十一 北条家の日々

 上総広常の屋敷を出た一行は、下総国しもうさのくに経由で伊豆に戻ってきた。



「お父上にはあらためて挨拶に行かせてもらいます。では、政子殿、楽しい旅でした」


「デアルカ! わしも楽しめたぞ!」



 頼朝と別れて、政子たちは帰途についた。



「政子さまがお帰りになられたぞーっ!!」



 屋敷に戻ると、歓声とともに人が集まってくる。

 真っ先に飛び出してきたのは、兄宗時むねときと妹たちだ。



「政子!」


「ねえさまだ! ねえさま帰ってきた!」「たー」



 幼い弟も、妹におんぶされながら、政子の顔を見て歓声をあげた。



「姐さん! ご無事そうでなによりですぜ!」


「姫大将! お帰りなせぇ!」



 政子の下僕たちも駆けて来て、ガラ悪く歓迎する。

 妹たちに抱きつかれながら、政子は魔王オーラを放射しつつも下僕どもをねぎらった。


 そんな様子に苦笑しながら、宗時が尋ねてきた。



「心配したぞ政子。頼朝様や訪ね先の方々に、致命的な迷惑はかけなかっただろうな?」



 兄の、妹に対する信頼と理解は完璧だ。


 しがみついて離れない妹たちの頭を撫でてやりながら、政子は「うむ」、とうなずいた。迷惑はかけたが致命的ではなかった、ということだ。



「ときに兄者よ、こちらは変わりはないか」


「ああ、こちらは変わりないぞ」



 兄の視線が微妙に泳いだのを、政子は見逃さない。



「……兄者よ。ちゃんと勉強はしておったか?」


「あ、ああ」



 今度は動揺が声にあらわれている。確定だ。



「さては兄者、サボっておったな!?」


「だって、なんだって政治や事務処理の勉強なんてしなきゃいけないんだ! 漢詩のひとつでも覚えた方がよっぽど役に立つじゃないか!」


「それはまだ兄上だけぞ! 他の者はひらがなから叩き込んでおりゅわ! ええい言ってて泣けてくるぞ!」


「なんで僕だけ!?」


「優秀じゃからな! さすが我が兄者ぞ!」


「見込まれたくない!」



 宗時は悲鳴をあげたが、将来的に勢力拡大を目指すなら、実務能力がある者を育てておかなくては、地獄を見るのは明白だ。

 脳筋ばかりの坂東では、宗時は、現状でもかなり貴重な人材である。



「姐さんー。オレら勉強したくないっスー」


「そっすよー。勉強してるヒマがあんなら弓矢の練習してないと落ちつかないっスー。旅人でも狩りに行きやしょうぜー」



 こんなのがごろごろ居るのだから救いがない。



「ええい、お主らいい年して文字のひとつも覚えにゅかっ!」



 政子はたまらず声を張り上げた。







 屋敷に上がり、旅装を解くのを待ちかねたように、政子は父から呼びつけられる。



「ぐふふ、よくぞ帰った政子よ!」


「うむ! 帰ったぞ父よ!」


「早速だが、政子、旅はどうであった? 頼朝殿の弱みのひとつも握れたか!?」


「相変わらず発想が下衆だな父よ! 安心せよ! 都に報告すれば監視役の北条ごと吹っ飛ぶような事案があった程度よ!」


「……なにをやったぁ政子おおっ!?」



 時政に悲鳴をあげさせたが、むろん政子も収穫なく帰ったわけではない。

 なにしろ、頼朝のおかげで南関東の有力豪族には軒並み縁が出来たのだ。

 これをきっかけとして諸方に交流を深める程度のこと、時政であれば造作もない。

 これから北条家の勢力を広げて行くにあたって、これは大きな収穫と言ってよい。



「――ま、ごうつくばりの父のことだ。そのあたりは任せておけば悪い結果にはならぬであろう」



 慌ただしく動きはじめた時政だが、政子は政子でやらねばならぬことは多い。



「さて、坂東は見た」



 坂東の状況も、問題も、わかってきた。



「こうなると都見物もしてみたいものじゃが……」



 政子はつぶやく。

 畿内の状況を知りたいのもあるが、純粋に好奇心でもある。

 なにせ、平安の世、貴族文化華やかなりし京の都なのだ。いやおうにも好奇心が刺激される。



「やめてくれ。たのむから僕の心に平穏をくれ」



 宗時が必死で止めた。

 魔王オーラを放ちながら、政子は肩をすくめる。



「ま、当分は兄者たちに教養を叩き込むが先決かのう」


「どの道地獄っ!?」


「そういえば、義時おとうとにも勉強させる準備をせねばのう」


「やめろ義時よしときはまだ二歳なんだぞ!」


「いまから英才教育しておくのだ! なにせ後の執権殿よ! 仕込めば伸びるぞ!」


「切れる! 伸び切れてしまう!」


「安心せよ! 義時はかわいい我が弟よ! ちゃんと加減するわ!」


「ちょっとは兄にも手加減してくれよっ!?」



 宗時の悲痛な叫びは、今日も北条屋敷に響く。

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