二十四 棋戦
「さて」
平清盛と北条政子。ふたりの間に
「先手はキミに譲るよ」
「よいのか? わしに先手を持たせて」
魔王オーラ全開で、政子は問う。
囲碁の勝負は先手のほうが有利であり、またこの時代、上手の者が先手を取る。
「いいさ。こちらは胸を貸す立場だ……それに」
「それに?」
「実はボクは――後手のほうが得意なんだ。囲碁も、戦もね」
「ふっ、面白い。それでは見せてやろう。
ピシィッ、と、鋭い音を立てて。
政子は黒石を、右上隅に打ちつけた。
◆
囲碁とは、陣取りゲームだ。
それぞれ白と黒の石を持ち、交互に石を置いて行く。
勝負の場となる碁盤には、縦横それぞれ19の直線が刻まれており、その交点に石を置く。そうして囲った陣地の広さを競うのだ。
政子と清盛は、碁盤の隅にそれぞれ石を置き。
それから、攻防のための布石を打っていく。
――妙な布石だね。
清盛は違和感を覚えた。
石の置き方は、
しかも早い。地を渡る清盛の布石にかぶせつつも、中央に手をつける、そのスピードが尋常ではない。
――それで、本当に打てるのかい?
だが、この布石で、まともに打てるのか。速さはすなわち石と石の間の広さ――つまりは隙の大きさだ。
試すつもりで、清盛は白石をぴたりと黒石につける。
布石の手を止め、
――応手を間違えば、黒は切断される。さて、間違わずに打てるかな?
挑むような清盛の表情をあざ笑うように。
「ふっ」
幼い娘は鼻で笑いながら、手早くしのいで見せた。
――正確だ。しかも早い!
この童女、さして時間もかけずにポンポンと石を置く。
しかも恐ろしく正確に。
――しのいだか。では、これはどうかな?
中央より左辺に戦場を変え、政子の黒石につけた、その時。
幼い少女は盤面から顔をあげ、
「……なあ清盛。おぬしわしを
空間を切り裂くような音とともに、政子の白石が下辺、清盛の布陣に割り込んだ。
「そんなヌルイ攻めに、応じてもらえると思ったのか?」
「……言ってくれるね」
平静を装うが、内心は悲鳴を上げている。
政子の応手の鋭さ、正確さを考えれば、この黒石、どうあっても殺せそうにない。
応じなければ、こちらの陣が大きく荒らされる。
しかも、順当に攻防を重ねれば、戦いもつれた白黒の石が左隅に絡み、清盛の陣を押しつぶしかねない。
――この布石に、こんな狙いがあったとはね。
この時点でそこまで読めている清盛も、尋常ではない。
――最善の応手からは外れるが、ここは黒石を右に追いやる!
最悪の事態を避け、下辺を大きく荒らされながらも、清盛は政子の攻撃をしのぐ。
だが。
「こちらの攻めは、まだ終わっておらぬぞ!」
政子は、今度は右辺から右隅を攻め始める。
――鋭いっ!?
火のような攻めだ。
しかも喉笛を裂く鋭さを兼ね備えている。
しかも、この尋常ならざる童女は、攻めながらも盤面全体を
局面での攻防は勝ったり負けたりだが、局面の負けを全体の負けにはけっしてしない。石に執着せず、攻防が負けと見れば大きく捨てる。
結局。
碁は政子の大勝だった。
◆
「やったー。政子ちゃんすごいわー」
無邪気に喜ぶ八条院を尻目に、清盛はため息をついた。
「まいった。豪語するだけのことはある。ちょっと信じられないくらい強いね」
「当然よ! 言ったであろう? 囲碁は得意だと!」
政子は胸を反らして自慢する。
「しかし、よくもああ、あっちこっちの戦場に火をつけられるものだ。しかも奇麗にさばききってる。
「多方面に目を配るのは得意なのだ。あれくらいは楽なものよ」
「包囲網とか包囲網とかな」などと小声でつぶやく政子。
なにやら
「――しかし、ぬしもなかなかのものぞ。あそこまで厳しく迫られるとは思わなんだわ。だが、受けてばかりでは勝てぬ」
「あいにくと平和主義者なものでね。戦は万事避けたいのさ」
政子の火のような攻めで、いつもの碁を打たせてもらえなかったことが、結局の敗因だ。
――だが、北条政子。
清盛は目の前の少女を見る。
異様な気格の主ではあるものの、彼女は一見十歳にもならない童女だ。
それが、老熟さえ感じさせる碁を打つ。
そのことに。いや、北条政子という存在自体に、清盛は神仏のいたずらめいた悪意を感じざるを得ない。
「政子、だったね。うん、覚えた。囲碁でボクに勝ったご
「うちのやよ」
清盛の言葉を懐柔と見たか、八条院が所有権を主張したのはともかく。
「ふむ、ならば」
政子は言う。
「つぎは、囲碁などではない。本気の
「……いいよ。だけど政子。キミも覚えておくといい」
政子の言葉に本気を感じて、清盛は告げる。
「ボクは平和主義者だけど、ボクとボクの大切な家族を傷つける者にはいっさい
時代の巨人、平清盛の、殺気を伴った言葉。
それを、涼しい顔をして受け止める化物に、清盛は説き伏せるように言う。
「――現実は囲碁とは違う。平家相手に互角の戦力で戦う、などという事態は存在しない。ボクがさせない……だから、ボクの敵になるのは賢明ではないよ?」
そう言って、清盛はにこりと笑った。
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