二十四 棋戦

「さて」



 平清盛と北条政子。ふたりの間に碁盤ごばんが置かれる。



「先手はキミに譲るよ」


「よいのか? わしに先手を持たせて」



 魔王オーラ全開で、政子は問う。

 囲碁の勝負は先手のほうが有利であり、またこの時代、上手の者が先手を取る。



「いいさ。こちらは胸を貸す立場だ……それに」


「それに?」


「実はボクは――後手のほうが得意なんだ。囲碁も、戦もね」


「ふっ、面白い。それでは見せてやろう。魔王わしの戦をな」



 ピシィッ、と、鋭い音を立てて。

 政子は黒石を、右上隅に打ちつけた。







 囲碁とは、陣取りゲームだ。

 それぞれ白と黒の石を持ち、交互に石を置いて行く。

 勝負の場となる碁盤には、縦横それぞれ19の直線が刻まれており、その交点に石を置く。そうして囲った陣地の広さを競うのだ。


 政子と清盛は、碁盤の隅にそれぞれ石を置き。

 それから、攻防のための布石を打っていく。



 ――妙な布石だね。



 清盛は違和感を覚えた。

 石の置き方は、みやこのどの流儀とも違う。

 しかも早い。地を渡る清盛の布石にかぶせつつも、中央に手をつける、そのスピードが尋常ではない。



 ――それで、本当に打てるのかい?



 気格オーラは本物だ。打ち方も堂に入っている。

 だが、この布石で、まともに打てるのか。速さはすなわち石と石の間の広さ――つまりは隙の大きさだ。


 試すつもりで、清盛は白石をぴたりと黒石につける。

 布石の手を止め、接近戦クロスファイトを仕掛けたのだ。



 ――応手を間違えば、黒は切断される。さて、間違わずに打てるかな?



 挑むような清盛の表情をあざ笑うように。



「ふっ」



 幼い娘は鼻で笑いながら、手早くしのいで見せた。



 ――正確だ。しかも早い!



 この童女、さして時間もかけずにポンポンと石を置く。

 しかも恐ろしく正確に。



 ――しのいだか。では、これはどうかな?



 中央より左辺に戦場を変え、政子の黒石につけた、その時。

 幼い少女は盤面から顔をあげ、爛々らんらんたる眼光で清盛をにらみつけてきた。



「……なあ清盛。おぬしわしをめておるのか? それとも、わしがお主を過大評価しておったのか?」



 空間を切り裂くような音とともに、政子の白石が下辺、清盛の布陣に割り込んだ。



「そんなヌルイ攻めに、応じてもらえると思ったのか?」


「……言ってくれるね」



 平静を装うが、内心は悲鳴を上げている。

 政子の応手の鋭さ、正確さを考えれば、この黒石、どうあっても殺せそうにない。


 応じなければ、こちらの陣が大きく荒らされる。

 しかも、順当に攻防を重ねれば、戦いもつれた白黒の石が左隅に絡み、清盛の陣を押しつぶしかねない。



 ――この布石に、こんな狙いがあったとはね。



 この時点でそこまで読めている清盛も、尋常ではない。



 ――最善の応手からは外れるが、ここは黒石を右に追いやる!



 最悪の事態を避け、下辺を大きく荒らされながらも、清盛は政子の攻撃をしのぐ。

 だが。



「こちらの攻めは、まだ終わっておらぬぞ!」



 政子は、今度は右辺から右隅を攻め始める。



 ――鋭いっ!?



 火のような攻めだ。

 しかも喉笛を裂く鋭さを兼ね備えている。


 しかも、この尋常ならざる童女は、攻めながらも盤面全体を睥睨へいげいしている。

 局面での攻防は勝ったり負けたりだが、局面の負けを全体の負けにはけっしてしない。石に執着せず、攻防が負けと見れば大きく捨てる。


 結局。

 碁は政子の大勝だった。







「やったー。政子ちゃんすごいわー」



 無邪気に喜ぶ八条院を尻目に、清盛はため息をついた。



「まいった。豪語するだけのことはある。ちょっと信じられないくらい強いね」


「当然よ! 言ったであろう? 囲碁は得意だと!」



 政子は胸を反らして自慢する。



「しかし、よくもああ、あっちこっちの戦場に火をつけられるものだ。しかも奇麗にさばききってる。失着しっぱいを期待して、見苦しく抵抗してしまったね」


「多方面に目を配るのは得意なのだ。あれくらいは楽なものよ」



「包囲網とか包囲網とかな」などと小声でつぶやく政子。

 なにやら心の傷トラウマがあるらしい。



「――しかし、ぬしもなかなかのものぞ。あそこまで厳しく迫られるとは思わなんだわ。だが、受けてばかりでは勝てぬ」


「あいにくと平和主義者なものでね。戦は万事避けたいのさ」



 遁辞とんじを構えたが、政子の言葉通りだ。

 政子の火のような攻めで、いつもの碁を打たせてもらえなかったことが、結局の敗因だ。



 ――だが、北条政子。



 清盛は目の前の少女を見る。

 異様な気格の主ではあるものの、彼女は一見十歳にもならない童女だ。


 それが、老熟さえ感じさせる碁を打つ。

 そのことに。いや、北条政子という存在自体に、清盛は神仏のいたずらめいた悪意を感じざるを得ない。



「政子、だったね。うん、覚えた。囲碁でボクに勝ったご褒美ほうびだ。なにか欲しいものはあるかい?」


「うちのやよ」



 清盛の言葉を懐柔と見たか、八条院が所有権を主張したのはともかく。



「ふむ、ならば」



 政子は言う。



「つぎは、囲碁などではない。本気の勝負いくさをやろうぞ」


「……いいよ。だけど政子。キミも覚えておくといい」



 政子の言葉に本気を感じて、清盛は告げる。



「ボクは平和主義者だけど、ボクとボクの大切な家族を傷つける者にはいっさい容赦ようしゃしない。相手が神でも、仏でも、ボクは家族を守るためなら畜生外道ちくしょうげどうになれる……そして」



 時代の巨人、平清盛の、殺気を伴った言葉。

 それを、涼しい顔をして受け止める化物に、清盛は説き伏せるように言う。



「――現実は囲碁とは違う。平家相手に互角の戦力で戦う、などという事態は存在しない。ボクがさせない……だから、ボクの敵になるのは賢明ではないよ?」



 そう言って、清盛はにこりと笑った。


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