の陰から再び現れた起重機があった。
「中層の者は下層の者の仕事を上から監督する。あの屋敷はその代表だ。領主に任命された代官が住んでいる。聖教会の者も出入りしてるらしいが、挨拶には勿論」
「行きません」
ナリアが即座に言葉を返した。
「……そして私達がいるここが上層だ。塩を仕入れたり、旅の通り道にして補給をしたり。他所の商人とそれを相手に商売する者達ばかりで、まぁ基本的に余所者の集まりだな」
エルスロが説明を終えると同時に馬車が止まる。
馬車が止まったのは一軒の建物の前で、停車した馬車は一向に動き出さない。
イサムが不審に思ってエルスロの様子を窺えば、その視線はずっとその建物に向けられていた。どうやらここが終着のようだ。
「宿には着いたが……。ここが上層でいくら馴染みとはいえ、亜人を泊めてくれるかはわからない」
「私が交渉しても駄目ですか?」
迷いを見せるエルスロに、ナリアが提案する。
二人は事前に打ち合わせをしていたようで、この建物まで来るのは予定通りのようだった。
エルスロの言葉は獣化病の者の街での立場を想像させて、イサムは覚えた嫌な予感に、ここでは揉め事が起きないようにと心の中で強く願った。
会話を続ける二人を余所に、宿と呼ばれた建物を見上げる。
石造りの大きな二階建ての建物だ。脇には馬車置き場もあり、宿泊客のものだろう数台が停車している。
「すみません。ちょっとお願いします」
イサムが返事をする前に、ナリアは荷台を後にした。
すぐに御者台からエルスロも降りて、二人して宿の中へと入っていく。
ユーラと共に残されたイサムはそのまま二人が宿に消えた後も外の様子を眺めていると、不意に自分へ向けられた視線に気付いた。
街の者か、それとも他所の商人か。見知らぬ者が街中で足を止めて、こちらを見ている。その者の服装は落ち着いた色合いをしているが、イサムが見てきたどの村の者達の服装よりも質が良さそうに見えた。視線の持ち主はイサムと目が合うと、何食わぬ顔で顔を逸らして去っていく。
その者以外にも街の視線はいくつもあり、それはじっと見詰めてくるような不躾なものではなく、どれもがちらちらと盗み見るようなものだった。
注目に慣れないイサムは愛想笑いを浮かべつつ、荷台へ顔を引っ込めた。そして荷台の中でユーラの顔に視線を落とすと、二人が早く戻ってくることを願いながら待つことにした。
イサムの願いが叶ったのか、それからすぐに二人は宿から戻ってきた。
二人に続いて出てきた宿の者だろう男の誘導に、エルスロが御者台に上って馬車を置き場へ動かしていく。
「ここに泊まります。荷物をまとめて、エビチリさんを宿まで運びましょう」
再び停車するとナリアが荷台に上ってきて、そう言いながら自身とユーラの荷物を手に取った。
イサムはナリアの行動に倣うと、いまだ本調子でない体で自分の荷物をまとめ始めた。
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