13 将来への選択

 狩りの成果である運び込まれた獲物の解体が終わる頃には、真っ黒だった夜空は紺色へと変わり、夜明けが近いことを知らせてくる。


 夜の村は暗い。電気がないため、松明や獣脂の蝋燭を光源として使っていて、それは村の各所にも設置されている。それでも森の夜の闇は深く、夜目の利かない者にとっては数が少ないのもあって、頼りないものでしかなかった。

 だが村の雰囲気には活気があった。夜の狩りの成果が良くなったことで、それに合わせて村人の多くが夜型へと生活を変えてきているのだ。この調子ならば、シーナの望んでいた祭りも行われるかもしれない。


 夜の暗闇の中に、忙しそうに動き回る村人達の姿がある。わずかな光源によって浮かび上がったそれが、イサムの目に絶え間なく映っていた。


 イサムは湯を貰うと体を拭き、着替えを済まて、滞在先の家へと足を向けた。


 仕事場から離れると血の臭いと燃える獣脂の臭いから解放され、そこでようやく仕事を終えた気分になる。体には心地良い疲労感があった。仕事を通して獣を捌くのが上達した実感が、疲労の中にあってもイサムの足取りを軽くする。


 イサム達は三人と蛇一匹の全員でガフの家に滞在していた。それは村の中で一番立派なそこ以外、客人を泊めるのにふさわしい家はないとのことで決められた。

 三人は村の中ならば空き家でも物置小屋でも、屋根のあるところであれば何処でも構わないと申し出たが、ガフと村人達にそうはいかないと押し切られたのだ。

 それだけ聖教会の権威が強いのだろうか。イサムには、ナリアの存在が良い意味でも悪い意味でも、村人に圧力を与えている気がした。


 ガフの家へ入ると、イサムは談話室から薄ぼんやりとした明かりが漏れているのに気付いた。談話室に顔を出すと、ガフとナリアが椅子に腰掛けて向かい合い、言葉を交わしていた。


「終わったようだな」


 ガフが帰ってきたイサムに気付くと、話は既に終えていたようでナリアが立ち上がる。どうやらガフが客人の帰りを待ち、ナリアがそれに付き合っていたようだった。


 そのままガフは談話室の明かりを消すと自室へ下がり、イサムとナリアは居間へ向かった。


 ガフの家に客室はあるにはあったが、この村に泊まる人など滅多におらず、すっかり物置と化していた。ガフは代わりに自室を提供しようとしてきたが、イサム達は何とかその申し出を断って、居間の隅を借りて寝起きをしている。今まで野宿を繰り返していた者にとってはそれだけで十分ありがたく、不満の声はなかった。


 居間では既にユーラが横になって眠っていた。恐らくシーナも自室で既に寝ているのだろう。


「村長と何の話を?」

「いつ出立するかです。明日か明後日には出ようと思うんですが」

「わかりました。……それと、ペルトのことなんですが」


 イサムがペルトのことを切り出すと、ナリアは居間にある椅子に腰掛けた。そのまま机を挟んだ対面の席へ、イサムに座るように促してくる。そしてイサムが着席すると、ようやく口を開いた。


「あの子を連れて行くんですか?」

「子供一人、旅の負担にはならないでしょう。ナリアさんは何で反対なんですか?」

 ナリアの声は眠りに就こうとする村の静けさの中で、よく通った。その声に気圧されながらも、イサムは問い返した。


 ナリアはしばらく考え込むように黙ると、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。


「……それがあの子が本当に望んでいることなのかと」

「どういう意味ですか?」

「つらいものから目を逸らして、この村から逃げようとしているだけに思えるんです」


 ナリアの言葉がイサムには辛辣に思えた。イサムとナリアでは見えているものが違うのかもしれない。


「ペルトは法術が使えるようになりたいと。それでこの村の役に立ちたいと言ってました」

「そんなことを……」

「それは村から逃げるのとは違うのでは。それに仮に逃げだとしても本人が選んだのならいいじゃないですか」


 言葉にしながら、イサムは自分の言葉も冷ややかな気がした。


「ラーメンさんは厳しいですね。後悔するのがわかりきっているのに、子供にそんなことを決めさせようだなんて……」

「そうですか?」

「教会に入るということは、組織の中で生きていくということなんですよ」

「はぁ」

 ナリアの言葉は至極当たり前のことだ。わざわざそれを言う意味がわからず、イサムは曖昧な返事をした。そんなイサムの様子に、ナリアは言葉を続けてくる。

「組織の中で生きるということは、自分の好きなようにはできないということです。今、私がこの村にいるのは只の偶然です。本来、教会は人が少ないところに人は遣りません。ましてや数少ない法術師なら尚更です」

 ナリアの話をイサムは黙って聞いていた。そしてペルトと話していた時のことを思い返していた。

「使えるかどうかわからないものを求めて故郷を捨てるなんてこと、させちゃいけない。逃げた先にはきっと後悔しかないですよ」


 聖教会に入れば誰もが法術を使えるわけではない。しかしナリアには、ペルトが端から自分は法術を使えると思っているように見えたようだ。その期待が裏切られ、そして聖教会に縛られてこの村に帰れなくなったら。ナリアはその時のことを考えているのだろう。

 只、そう語るナリアの目が映しているのは、目の前のイサムでも、当のペルトのことでもないようにイサムには思えた。


「でも」

 イサムが否定するように口を開くと、ナリアは中空に漂わせていた視線をイサムへと向け直してくる。

「ペルトが法術を使えないと決まっているわけではないですよね?」

「それはそうですが……」

「やるだけやらせればいいじゃないですか。世の中、振り返って後悔しなかったことなんてそうないですよ」


 イサムの頭に浮かぶのは就職活動の中で掘り起こされた、これまでやってこなかったことへの後悔だ。もし過去に戻れるならば、可能性が低くても挑戦したいことがイサムには山ほどあった。


「そんな無責任な……」

「行きずりの僕らがそもそも責任を取る必要なんてあるんですか?」

「……ラーメンさんは教会のことを知らないから、そう軽く言えるんですよ」

 イサムの言葉にナリアは苦しそうにそう返すと、押し黙った。


 聖教会どころか、ナリアのことだっていまだよく知らない。イサムにも無責任なことを言っている自覚はある。しかし自分の将来を自分で決められなければ、ペルトはこの先それこそ後悔を抱えていくだろう。そう思えば、例えナリアの機嫌を損ねたとしても発言を撤回する気にはなれなかった。


「最後はペルトが決めることです。ナリアさんも止めたいなら、その教会のことをきちんと話す必要があるんじゃないですか」

 イサムのその言葉にもナリアは黙ったままだった。


 今までになく、妙に食い下がってくるナリア。彼女が自身の見解を話すのは初めてで、止めたいほどの何かが聖教会にはあるのかと思ってしまう。

 只、イサムは疲れていた。聖教会のことに関心がないわけではない。けれど今日の仕事を終えて、もう休みたいという思いが強く、会話を切り上げたかった。


 しばらく待ってもナリアから言葉は返ってこない。

 もう話すことはないと見て、イサムは席を立った。


 荷物から自分の寝袋を広げて、ユーラの隣で横になる。ふと隣のユーラの顔を覗くと、その口元は笑みを刻んでいた。もしかしたら話を聞いていたのかもしれない。


 溜まっていた疲労で、すぐに目蓋は重くなる。

 寝入る直前、イサムが視界の隅に映したのは、いまだ椅子に座って考え込むナリアの姿だった。

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