四十九 以仁王の乱



 治承3年の政変を経て、世はまさに平家の天下となった。

 朝堂の席は平家とその与党で占められ、平家の知行国は天下の過半を占めた。

 院政を敷く高倉上皇との関係も良好で、新たに即位した幼帝、安徳天皇は平家の血を引いている。平家の権勢は絶頂を極めた。


 だが、天はこれを祝福しなかった。

 治承4年は雨の降らない年だった。春の来訪も遅い。



 ――今年は、不作かもしれませんね。



 八条院御所に向かいながら、源頼朝は天を仰いで嘆息した。







 我が世の春を謳歌する平家に対して、厳しい冬の最中にある者たちが居る。


“治天の君”の座から叩き落とされた後白河院。

 解官、配流、あるいは処刑の憂き目にあった院近臣たち。

 そして、その配下として地位を保護されていた地方官や地方の武士団、豪族たちだ。


 中央から派遣された、平家恩顧の国司やその目代の横暴に、地方の不満はいや増す。

 だが、反乱を起こそうにも、相手は日本最大の武力を有する武家の棟梁である。みな、歯噛みしながら耐えるしかなかった。


 後白河院の第三皇子、以仁王もちひとおうが乱を企てたのは、このような状況を憂いでのこと……ではない。

 外祖父を早くに失い、後ろ盾がなかった以仁王は、八条院の庇護を受け、ほとんど目のない皇位継承に望みを繋いできた。


 そのはかない望みも、安徳天皇即位により絶えた。

 ばかりか、政変に際して、以仁王の知行地は無残に奪われる。


 その絶望と平家への深い恨みが、以仁王を突き動かした。

 庇護者である八条院の縁故コネクションを使い、人を集め、平家打倒を志したのだ。


 ゆえに。



義弟おとうとよ。わかるであろう? 皇室を食い物にする平家を討たねばならぬのだ」



 以仁王が、源頼朝に助力を求めたのは必然だった。

 なにしろ義理の妹、北条政子の婿であり、南関東の武士団を率いる源氏の棟梁である。声をかけぬはずがない。



 ――義弟か……政子殿を義妹と思ったこともないでしょうに。



 心の中で皮肉な笑みを浮かべながら、頼朝は以仁王の言葉にうなずいた。



みや様、よくぞ私に話していただきました。平家は討たねばなりませぬ。そのためには全国よりつわものを集める必要がございましょう」


「うむ」


「そのためには名分が要ります。後白河院より院宣を賜れば申し分ありませんが、あいにく院は鳥羽殿にて幽閉されており、目通り叶いません。高倉院は平家の傀儡。ならば、非常の事として宮様が諸国に令旨りょうじを発する事、なんの障りがございましょうか」


「う、うむ。非常の事ゆえ、我が令旨をな」



 以仁王が落ちつきなく身を揺すった。

 令旨とは皇族、それも親王や皇后、皇太后などが発する命令であり、以仁王には本来これを発する権限はない。


 そこをあえて“令旨”と言ったのは、将来に対する含みを持たせてのこと。

 傀儡の高倉院や安徳天皇を排除すれば、あなた様は皇太子ですよ、とおもねったのだ。

 復讐で彩られていた脳裏に、突然甘い未来図を示されて、以仁王は急に落ち着かなくなった。



「のう、義弟よ。令旨はいずこに発すればよい?」


「全国の八条院御領を通じて、各地の反平家の武士たちへ。園城寺おんじょうじ興福寺こうふくじも、我々の味方となりましょう」


「う、うむ。それで平家に対抗できようか?」


「いえ。平家を倒すには、兵を率いる者――大将が足りません」


「……お主ではいかんのか?」


「私は畿内に与党少なく、また郎党の多くを東国に残しております。八条院恩顧であり、老練にして人品の確かな源氏の長老、源頼政みなもとのよりまさ様を頼るが最上の手かと」


「なるほど!」



 以仁王が膝を打った。



「――我もこたびの事、お主でなければ頼政をと思っておったのだ!」


「では、畿内は頼政殿に……東国は我が妻、北条政子にお任せください」


「義妹に? お主ではなく?」



 以仁王が首を傾ける。

 頼朝は静かに説明する。



「私が動けば気取られます。政子殿であれば、我が代理、十分に務まりますとも」


「なるほど……頼りにしているぞ、義弟よ」



 手を取り、縋ってくる以仁王に、真摯に応じながら、頼朝は思う。



 ――さて、どちらにせよ上手くいくよう、手を打ちましたが……どう転ぶ事やら。



 平清盛はそれを最善と疑わず、次善の手を打った。

 寺社、それに平重盛との縁をつなげた。

 そして以仁王は乱を起こす。


 乱が成功しても失敗しても、天下への道筋は通せる。



 ――もっとも、その時まで私が生きていられるか。それも賭けですが。



 明日のために。あるいは、さらに先のために、頼朝は手を打つ。







 以仁王の令旨は発せられた。

 八条院は以仁王の身を案じて諌めたが、止まらない。


 八条院領を通じて、令旨は全国を回る。

 伊豆国の政子の元にも、令旨は届けられた。


 届けたのは、八条院蔵人、北条宗時。

 巨体の従者を連れて国司館にやってきた兄を、政子は笑顔で迎えた。



「兄者よ、よくぞ参った!」


「政子。ひさしぶりだな」


「この時期に来るということは、乱じゃな? その使いであろう?」



 政子の言葉に、従者が飛びあがらんばかりに驚いたが、宗時は平然としたものだ。



「その通りだよ。以仁王よりの令旨だ。内容は“関東を存分にして私を助けれくれ”」



 宗時の言葉に、政子は目を見開き――笑いだした。



「くっくっく、なるほど……その言い回し。頼朝の手が入っておるな?」


「よくわかるな?」


「当り前ぞ! これほどわしに都合のよい令旨があるか? これで関東はわしのものになるのだぞ!?」


「まあそれも、乱が成功すれば、だろう?」


「違うな。成功しても、失敗しても、だ! 令旨を利用して関東を我が武の下にまとめ上げれば、都の干渉を許さぬ一大勢力が出来上がる! それこそが頼朝の計画であろうよ! ……シテ」


「ふむ?」


「ふむ? ではない。頼朝はどこじゃ。来て居るのであろう?」



 政子は頼朝の姿を求めて視線を左右させる。

 仕込みは終わった。ならば、危険な都を避けて、伊豆に逃げるのは当然だ。


 だが、宗時は首を縦に振らない。

 困惑しながら口を開く。



「……頼朝様は、以仁王とともに都で乱に加わる予定だが」


「馬鹿な!」



 政子は両手で床を打った。



「それでは殺されに行くようなものではないか!」


「……政子は、この乱が失敗すると?」


「頼朝が居るのなら三分の成功を見てもよかろうよ! だが本来成功の余地などない乱なのだ! 頼朝が残る理由などない!」



 その言葉に、宗時はしばし、思案して。



「……頼朝様は、政変後も近衛中将のままだ」


「官職のかせかっ!」



 政子がふたたび床を叩いた。

 清盛の打った手――官職による地方との切り離しがいまだ利いているのだ。



「京から離れるには、近衛中将という大駒は目立ちすぎる。計画が発覚するきっかけとしては十分だ。頼朝様はそれを嫌って京に残られたのだろう」


「清盛めっ!」


「政子……」




 声を荒げる政子を、宗時がなだめようとして。



「なにをしておるっ! 兄者よ、動くぞ!」



 突然、政子が声を上げた。



「政子?」


「事は起こった! 時は戻せぬ! 乱の成否に関わらず、やることはどの道変わらん! ならば動くまでよ! まずは令旨を奉じて国内を掌握して相模、上総の平家郎党を関東から叩きだす! 義時! 義時は居るか? 姿は見えぬがどうせ居るんであろう! 手配せよ!」


「ずっと居ました! やります!」


「義時!?」



 宗時が驚きの声を上げたが、政子も義時もすでに動き出している。

 5月中旬には伊豆一国を、6月初頭には2、3の小戦を経て相模を平定した政子は、三浦氏の居城、衣笠きぬがさ城で、以仁王の挙兵とその敗報を聞いた。


 以仁王、源頼朝、ともに消息は不明。

 ただし、状況を考えれば生存は絶望的。

 藤九郎はその日、他人に姿を見せなかった。

 政子は涙を流さなかったが、即日剃髪出家した。


 しかし、政子は止まらない。

 魔王のごとき気格を備え、それにふさわしい軍勢を率いて。

 尼削ぎおかっぱの髪を鬱陶しそうにかき分けながら、政子はく。



「……さあ、参るぞ! 坂東の武者どもよ! 第六天魔王の戦ぶり、その目でとくと見よ!」



 治承4年9月。

 政子は関東の大部分をその傘下に収めた。

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