二十五 猶子

 勝負を終え、政子が退がる。

 場を満たしていた異様な緊張がふいと消えた。



 ――まさに、暴風のごとき娘だね。



 清盛が息を吐き出すと、几帳きちょうの奥で、小さな笑いがささめいた。



「さて、清盛さん負けたわけやけど」


「楽しそうですな、八条院」



 遠回しな皮肉は、八条院には通じない。



「だって、いっつも涼しい顔してる清盛さんのあんな場面とこが見れたんやもん。これだけで、政子ちゃんを伊豆から呼んだ甲斐があったわー」


「これは手厳しい」


「いや、べつに清盛さんへこましたろ思たわけやないよ? 珍しいもんが見れてうれしいだけ……てのは置いといて、清盛さん。政子ちゃんは清盛さんからなんも取らへんだけど、かわりにうちがご褒美もろていい?」


「いや、つぎは真剣勝負を、という結構な無茶を言われましたが」


「そないなこと言わんと。ええやろ?」


「……どんなお願いか、お聞かせ願えますか?」



 妙に押して来る八条院に対し、内心苦笑しながら、清盛は問う。



「実はあの子、うちの猶子こどもにしたいんよ」



 猶子ゆうしは相続権のない養子と思ってほぼ間違いない。

 しかし、皇族の猶子にするには、北条の娘というのはあまりにも身分が低すぎる。



「よろしいのですか? 犬猫を養子にするようなものですよ?」



 ひどい言葉だが、言いすぎではない。

 政子を直で見た清盛はともかく、あの傲慢ごうまんな公家たちが眉をひそめぬはずがない。


 だが、八条院は「かまへんよかまわない」と言う。



「というか清盛さんも、そうは思てはらへんよね? しばらく手元に置いたけど、あの聡明さはただ事やないよ。気格も尋常やない。白河のひいお爺さま(白河院)の生まれ変わりちゃうか、ってくらいやよ」


「または、平将門たいらのまさかどが生まれ変わったか」



 気格では白河院に比肩する。

 だが、炎にも似た危険な覇気は、あの関東独立を図った新皇平将門にこそ、例えられるべきものではないか。



「不吉なこと言いな」



 清盛の言葉に、八条院が眉をひそめた。


 当然だろう。

 可愛がっている娘を反逆者に例えられてうれしいはずがない。



「失礼」



 と、無礼を詫びて、清盛は言う。



「まあ、ボクを負かせたあの娘にとっても利になる話です。猶子の件、後押しするのはやぶさかではないですが……恐ろしいですな。あの娘、切れすぎる」



 清盛の危機感は正しい。

 なにしろ、北条政子。あの圧倒的気格オーラを持つ童女は、戦国時代の魔王、織田信長の記憶人格を持って生まれた、生まれついての覇王なのだから。



「言質取ったよ。清盛さん、よろしゅうお願いなー」



 清盛の抱いている危惧きぐなどつゆ知らぬ様子で、八条院はのほほんとお願いしてきた。







「……ふむ」



 対局を終え、部屋に戻った政子は、深く息を突いた。



織田信長わしが、平清盛と、碁を打つか。面白い」



 考えてみれば奇妙な話である。

 戦国の世に居たころには、夢にも思わなかったことだ。


 とはいえ、碁の勝負自体には、政子はさして興味がない。

 本当に知りたかったのは、清盛がどんな男か。それだけだ。囲碁はただの手段である。



「備え重厚にして華があり、反撃の刃は鋭利そのもの……さて、戦国の世で誰に例えるべきか」



 単純にこれという武将は思い当たらない。



「――しかし間違いなく、強い」



 政子は剣呑な笑みを浮かべた。

 本人の力量も、率いる軍勢も申し分ない。倒しがいのある敵だ。



「足りぬ。足りぬなあ。武力も財力も政治力も、なにもかも足りぬわ!」



 心底楽しそうに、政子は笑う。

 魔王オーラ全開の笑い声に、部屋が近い女房たちが怯え震えているのはともかく。



「さて」



 口の端をつり上げながら、政子は独語する。



「――清盛は見た。後白河院も、ここに居ればいずれまみえよう……あとは、この平安の都で、やるべきことをやり尽くしてくれようぞ!」



 多くの者にとって、不吉極まりない宣言だった。



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