十九 都へ

 仁安にんあん三年四月。

 十一歳になった政子は、京へ旅立たんとしていた。


 春の息吹かおる、とある晴れた吉日きちじつ

 北条郷では、一族総出で政子の旅立ちを見送った。

 都へ行くのは、北条政子以下、数名のお供と、監視役兼保護者の藤九郎とうくろうだ。



「政子! わしの出世のために、しっかりやるのだぞ!」


「問題を起こさないように、とは言わぬが、お家を潰すようなまねはするんじゃないぞ!」


「わかっておるわ!」



 期待と心配。自分のためとお家ため。

 対象的な北条時政ときまさ宗時むねとき親子に、政子は自信たっぷりに応じた。

 ちなみにこれは、「お前らの言い分は理解した」という意味で、相手の言うことを聞く意思表示ではない。

 それを十二分に理解している宗時は、監視役の藤九郎に、政子の面倒見をしつこいくらいお願いしている。



「あねうえがんばって!」


「ねーちゃ、がんがって!」



 と、なんの裏もなく天使の笑みで励ますのは、政子の妹、北条保子やすこと、二歳になる下の弟、北条時房ときふさだ。



「あねうえ、お気をつけて!」



 妹たちの隣で声をあげた童子を見て、政子は首を傾けた。



「あれ? 義時よしとき、居ったのか」


「ずっといました!」



 上の弟、五歳になる北条義時である。

 非常に優秀で、政子の施した教育を苦もなく理解する聡明な少年なのだが、存在感が薄いのが欠点だ。



 ――こんなに影薄くて大丈夫かのう。出来は、兄者以上に良いのじゃが。



 なんというか、武勲をあげても自然ナチュラルに無視されそうな、そんなさち薄さを感じざるをえない。



「魔王娘、おれさまのことも頼むぜ」


「政子殿、お気をつけて。くれぐれも無茶はしないように」



 家族の挨拶の後、近づいて来て声をかけたのは、源氏の流人るにん二人。

 髭もじゃの威丈夫、源為朝みなもとのためともに粘着質の貴公子、源頼朝みなもとのよりともだ。



「わかっておるわ」


「藤九郎、くれぐれも頼みましたよ」



 頼朝が、藤九郎に向き直って頭を下げる。

 政子の事をよく理解している。



「承知です。気はぁ進みませんが、これも頼朝様のおん為。務めさせてぇいただきます」



 覚悟を定めた、といった風情の藤九郎。

 彼も政子といっしょに旅した仲だ。政子の問題児っぷりを非常によく理解しているのだ。



「苦労をかけます。藤九郎」


「おい、わしとて子どもではないのじゃ。心配は無用ぞ」



 あまりの念の押しように、政子が抗議の声をあげた。

 対する頼朝は、至極真剣な表情で政子を見据え、言葉を返す。



「いや、じゅうぶん子供――はともかく、私は政子殿を信じてます……なにかやらかすと」


「うん。政子は絶対なにかやらかす」


「……くっくっく。人間五十年。成すべきことを為さねばあっという間に終わってしまうわ。わしは機と見ればためらわぬ! 恐れぬ! 怖じぬ!」



 頼朝と兄宗時に断言されて、ちょっぴり傷つきつつも、政子は魔王オーラ全開で胸を張った。



「さっすが姫大将! イカス!」


「ヒャッハー! 大番役おおばんやく以外で都に登るなんざめったにないぜー!」



 お供を買って出た家来の武者ふたりが、空気を読まずにはやし立てる。

 そんな中、頼朝は膝を折り、政子に目線を合わせ――あらためて言った。



「では、帰りを楽しみにしていますよ。政子殿」


「ふはははっ。つぎ会うときには、部下にしてくれと頭を下げたくなるかもしれぬぞ、頼朝!」



 こうして別れを済ませた政子たちは、都へと旅立った。







 北条屋敷を出発した一行は、東海道に出てまっすぐ西を目指した。

 徒歩の者に合わせてゆるゆると馬を行かせていると、隣を行く藤九郎が「さて」と尋ねてきた。



「小娘。都へのぉ旅路、どうするつもりだ?」


「そうじゃな……まずは東海道を上って熱田社あつたしゃへ参る」


「おお、それは感心じゃぁな」


「感心?」



 藤九郎の喜び方に違和感を覚えて、政子は首をかしげた。



「なぁんだ、知らぬのか。熱田大宮司藤原祐範ふじわらすけのり様の姉、由良御前ゆらごぜん様は頼朝様の母君ははぎみだぞ」



 つまり、都行きになにかと骨折りした頼朝への心遣いと勘違いしたのだ。

 むろん、政子にそんな殊勝さはない。



「で、あったか。まあ、そのようなことはよい。わし自身、熱田社には縁があってのう。寄進のひとつでもしながら、わしが知る熱田社とどう違うか、また尾張おわり国の様子なども見ながら、ゆるりと都へ参ろうと思っておるのだ――ああ。安土あづち城が出来るあたりも見ておくべきか」


「あまり寄り道はぁいかんぞ。あと、都では身ぎれいにしておけ。そんな恰好で八条院はちじょういんにお会いしようとはぁ思わぬことだ」



 ちなみに。政子は、いまだに直垂ひたたれくくばかまの男装の上に、小袖こそでをひっかぶった黒歴史ルックである。



「悪いか?」


「悪い」



 まったく悪びれない政子を、ばっさりと切り捨てる藤九郎。

 そのつっけんどんな言い方が気に入ったのか、政子はにやりと笑ってうなずいた。



「デアルカ」





 

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