十四 蘆島太郎

 仁安二年、七月のある晴れた日のこと。

 伊豆国蛭ヶ小島ひるがこじまの流人、源頼朝みなもとのよりともは、北条家を訪れた。



「北条屋敷に来るのも久しぶりですね」



 遠くに屋敷を見ながら、頼朝はつぶやく。

 北条家の人間とは何度か顔を合わせていたが、屋敷を訪ねるのは二年ぶりだ。



「政子殿も、きっと大きくなっているのでしょうね」



 言う頼朝の表情には、期待と怖れが入り混じっている。


 なにせ二年もたっている。

 政子ぐらいの年頃の二年は大きい。

 満十歳、数え十二歳といえば、早い者なら結婚を考える年頃だ。


 あの破天荒な童女がしとやかな淑女に変わっている、とは、さすがに思わない。

 だが、彼女が美貌の主に成長しているのでは、という期待は、過剰ではないだろう。


 と、微妙に気持ち悪く顔をにやつかせる頼朝の耳に、北条屋敷から悲鳴が飛び込んできた。



「やばい! いくらなんでもそれはやばすぎる! 政子! 頼むから思いとどまってくれ!」


「ええい離せ兄者よ、離さんか! お主ら! みとらんでたすけにゅか!」


「ヒャッハー! 姫大将! 仰せの通りにっ!」


あにさんっ! 申し訳ねぇ!」


「お前らっ!? くそっ! 待て政子っ!」



 大立ち回りな騒音の末、門が開き――馬から降りた頼朝の胸に、幼い影がぼすりと突き刺さった。



「ふむ、頼朝か! 久しいな!」



 二年前の印象とほとんど変わらない、北条政子だった。



「……それで、この騒ぎは何事ですか」



 二重の意味でなにも変わらないことに当惑と安堵をおぼえながら、頼朝は尋ねる。



源為朝みなもとのためともに会いに行くのだ!」


「自由すぎます」



 迷いのない政子の言葉に、頼朝がため息をつく。

 そこへ、追いかけてきた北条宗時が妹の政子を後ろから羽交締めにした。



「むう、兄者、離さぬか!」


「だから無茶だって! 頼朝様! お願いですから政子を説得してください!」



 兄妹そろって無茶を言う。



「そうはいっても、為朝叔父は父義朝よしともに遺恨があるでしょう。私の口添えは逆効果になる可能性も……」


「いや、止めてくださいよ! なぜ為朝様と穏便に会わせる方向性で話を進めてるんですか!」


「宗時殿……自分でも不可能だと思うことは、口にしない方がいいですよ?」



 理解しすぎである。



「はっはっは! 兄者よ! 頼朝なんぞに頼ろうというのか間違いであったな! あきらめてわしを行かせよ!」


「……七月某日、政子殿に蔑まれた。もう最高」


「おいやめよ!」







 そんなこんなで、無事旅立った政子は、供に配下の武士たちを連れて伊豆大島いずおおしまへと渡った。



「はっはっは! ここが伊豆大島か!」



 船から浜へ降り立ち、政子はあたりを見渡す。

 どうも集落とは離れた場所に船をつけてしまったらしく、人影はない。



「古来、遠流の地であったと聞くが……ふみゅ」



 あたりまえだが、風も大地も、他の場所とそう変わるものではない。

 魔王オーラを盛大に放射しまくっている政子自身が一番物騒な存在である。



 ――いや。



 政子は口の端をつり上げた。


 浜からすこし離れた山の手。

 木の陰からのそり、と立ち上がる巨大な影があった。


 男だ。

 身の丈七尺(2m10cm)ほどの、手も顔もでかい、筋肉質の大男。

 伸ばしっぱなしの髭が、顔を深く覆っているため、顔の造作はわからない。



「おぬしが源為朝か! ぬしに会いに来たぞ!」



 近づいてくる大男に、政子は大音声で声をかける。



「いんや」



 大男は首を横に振った。



「おらは蘆島太郎あしじまたろうだ。為朝様の家人だぁよ」



 のそりとした声。

 その言葉に偽りはない、と政子はた。

 背格好こそ伝え聞く源為朝の容姿に酷似しているものの、身なりが雑すぎる。



「ふむ。為朝が鬼が島を占領したおり、鬼のごとき男を従えた、などという伝えがあったか……とすると、ぬしはそれか」



 確認すると、大男――蘆島太郎はゆっくりとうなずいた。



「ああ。蘆島太郎って名前も、為朝様がつけてくれただ。それにしても娘っ子、なにもんだあ? 話してるだけで震えがくるだ。為朝様よりおっかねえだよ」


「当たり前じゃ! わしを誰だと思っておる! 第六天魔王のぶながの生まれ変わり、北条の修羅姫、北条政子じゃぞ!」



 怖がられて気をよくしたのか、盛大にぶちあげる政子。

 物騒な二つ名も、実はお気に入りらしい。



「そりゃあおっかねえひとだあ。まってくんろ。為朝さまにお知らせしてくるだあ」



 政子の言葉を理解しているのかいないのか、蘆島太郎はそう言ってのそりと身をひるがえす。



「待たぬわ! いっしょに行こうぞ! 行くぞ者ども!」


「ヒャッハー!」「ご一緒しやすぜ姫大将!」


「まってくんろ! 困るだ! 困るだぁよ!」



 ぴったりとひっついて来る政子たちに、蘆島太郎は頭を抱えた。


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