三十九 伊豆守


 嘉応三年、一月の末。

 伊豆守、源頼朝一行は、伊豆国に入った。

 東海道を急ぎ下る一行。その中で、北条政子は先頭で馬を駆り、四隣しりんに響く笑声を放った。



「伊豆の国よ! わしが戻って来た!」



 獣が逃げた。

 それは、伊豆国を襲う暴風を予感させた。







 頼朝が伊豆入りしてほどなく。

 国中の武士たちに、頼朝からの文が一斉に届けられた。

 日付を指定して、北条屋敷に来るように書かれた、その手紙の主が「伊豆守頼朝」となっていることで、伊豆の新しい国主を知った武士も多い。


 急な話だったが、相手は伊豆守だ。

 以後の穏便な関係を望むなら、行っておくほうが無難である。


 ということで、二月の吉日。

 伊豆国北条郷は、時ならぬ喧噪に包まれていた。



「――よう、あんたも来たか」


「てめえもか」



 北条屋敷に向かう道すがら、顔を合わせた二人の武士が挨拶を交わす。



「しかし、驚ぇたぜ、なあ? 新しい伊豆守様はよぉ、あの蛭ヶ小島ひるがこじまの御曹司だってぇ話じゃねぇか」


「おうよ。手紙見てたまげたぜ。落ちぶれた流人だったはずなのによ。いきなり伊豆守頼朝だぜ? 上等ジョートーこいてやがるのかと思って、危うく特攻ぶっこむところだったぜ」


「はっ、命拾いしたな」


「おうよ……だけどよ? なんで平治の乱の罪がいきなり許されたんだ?」


「あんたも聞いてねぇのか……まあ、あの娘が絡んでるのは間違いねぇだろうな」


「あの娘?」


「北条の修羅姫だ。あの娘、都の八条院の猶子むすめになったってえ話じゃねえか」


「ああ。あの悪路王あくろおうの化身みたいな童が、なんでか、な。それで最近北条時政ほうじょうときまさ――あの犬野郎が調子こいてんじゃねえか……シバキてぇ」


「まあ置いとけ――とにかく、あの童が八条院に頼んで源頼朝を伊豆守に仕立て上げたってんなら、話が繋がるじゃねえか」


「ああ、なら、オレたちが北条屋敷に呼ばれたってのも、納得できるな……ぶっ殺すか?」


「そう慌てんな。まずは伊豆守様がなんと言ってくるか、たっぷり検分してやろうじゃねえか」



 頼朝赦免から、政子との結婚、伊豆守就任。

 そして下向後、即座の招集という一連の動きがあまりにも早すぎて、伊豆では都からのうわさすら、十分に伝わっていない。それゆえ、こんな会話が随所で為されているのだ。


 続々と、北条屋敷に人が集まって来た。

 対応する家人たちは大わらわ――とはならない。

 家人たちは、不気味なほどにてきぱきと来客をさばき、屋敷をぶちぬいた急造の広間に案内していく。


 広間には、狩野かのう伊東いとうの二大豪族から弱小武士に至るまでが集まっている。

 北条家当主代行の宗時むねときが、疎漏なく応対して不快にさせない。やらかしそうな時政が一時隔離されているのはご愛嬌である。


 ともあれ。

 ほどなくして頼朝が、北条時政を伴って姿を現した。



「皆様。ようこそお集まりいただきました。このたび伊豆守に任ぜられました、源頼朝です」



 じめじめした笑顔で、頼朝は彼らに挨拶する。

 頼朝に他意はないが、妙に陰湿な印象を与える笑顔だ。



「多くの方には、しばらくぶり、と挨拶させていただきましょう。この頼朝、皆さま方の顔と行いは、いちいち存じております。以降もよろしくおつき合いください」



 それがこんなことを言いだすものだから、全員緊張の面持ちとなった。

 ごく一部の、頼朝と親しく付き合っていた者は、おもいきり顔を引きつらせた。

 彼が怨み雑記帳ノートに、今までの恨みつらみをねちねち書き記していることを知っているからだ。



「私がいきなり伊豆守となったこと、さぞかし不審にお思いでしょう。誤解を避けるため、まずは経緯を説明させていただきます」



 と、頼朝は話題を変える。

 この場に居る全員が気になっていたことだ。



「私の御赦免は、後白河院ちてんのきみのお声がかりで実現いたしました。伊豆守就任に関しても同様です」


「なんと」



 驚きの声が上がった。

 広間の武士たちに動揺の波が広がる。

 それが収まるのを待って、頼朝はふたたび口を開く。



「同時に、私は都にて、婚儀を行っております。こちらも後白河院と……八条院のお望みで、です」



 どよめきは、先ほどより大きい。



「お静かに、お静かに!」



 宗時が声をあげるが、どよめきが収まるまで、しばし時を要した。



「我が妻を紹介いたしましょう――入ってきてください」



 頼朝が手で合図すると、ややあって一人の少女が入って来た。


 年のころは、八つか九つ。

 明らかに幼いが、装いは成人女性のそれ。

 上品な小袿こうちき姿の垂髪の美しい童女である。


 ……不遜に見開かれた瞳と、全身から放射される圧倒的な王気オーラ以外は。



「我が妻、北条政子殿です」


「くははははっ! みなの者、見よ! わしが北条政子であるぞ!」


「げえっ!?」



 政子の顔を知る者が悲鳴を上げた。

 政子の名を聞いて、北条の修羅姫のうわさを思い出した者たちも、顔をひきつらせている。



「政子殿は八条院の猶子であり、また、ことのほかかわいがられております。そして私自身も八条院と親しく、また後白河院に格別のお引き立てをいただいております」



 淡々と、頼朝は虚実を織り交ぜて語る。

 背後で政子が「抜かしよるわこやつめ」とばかり笑っているが、それもまた威圧となっている。



「私は現在伊豆守であり、また伊豆の軍権も預かっておりますが、先ほど言ったように、お上にいろいろと話が出来る立場でもあります。ですので皆様、これからも、それ以降も・・・・・、どうぞ私を頼って下さいね?」



 頼朝が、粘着質な笑みを浮かべる。

 武士であるなら、頼朝の言葉の意味をわからぬはずがない。

 自分を棟梁として仰ぐなら、守ってやる。暗にそう言っているのだ。


 この言葉は効いた。

 みなの目の色が変わった。

 しかし、頼朝は事を急がない。手札を晒すと、さっとしまい込んだ。



「とりあえず、言いたいことは以上です。さしあたってお願いすることもございません。北条時政ちちが私の名を借りて無体を言いだしたらぶん殴ってくれて結構です」


「!?」



 時政が驚きに目を剥いているが、頼朝は無視する。

 時政は賢明で如才ない人間こずるいこあくとうだが、いかんせん今は羽目が外れてしまっている。ここらで薬を効かせておく必要があるのだ。



「ともあれ、本日はようこそ参られました。これより酒宴とまいりましょう。今後ともよしなに」



 頼朝が促すと、宗時がてきぱきと動き、速やかに酒肴が運ばれてくる。


 宴となった。

 頼朝は上座の者から順に親しく声をかけていく。

 宴はしだいに盛り上がりを見せ、方々で大声が上がり始める。



「くはははっ! みな存分に楽しむがよい!」



 魔王オーラ全開でみなを威圧しまくる政子は、宗時あにによって途中退場させられた。





政子「おにょれ義昭!」

義昭「!?」

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