十五 源為朝

 「困るだ!」と悲鳴をあげる蘆島太郎あしじまたろうを追いかけて、政子たちは為朝の屋敷に特攻ぶっこんだ。



「たのもう!」


「ああ、娘っ子! ちょっと待つだよ!」


「こりゃ!? わしを持ち上げるな!」



 必死で止めようとする鬼男と政子たちが、しばし門前でもみ合っていると。



「太郎よぉ」



 ふいに、低い声が、門の奥から聞こえてきた。

 地が震えるような、恐ろしい声だ。家来の武士たちが、即座に腰の刀に手をかける。



「――おれさまへの客かぁ? 暇を持て余していたところだ! 連れて来やがれ!」


「はいっ! 承知いたしましただ! いくだよ、娘っ子!」


「お、おい!?」



 先ほどとは逆に、急き立てるようにして、政子たちは屋敷に通された。

 政子は蘆島太郎に抱えられたままだ。



「――よお、来たか」



 案内された屋敷の一室。

 庭が見える板間いたのまに声の主はいた。

 板張りの上にむしろも敷かず、片ひじ立てて寝転がる男の姿に、政子は口の端をつりあげる。



 ――でかい。



 心の中でつぶやく。


 七尺ほどの巨体。

 面相は、毛むくじゃらの髭もじゃ。

 蘆島太郎によく似た姿の、ましらのようにしなやかな体つきの威丈夫である。



「ぬしが源為朝みなもとのためともかっ!」



 案内した蘆島太郎が言葉を発する前に、政子が問いかけた。


 伸びた眉の奥で、男の目がぎらりと光った。

 発せられる圧に、家来の武士たちがたたらを踏む。



「いかにも、おれさまが鎮西八郎ちんぜいはちろう為朝よ……小娘、何者だ」



 のそり、と半身を起こして、男――為朝は名乗った。

 自分のオーラにびくともしない小娘に、好奇心を刺激されたような、そんな口調だ。



「答えてやろう! わしは政子! 北条の修羅姫、北条政子よ!」



 魔王オーラ全開で、政子は名乗りをあげる。

 その圧は、為朝のそれを軽く吹き飛ばして空間を魔王色に染め上げた。



「てめえ……まじでなにもんだ? 帝でもそんな化物みたいな気配オーラしてねぇぞ」


「ただの魔王よ。第六天のな!」



 政子はうそぶく。



「……まじか?」



 為朝は半信半疑の様子だ。

 半ば信じさせる、それだけのオーラが、政子にはあった。


 当然だ。

 神仏や妖怪変化、悪霊や怨霊。

 そういったしろものが、当たり前のように信じられている平安の世だ。

 信じさせるに足る力さえあれば、そこに魔王は居るのだ。



「さて」



 しかし、政子はうなずかない。

 れるような笑みを浮かべて、胸を反らす。



「――まあ甲斐の田舎坊主たけだしんげんが“我こそ天台座主きょうしゅさまでござい”とうそぶきよったのでな、“ならばわしは第六天の魔王よ”と返して以来、そう称しておるまでのことよ」



 神をも恐れぬ不遜な態度に、放つ気配オーラはふさわしい。


 ゆえに、鎮西八郎為朝。

 この最強の武辺ぶへんは、その身分ではなく、気配に相応しい態度をとった。

 もとより為朝自身、法などクソ喰らえの無法者アウトローだ。政子の無法はむしろ心地よい。



「で、その魔王さまが、この為朝様の元に、なにをしに来やがった?」


「従えに来た!」


「従えに? なにを」


「鎮西八郎為朝! ぬしをだ!」



 だが、さすがにこれは無法過ぎる。

 相手は北条ごとき小豪族の娘。為朝は源氏の名流にして名高き武人。

 そんな枝葉末節を無視したとしても、ケンカを売っている以外の何物でもない行為だ。



「……正気か?」


「正気よ! わしにそれが出来んとでも思うか!?」



 平らな胸を反らす幼い少女に、為朝は笑みを浮かべた。

 無法者同士、上下関係を決めるとすれば、拳以外にはない。



「さて、おれさまは、そのちっこいナリのてめえがどれほどヤるかはわかんねえがな……見ろ」



 為朝は蘆島太郎に弓矢を取って来させると、のそりと縁側に出て、ぞんざいに弓を引き絞り、射た。

 大風のような風切り音とともに、矢は十間ほど離れた場所に立つ松に突き立ち――幹を真っ二つに折った。


 無論、普通の弓矢にそんな威力はない。

 よほど剛力の武者でも、太い松の幹など落とせるものではない。

 五人張りの強弓を軽々と引く弓の名手である為朝の、神威的な剛力と技量あってのものだ。


 だが、これを見ても政子は動じない。



「見事、見事よ! ぜひともぬしが欲しくなったぞ!」



 はしゃぐ政子を、為朝はぎょろりと睨みつけた。



「馬鹿言うんじゃねえ。没落した流人とはいえこの鎮西八郎。小娘ごときの下にはつかねえよ」



 没落した、とは言うが、為朝はすでに伊豆七島を実質的に支配している。勢力とて、政子とは比べ物にならない。


 そんなことは分かっているが、政子はあきらめる気などない。

 政子はこんな荒くれ武者が大好きなのだ。だから、頼朝よりとも同様、この男を時間をかけて口説き落とすつもりである。



「是が非でも、と頼みたいところじゃが、まあ今日のところは顔合わせよ。これくらいにしておこう」



 そう言って、こだわりなく為朝に背を向けて――振り返る。



「忘れておった。手土産がわりに教えてやろう。お主、三年後に殺されるぞ」


「ほう、それは天魔の知恵か?」



 断定するような予言に、為朝が尋ねる。



「で、ある。狼藉を朝廷に訴えられて討伐令が下り、大軍相手に成す術なく殺される……もっとも、自慢の大弓で戦船を沈め、数百ほどは道連れにしたようじゃが」


「かかっ、さすがおれさま……とはいえ、まだ殺されたくはねえな。その予言、聞いておこう」



 景気のいい予言に呵々かかと笑いながら、為朝は、ふと思案の様子を見せる。



「……小娘、その天魔の知恵で教えてくれ。これからさきの世はどうなる」


「平家の世になる。それから、武家の世になる」



 政子はふたたび明言する。

 為朝は、にやりと口の端をつり上げた。



「平家と武家を分けるか……面白え。それで、おれさまを部下にしようという貴様は、その未来でなにをやるつもりだ?」



 為朝の、切りこむような問い。

 政子は胸を反らせて答える。



「決まっておろう! 天下を取るのだ!」


「天下」


「そうだ。わしが、わしの手で、天下を掴む。そのためには武力が要る! そのために貴様が欲しいのだ!」



 魔王オーラ全開で語る。

 その背に、為朝はたしかに見た。第六天の魔王の姿を。



「阿呆……にしては、切れすぎる。仕草も言説ことばも子供とは思えん。伊達にそっちの武者どもを従えてねえ」


「あったりまえだぜ」


あねさんはさいきょーだからなっ!」



 家来の武士たちが、為朝を睨みガンつけつつ政子を賞賛する。

 そこに迷いなど見えない。



「かかっ。たしかにオレは暴れ過ぎた。しばらく身を隠す先として、てめえの家ってのも面白そうだ……だがあくまで客だ! 家人になる気はねえぞ!」


「よいぞ! いずれ実力で従えてやるわ!」



 最後まで、大上段に構える政子の姿に、為朝は不敵に笑い。



「なら、太郎、しばらくおれさまの身がわりやっとけ! 背格好も似てるし、こんなときのためにこの髭面を我慢してたんだ!」


「は、はい、承知しましただあ!」


「つっても暴れんなよ。おとなしく流人生活やっとけ。折をみて迎えに来てやるさ」



 鬼男、蘆島太郎に言い置くと、為朝は政子に向き直り、笑う。



「――さて、行くか。飯は美味いんだろうな」


「任せておけ。飯はそれなりに美味いぞ!」



 身の丈七尺の巨人と、四尺あまりの幼い少女は、たがいに不敵な笑みを浮かべ、拳を合わせた。


 こうして、北条家に客分ができた。

 名を。



「伊豆大島からやってきた蘆島太郎くんです! よろしくお願いします!」



 そう言って挨拶する源為朝に、北条時政や宗時は顎を外さんばかりに驚いていた。


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