十 平将門

「さあ、みなの者、宴じゃ宴じゃ! 今宵こよい御曹司おんぞうしのために歌え! 騒げ!」



 上総広常の号令に、ずらりと並んだ一族郎党が歓呼の声をあげた。



「さあ、御曹司、一献いっこん!」


「御曹司! 伊豆での暮らし向きはいかがで!」


「ヒャッハー! 今宵は嫌なことは忘れて飲みましょうやー!」



 宴席の主役は頼朝である。

 上座に座らされた頼朝は、上総広常以下郎党たちに囲まれ、困り顔で応対している。恨み雑記帳ノートを取りだすのは時間の問題だろう。


 ひるがえって政子は、目の前にでんと置かれた瓶子へいしに、眉根を寄せている。



「酒、か」


「どうした小娘、さすがに酒はぁいかんか?」



 藤九郎が絡んできた。

 年齢二桁にもなっていない娘に無茶なことを言う。



「うむ。前世まえから酒は飲めぬのだが……いや」



 と、政子は考える。


 下戸だったのはあくまで信長だったころだ。

 生まれ変わって平気になっている可能性も、ないではない。



「飲んでみるか?」


「うみゅ」



 問われて政子は藤九郎に盃を差し出した。

 藤九郎は一瞬、面喰ってから、深いため息をついた。



「……ったく、相変ぁらず態度のでかい小娘だ」



 藤九郎は政子の席に置いてあった瓶子をひっつかむと、盃に向けて傾けた。

 淡い、琥珀色の澄んだ液体が、盃に注ぎこまれる。



「ふむ? 濁り酒ではないようだが」


「ああ、こいつはどうやら小娘、お前用らしい」


「わし用?」



 首を傾けながら、政子は盃を傾けて、ちびりと口をつける。

 とたん、雷のごとき衝撃が政子の全身を駆け抜けた。



「小娘?」



 石のように固まってしまった政子に、藤九郎が声をかけるが、無反応。

 それから数拍、間を置いて――政子は物も言わず、盃を一気に干してしまった。



「……あみゃい!」



 政子は歓声をあげた。

 心なしか魔王オーラがふわふわだ。



「このさらりとして嫌味のない甘み……甘葛煎あまずらせんを湯に溶いて味を調えたか!」


「……いやにくわしいな。都じゃ貴族の食べ物なのに」


「甘味には一家言あるのだ。もっとも、砂糖が手に入らぬのが口惜しいところであるが……」



 言いながらも、政子の頬は緩みっぱなしだ。

 ちなみに、甘葛煎とは甘葛の樹液をメープルシロップのように煮詰めた、この時代の高級甘味料である。







 宴もたけなわになった。

 音曲が入り、酔っては歌い、舞いだす者が出て、ドンチャン騒ぎになった。



 ――いなかの音だ。



 頼朝は、その活気のある音色が嫌いではない。



「都が恋しいですかな、御曹司ぃ!」



 ふいに、上総広常が頼朝の隣に席を寄せてきた。

 酔いが回っているのだろう、がなるような口調になっている。



「いえ。さほどは」



 事実である。

 つい最近までは、都が恋しくてならなかったものだが、いまは違う。



「都なんぞつまりませんぞ! 都なんぞなくっても、坂東は立派にやっていける! 御曹司も、どこぞの婿にでも入って、坂東で生きてはいかがか!」



 かといって、広常のこんな言葉も、頼朝の胸には響かない。


 都の地、も人も。坂東の地も、人も。

 妄想のような自分の野望ゆめを叶えるために、どう使えるか。どう活かせるか。

 近ごろはそんなことを考えるばかりで、感傷めいたことなど、気づけばきれいに吹き飛んでしまっていた。



 ――それも、政子殿の覇気にあてられてのことか。



 頼朝が心中で苦笑しているのを尻目に、上総広常は熱く語る。



「都のお貴族様なんぞ邪魔なだけだ! わしらはわしらのやり方で立派に坂東を治めてきた! 都のものなど、小難しい理屈をこねて上りをくすねていくだけだ! まったく、将門まさかど様はえらかった!」


「広常殿。聞かなかったことにしておきましょう」


「御曹司、心配せずともこの上総でそれを思わぬ民はおらぬ! 民が拓き、わしらが守ってきた土地じゃ! 賊から土地を守り戦うのも、土地争いを調停おさめるのも、すべてわしらがやってきた! 国が何をしてくれたというのか! 税と称して我らの富を奪うだけではないか! じゃから将門様は立たれたのだ! 坂東独立のために!」



 事実はわからない。

 だが、広常はそれを強固に信じているようだった。



新皇しんのう・平将門」



 頼朝はつぶやいた。

 それはかつて、関東一円に及ぶ大反乱を起こした者の名だ。


 桓武かんむ天皇五世の孫にして、鎮守府将軍平良将ちんじゅふしょうぐんたいらのよしまさの息子。

 抜群の武勇と強力な兵団を率いて、関東八ヶ国の支配権を奪い、坂東独立を為そうとして――志半ばで散った悲劇の英雄。



「おお、将門様! あなた様は正しかった! 善だった! なのに、なぜ破れてしまったのか! 正義はあなた様にこそあったというのに!」



 広常は泣き吼えた。

 将門の境遇を己に映しているのかもしれない。



「簡単だ! 弱いからよ! 力なきゆえよ!」



 と、甲高い声が、ふいに割って入った。

 頼朝たちの前に、いつの間にか政子が仁王立ちでいる。



「小娘っ!」



 膳を蹴散らしながら掴みかかる広常に、政子は動じない。



「行って初めて善よ! 成して初めて善よ! 心に善があろうとも、それを為せぬなら、善無き者となにが変わろうか!」



 すべてを見下ろしながら、政子は断ずる。



「――だから、強くなるのだ。何者にも侵されぬほどに、誰よりもしたたかに!」



 魔王オーラ全開で、政子は語る。

 それは天魔が人を惑わせる様そのものだ。



「……将門様」



 そこに、かつての英雄の面影を見たのだろうか。

 広常が小さくつぶやいた。



「いや、乱暴に過ぎます。それではいずれ都と正面からぶつかるでしょう。あまりにも流れる血が多すぎる」



 と、政子に口を挟んだのは頼朝だ。

 じめりと湿った瞳をまっすぐ政子に据えながら、頼朝は語る。



「――私なら、もっと合法的に事を運ぶ。ほうにのっとりのりに従い、上皇にすらそれと気づかせぬまま、藤原摂関家すら出し抜いて、関東に独立王国を作ってみせる。ゆっくりと、時をかけて、ね」



 小気味良い断言だった。

 政子の口が、にやりと笑みの形に釣り上がる。



「デアルカ……では、競うか?」


「競えるほどの力はないでしょう。おたがいに、まだ、ね」


「ならば、力を合わせれば、いかがか」



 割って入った広常の言葉に、頼朝と政子は首を傾ける。

 広常は、歯をむき出して笑いながら言葉を続けた。



「――ふたりが手を組めば、おもしろい」



 言われて、政子と頼朝は顔を向き合わせる。



「ふむ……部下になるか、頼朝?」


「いやです。なんで私を下にしようとするんですか」



 ふたりのやりとりをみて、広常は豪快に笑った。


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