11 戦う理由(2)
夕食を終えて、ユーラとキキョウが話をしている。
「キキョウって変わったお名前ですよね?」
「昔からよく言われたわ。母が決めたらしいんだけど、由来を誰も知らないのよね」
キキョウは昔を懐かしむように遠い目をして語る。
「母は無口な人であんまり話をしなかったけど、外にはよく一緒に出掛けたわ」
小屋へ戻ると、イサムとユーラは荷物の整理をして出立の準備を整えた。
その後は日が沈むとすぐに全員での夕食となり、それを終えると昨日と同じように、オルモルはキキョウの相手をイサム達に任せて席を外していた。
「無口といえば、ケルグも無口だったわね。母と馬が合ってたみたい」
「ケルグさんって、どなたですか?」
「ああ、私の別れた旦那よ。オルモルの父親ね」
二人の話がまだ続く中、イサムはその場に蛇を残して用を足しに小屋の外へ出た。
小屋の裏手に回り、茂みを越え、安定した場所を見つけると用を済ませる。
水洗便所のない生活にようやく慣れてきたが、体の方はまだ対応しきれていない。手に持つ余った葉を放って痛む尻をしまうと、イサムは痔には気を付けようと日頃の思いを新たにした。
そして小屋へ戻ってくると、少し離れた場所でオルモルの、先ほど見せられた短剣の素振りをする姿が目に入った。
短剣の刃渡りは四十センチメートルほどだろうか。星明かりに刃が煌めいている。
イサムはしばらくオルモルの素振りをする様を眺めた。
その動きに見入ったわけではない。それは素人目に見てもぎこちなく、力強さはあっても洗練されたものではなかった。
「どうだ?」
不意にイサムへ声が掛かる。
イサムが見ていたことに気付いていたのだろう。オルモルが素振りを止めて、その顔と体をイサムへ向けてきた。
見たままの印象を語っていいものか、悩むイサムは口を開けるもすぐに噤む。
その動きで、オルモルは何が言いたいかを察したようだった。
「剣はそんなに慣れてない。父さんから習ったのは弓だけだ」
オルモルは苦笑しながらそう言って、静かに短剣を鞘に戻した。
「……ケルグ?」
小屋を出る前に耳にした名前を、イサムは口に出してみる。
その言葉に、オルモルは驚いたような表情を見せた後、小屋へと顔を向けた。
「母さんから聞いたのか」
オルモルはそう言うと、再び顔をイサムへ向けてきた。
「父さんは村一番の猟師だった。弓を扱わせれば、並ぶ者はいない。村人達からそう言われた腕前は、村の生活にも関わっていた。
村の生活は狩猟で成り立っている。だが森から必要なものが全て手に入るわけじゃない。獣から剥いだ毛皮を村に訪れる商人に渡して、麦や米といった食べ物や服などと交換してもらうんだ。
この森は魔力が濃いらしい。だからか、この森で獲った獣や魔物の毛皮が質がいいと評判で、防具として重宝されていた」
イサムとオルモルは、自然と辺りへ視線をやった。
魔力の濃さどころかその有無すら、イサムには読み取ることなんてできない。
目に映る鬱蒼とした森は夜の闇の中にあって、先の見通せない暗闇が単純に不気味だった。
「父さんは一人で猟をするだけでなく、皆を率いて猟をするのが上手かった。弓と猟犬を使い、誰よりも多くの獲物を狩った。俺はそんな父さんが誇りだった。
俺は当然、父さんの跡を継ごうと猟師を目指した。十歳になると本格的に狩りの技術を習い始めた。森の歩き方から始まり、動物の足跡の見分け方、何処に動物が潜んでいるかなどを叩き込まれて、それと平行して弓の使い方も仕込まれたんだ。
だから思う。父さんがいたなら、あんな豚どもに村が潰されることはなかった」
語るオルモルの目は、誇りだった父の代わりに村を取り戻すんだという、そんな決意をにじませている。
だがその様子を見ながらも、イサムが気になるのはオルモルの父、ケルグが今どうしているのかということだった。
ケルグがオルモルの評価通りの人物ならば、なぜ村は廃村になったのか。それはここにキキョウがいて、ケルグがいないことにも繋がる気がする。
只、イサムはつい先ほど余計な質問をして後悔したばかりだった。オルモルの過去を詮索して嫌な気分にさせたくないと、口を開くことを躊躇した。
「気になるんだろ?」
しかしイサムが何も言わずにいると、オルモルはそう問い掛けてくる。
どうやらその内心すら察されていたようで、イサムは図星を突かれて動揺し、即座に否定できなかった。
「わかりやすいというか素直というか」
オルモルは苦笑交じりに言葉を続けてくる。
「だから話そうっていう気になるのかもしれないが」
ことの始まりを辿れば、それはオルモルが十歳の頃まで遡る。
その頃のオルモルの家族は父であるケルグ、母であるキキョウ、そしてケルグの狩りの相棒としてドニスがいた。
ドニスは子犬の頃にケルグが連れてきて、猟犬として育て上げられた。また狩りに出ない時はオルモルの遊び相手を務めてくれていて、その頃のドニスに人の言葉を喋る前兆は一切なかった。
そのドニスが喋れることがわかったのは、ある日の出来事がきっかけだった。
その日、ケルグは村人の集会に出掛け、オルモルはドニスを脇に控えさせながら一人で弓を構えて練習をしていた。
番えた矢を射ることはせず、遠くの樹を的に弦を引いては戻していく。
その動作を繰り返しながら、頭に浮かべるのは父の弓を射る姿だ。頭の中のそれと重なるように、オルモルの体は動き続ける。
そしてそれはオルモルが疲労を感じて、休憩に入ろうとした時だった。
「姿勢が傾いている。それでは狙いは定まらないぞ」
何処からか不意に声が掛かって、オルモルは辺りを見回した。
声の主を探しても、この場にいるのは自分以外はドニスだけ。些細な指摘だ。それに正しいのかもしれない。けれど姿を見せない相手には、わずかだが苛立ちを覚える。
オルモルは人の隠れられそうな近くの茂みへと足を向けた。
「おい」
するとその背中に再び掛かる声がある。
慌てて振り返ってみるが、やはりそこには誰もいない。地面に腰を下ろしたドニスが、こちらを見詰めているだけだった。
「……まさかね」
ドニスと視線を交わして、オルモルは思わず呟く。
その呟きに反応したかのように、ドニスは軽く身じろいだ。
「さっきから何をしてるんだ」
そしてありえないと一蹴したはずの想像した光景が、オルモルの目の前に広がった。
「さっさと練習を再開しないと、ケルグにはいつまで経っても追い付かないぞ」
ドニスが、人の言葉を喋っているのだ。
驚き、唖然として、オルモルの手からは握っていた弓がこぼれ落ちた。その場から逃げ出すことはなかったが、それから落ち着くまでにはしばらくの時間を要した。
「ずっと父さんと一緒に狩りをしていたドニスは、俺が弓の扱いに苦労しているのを見て、口を挟みたくなったらしい。それで助言をしようと思ったら、話せるようになったと」
「……ソレを、ホカのヒトには?」
イサムの言葉に、オルモルは苦い顔をする。
「話せなかった。言葉を喋るなんて、魔物以外いない。そうなれば村を追い出されるどころか、殺されるかもしれない。一緒に暮らしてきた家族だ。そんなことはできなかった」
そこまで言ってから、オルモルの視線は中空へ向けられた。
「だが、話しておくべきだったのかもしれない……」
ドニスが初めて喋ってから数年、今から十五年前にオルモルは獣化病を発症した。
当時、既に獣化病は広く知られており、感染力がないこともわかっていた。しかし村の全員がそれを知っているわけではない。オルモルが村での初めての発病者で、怯える者は多かった。
村はオルモルを受け入れる者と拒絶する者で割れた。
親しかった者に拒絶される日々が続くと、オルモルは次第に塞ぎ込み、ドニスとばかり話すようになっていた。
犬のように変わっていく自分が犬とばかり触れ合っている。そのことがさらに悪評を振り撒いていると気付いていたが、オルモルは孤独感にそれを止めることができなかった。
只、村が割れる中、オルモルの父であるケルグは獣化病を怯える者の一人だった。
ケルグは猟師の代表として外の商人と話す機会が多く、獣化病のことも当然知っていたはずだった。
しかしドニスに話し掛ける自分を見て、ケルグの視線に訝しげなものが混ざり始めているのをオルモルは感じていた。もしかしたらケルグは何か、日に日に息子から自分に似た面影が消えていくことに、思うところがあったのかもしれない。
またその一方で、母であるキキョウはオルモルが村で孤立することを心配しているようだった。
それはある日、いつものようにひと気のない村の外れで、オルモルが弓の練習をしている時のことだった。
ドニスだけを脇に控えさせて練習をしていると、普段はこんな場所へは訪れないキキョウが姿を見せてきたのだ。
突然の母の姿に、オルモルは練習の手を止めた。少し早い休憩に入ってキキョウへ訪れた事情を尋ねれば、「一人なの?」とか「調子はどう?」とか、当たり障りのない言葉を発してくる。
そして適当な会話をしばらく重ねると、不意にキキョウの視線がじっとオルモルへ向けられた。
「オルモル、ドニスとばかり遊んでないで、ちゃんと友達とも接しなさい。本当に嫌われちゃうわ」
「……うん」
それが本題だったのだろう。諭すようなキキョウの言葉に、オルモルは小さく頷くしかなかった。
只、頷いたものの、その言葉はオルモルにとってひどくつらいものだった。
キキョウの懸念は理解している。けれどその頃には既に、オルモルと友人との間には大きな距離が取られていたのだ。自分から距離を詰めても、人が離れていく。また話すことができたとしても、皆はオルモルを見ると露骨に顔を逸らした。それは同世代の友人に限ったことではなかった。
頷く以上のことはできず、オルモルは俯いている。そんな自分を母がどう見ているのか、それを目に映すこともできなかった。
「待ってくれ。オルモルが悪いわけじゃない」
すると二人の間に割って入る声があった。
オルモルの沈んだ顔を見るに見かねてか、ドニスが声を上げたのだ。
キキョウが驚きに固まっている中、オルモルは必死に説明した。
ドニスが人の言葉を喋ったきっかけを話し、害のある魔物ではないことを訴えて、他の人へは話さないように頼み込む。
ケルグや猟師達に知られれば、もしかしたらドニスは魔物として殺されてしまうかもしれなかった。
オルモルが説明する合間合間に、ドニスもまたオルモルの孤立した現況をキキョウへ話していく。
畳み掛けるような説明の嵐に、キキョウは若干混乱した様子だった。だが全てを聞き終えた後は、もうオルモルの態度を咎めようとはしなかった。
そしてキキョウは家に帰ってもケルグにドニスのことを話さず、オルモルはそれにほっとした。
自分のことは差し置いてこれで変わらない日常が続くと、その時はそう思った。
だが同じ家に暮らしている以上、ケルグがドニスの異常に気付くのは時間の問題だった。
「只、父さんはそれを知っても、ドニスを追い出そうとはしなかった。危害がないならそんな必要はないと言って、他の猟師にも黙っていた。もしかしたら自分が村で孤立してることを知って、引き離すのが酷だと思ったのかもしれない。
けれど自分だけが知らなかった、家族に隠されていたことには、衝撃を受けているようだった」
さっきの言葉は恐らくこのことだったのだろう。ケルグに伝えなかったことを後悔しているのが、話すオルモルの表情を見ればイサムにもわかった。
「また村では俺の対応を巡って意見が分かれてから、剣呑とした空気が漂うようになった。
獣化病を知る外からの来訪者がいれば、あの時の空気も変わったかもしれない。だがこの時は運悪く、商人や巡礼路を進む聖職者、修道士の誰一人として村を訪れることがなかった。
結局最後には村の先行きを懸念した村長が要請してきて、父さんはそれを断ることができず、俺達はここへ来たんだ」
「……ケルグはムラにノコったのカ?」
「ああ。父さんは村一番の猟師だ。自分で狩るだけでなく、人に教えたり、皆の生活に関わっていた。だから母さんとも別れて、村に残った」
中空を泳いでいたオルモルの視線が、再びイサムへ向けられる。
「村に残った父さんがどうなったのか、見たわけじゃない。この後の話は川で話した、村から逃げてきた人に聞いた話だ」
オルモルの口調は動揺しないように意識してるのか、淡々としたものになった。
「一人になった父さんは元々無口だったのが、さらに口数が減ったらしい。いつも暗い雰囲気で、村人全員が日頃から気に掛けるほどだったと。
そして俺が村を離れてから二年ほど経った頃、村に新たな獣化病の発症者が出た。
村人達は皆、二年の間に来訪者から話を聞いて、その時は村が割れることはなかった。けれど父さんは随分と狼狽したらしい。それで皆が気付いた時には、村からいつの間にかいなくなっていた」
そこまで言うと、オルモルの言葉は一旦区切られた。
オルモルはイサムから一旦視線を外して、村のあるだろう方角へ顔を向ける。それから軽く俯いて、目を閉じた。
「父さんが消えた時、村では事件が起きていた。獣化病を発症した子供と、その母親が殺されていたんだ。殺されたのは村長の息子の家族だった。
事態を把握していた村長が言うことには、父さんが獣化病の原因を発症した子の父親だと思い込み、その男と母さんが不貞を働いて俺が生まれたんだと勘違いしたらしい。父さんはある日の夜、その父親を殺そうと家を襲い、それを庇った子と妻を殺して森へと姿を消したんだと。
村人達がその話を聞かされた時には、既に二人の埋葬は終わった後で、生き残った村長の息子は家に篭もりっきりだったそうだ」
イサムがオルモルを見ていると、オルモルはその視線から逃れるように今度は小屋の方へ顔を向ける。
「村長の話を鵜呑みにする村人はほとんどいなかった。只、この日から父さんが姿を消したのは本当らしい」
ケルグが村から消えて、そして今度は村が消えてしまった。
時として無知は罪になる。ドニスの言葉がイサムの脳裏に浮かんだ。罪人は罰せられる。村人やケルグは罰せられたのだろうか。だがそれは一体誰に。
只、暗い話の中で救いがあると思えるのは、こうしてオルモル達が生きていることだった。
「ウラんでナイのか?」
「……どうだったろう。もう覚えてないな」
その言葉で、オルモルは話を終えた。
オルモルの窺える横顔には暗さがなくなり、むしろ喋るだけ喋ってすっきりしているように見えた。
ケルグのことを本当はどう思っているのか、イサムにそこから読み取ることはできなかった。
話を終えて、二人は小屋の中へ戻った。奥の部屋に進むと、寝台の上で眠るキキョウとその脇で静かに座っているユーラが見える。
ユーラはイサム達に気が付くと立ち上がり、そこを離れて近寄ってきた。
「遅かったわね。キキョウさんはもう眠ったわ」
ユーラの言葉に、オルモルは小さな声で「ありがとう」と礼を伝える。
「そういえばドニスは?」
「あいつなら家族のところに行っている」
日中、三人が水浴びから戻った際に、オルモルは迎えたドニスに猪との出来事、明日のことを伝えた。
その時のドニスは心底呆れた顔をしたが、文句を言うことはなかった。何処かでこうなることを予感していたのかもしれない。
それから小屋を離れたドニスだが、向かったその妻と子のいる巣は、小屋から離れた場所にあるわけではないらしい。
様々な獣が縄張りを持つこの森で、この小屋周辺は村にいた猟犬達を中心とした、犬の縄張りになっているとのことだった。言わば、ここが最後の、村に残された土地だった。
「俺もそろそろ寝る。明日は万全にして挑みたい」
そう言って、オルモルは自分の寝床へ向かった。
イサムがオルモルの背中を見た後、眠るキキョウ、そしてユーラへ視線をやると、ユーラは小さく首を振る。
キキョウには明日のことを誰も伝えていないようだった。
オルモルは負けることなど、考えてもいないのだろう。
イサムとユーラも奥の部屋を出て、寝床の準備と荷物の整理を始めた。
手を動かしながら思うのは明日のこと。
明日、イサム達はオルモルが猪の相手をしている内に、ここから離れる。
それはオルモルが決めた予定だ。けれどイサムはオルモルを見捨てるような気がして、言いようのない気持ち悪さを感じていた。
「おやすみなさい」
『おやすみ』
準備を終えて、二人はさっさとそれぞれの寝袋へ入っていく。
イサムは横になると、ふと先ほどのオルモルの過去が頭をよぎった。
思いの外長かった話は、途中から展開が急になった。イサムの頭ではその展開の速さに付いていくのが精一杯で、聞いていることしかできなかった。
思い返しても漫画や小説のようで、それは少し前の自分ならば聞き流している類いのものだ。
けれど現実とはそういうものなのかもしれない。自分の顔のしるしに触れてみれば、尚更その思いは強くなる。
そうなればこそ、明日は本当に戦いが起きるのだ。
内に生じる気持ち悪さを飲み込みながら、イサムはそのことを思いつつ眠りに就いた。
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