8. 試練
小さな身体に厚手の上着を着込んで、もこもこと一回りほど、大きくなった幼児達が遊具に群がっている。その周りのベンチには冷たい風が吹く度に寒そうに身を縮込ませながら、おしゃべりしている母親達がいる。
そんな穏やかに晴れた平日の昼下がりの公園のベンチに、コンビニの袋を抱えた二人の少年が並んで座っていた。目の前を買い物にでも行くのだろうか、ママチャリに乗った老人が通り過ぎていく。先程まで、犯人の男の見張りをしていた二人は、ガザカザとビニール袋を鳴らして、昼食のパンとおにぎりを取り出し、二人同時に溜息をついた。
「どーした? ポン太」
もそもそと、粗挽きウインナーを挟んだパンを食べながらシオンが訊く。
「法稔だ」
しっかり訂正して、ポン……もとい法稔は、しゃけおにぎりの包装を剥いた。
「ここんとこ、お玉姐さんの機嫌が悪くてな」
パリパリと海苔を噛みつつ、ホットのペットボトルの玄米茶を一口飲む。
「あーごめん、もしかして
「いや、
出会い系サイトで見つかったHNを元に、バーン家の次期当主の男が今付き合っている女性を割り出したところ、ここ
公爵家では、既にバーン家当主がエルゼ抹殺を次期当主に言い渡したことを掴んでいる。そこで、これを機に一族にくすぶる末弟の嫁に対する害意を払拭し、もう誰もエルゼに手を出せないように厳重に処罰したいから、証拠を手に入れて欲しいと頼んできたのだ。
ブランデル公爵家は、水の一族のトップ、グランフォード公爵家と共に、魔界が過激派に支配されていた間も、冥界で事件を起こそうとした魔族の情報を送り続けてくれた。
「以前の草原の事件のときも、花園の事件のときも、冥界王府に密かに情報をリークしてくれたしな……」
この公爵家の頼みを冥界王府が受け、法稔達の長にブランデル家の調査に協力するよう正式に命が下った。
「まあ、王府の命が無くても、ハーモン班にはいろいろ協力して貰っているし、エルゼさんにも世話になっているから受けるつもりではいたんだけど」
次の被害者になる女性を保護した後、エルゼと仲の良いお玉は自らおとり役を買って出た。
「しかし、どうも相手の男がお玉姐さんの一番嫌いなタイプの上に、お玉姐さん、気紛れの気分屋のところがあるから……」
「猫、だもんね」
「そうなんだ」
猫又族の化け猫であるお玉は、非常に優秀な女性だが、そこは猫の
法稔はしゃけおにぎりを食べ終えると、ビニール袋から昆布おにぎりを取り出した。
「機嫌が悪くなると、直ぐ私に絡んでくるんだ」
お玉の一番のストレス解消法が、この年下で堅物の少年法師をイジることなのだ。
「最近では長まで、私に機嫌の悪いお玉姐さんを任せてくるんだから」
深々と溜息をついてお茶を飲み、昆布おにぎりにかじり付く。こちらはコンビニカフェのカフェラテを飲んで、ツナマヨパンをかじりながらシオンは肩を竦めた。
「……それだけじゃないと思うけどね~」
「なんだ?」
「……ポン太は鈍いから」
「法稔だ」
梅おにぎりの包装を剥きながら訂正する。くすくすと笑うシオンを無視して大きく一口かじり、練り梅の酸っぱさに顔をしかめながら今度は彼に訊き返した。
「で、そっちはどうしたんだ?」
シオンがビニール袋からハムサンドを出し、パッケージを開けながら溜息をつく。
「う~ん、うちはアッシュさんと姐さんがねぇ~」
「喧嘩でもしたのか?」
法稔の目から見ても、最近のアッシュは覇気が無い。しかしシオンはハムサンドをかじりながら、首を横に振った。
「いや、喧嘩じゃなくて、もっと質が悪いんだ。……どうやら姐さんの元カレのことでモメてるみたいなんだ」
やれやれと首を竦める。
「でも、エルゼさんほどの美人なら、アッシュさんの前に彼氏の一人や二人居ただろ」
「うん、アッシュさんも承知のはずなんだけど……。姐さんの元カレは本当に悪い男でね。姐さんはそいつに誑かされたあげく、騙されて捨てられたようなものなんだ」
シオンが袋からメロンパンを取り出す。
「最近、それを姐さんが思い出したのか、どうもアッシュさんとの仲がぎくしゃくしてる」
袋を破り、ばくりとメロンパンにかじり付く。法稔がゴクリと玄米茶を飲んだ。
しばし、沈黙が二人の間を流れる。
「……それって、ちょっとおかしくないか?」
「……ポン太もそう思う? 優ちゃんも気付いて不安そうにしてるのに、班長と玄さんが何も言わないのも気になるんだ」
首を捻るシオンに
「法稔だ」
まずは言い返しておいて、法稔はお茶を飲み干すと懐からじゃらりと数珠を出した。
「私が優香さん達に事件に巻き込まれるといけないからと、この玉を渡したのは覚えているだろう?」
「うん」
ばくばくとメロンパンを食べながら、シオンが頷く。
「次期当主が見つかったから回収したと思っていたよ」
「いや……ちょっと気になるところがあって、まだ回収はしてないんだ」
数珠の玉を指で回して黒い目を細める。
「気になるところ?」
「ああ、優香さんに渡した玉から、時々妙な力の波動を感じるんだ」
それは平日は夕方から夜の時間帯、休日は一日中度々感じるという。
「優ちゃんが家にいる時間だね」
法稔から詳しい時間を訊いて、シオンが答える。
「でも……常にではない。ということは、この波動は優香さん本人ではなく、家のどこかが発生源で、彼女がそこへ移動したときに感じるんだと思う」
「うちのどこか……」
それ、良くないもの? 瞳だけを獣に戻して、数珠を睨んでいる法稔に訊く。
「多分な。一度調べてみたが、術そのものは悪いものではないが……掛けた術士の悪意が感じられた」
「……悪意……ねぇ……」
「とにかく良いものではないから、出来れば解除した方が良い。今日これから、そちらに行っていいか?」
「良いよ」
シオンがカフェラテを飲み終え、立ち上がる。
二人はゴミをビニール袋に詰め込むと、並んで皐月家へと向かっていった。
「班長は見張りだし、アッシュさんは捜査に出掛けているし、姐さんは気晴らしにって誘われて、ケヴィンさんと『
『心庵』とは、近所の和風スイーツの美味しいカフェだ。家に入った途端、力の波動を感じた法稔を生来のザリガニ姿に戻ったシオンが案内する。
「本当に入って良いのか?」
さすがに夫婦同然の生活をしている男女の部屋となると躊躇いがあるのだろう。アッシュとエルゼの離れの部屋の襖の前で、シオン同様、狸型獣人に戻った法稔が困ったように黒い鼻の頭を掻く。
「大丈夫だよ。別に見られて困るモノは置いてないから」
何、想像してるのかなぁ~。堅物の友人をからかって、後ろ頭を軽く叩かれながらシオンは襖を開けた。
午後の誰もいない部屋は、古風な模様ガラス戸から小春日和の日差しが注ぎ込んでいる。畳に、同じく古風なタンスとクロゼットと本棚。アッシュとエルゼのものらしい文机が二つ、部屋の隅に片付けられている。横長の蛍光灯の電気スタンドに、黒い石油ストーブ。まるで昭和の下宿屋の一部屋をそのまま持ってきたような部屋に足を踏み入れると、法稔はぐるりと見回した。
「……この部屋で間違いないな」
「そうなんだ」
ボクは何も感じないけど……。シオンが首を振る。
「シオンの場合は、自身の強い水の力が無意識に術の力を弾いているのだろう」
法稔は、部屋の真ん中で座禅を組むと数珠を出した。
「……使えない力なのに……」
シオンが溜息をついて第二触角を下げる。そんな彼に静かにするように言って、法稔は両の手に数珠を巻き付けた。目を閉じる。
「……たぶん、ターゲットはエルゼさんだ。アッシュさん向けにしては、力が弱すぎる。しかも、エルゼさんに最低限ギリギリの力で、影響が出るように調整されている。……これは術者の調整というより、術そのものがそういうふうに作られているんだな……。相当な作り手だ。……いや……待てよ……」
ぶつぶつと術を読みながら法稔が探る。
「……この術は……もしかして……」
眉が訝しげに寄る。そのとき
「二人共、ここで何をしているんだい?」
突然、穏やかな男の声が掛かり、シオンと法稔が文字通り飛び上がった。
「ア、アッシュさん!!」
わたわたとシオンが第一、第二触角と大きなハサミを振り回す。
「す、すみません!!」
悪いことをしていたわけではないのだが、さすがに他人の部屋に無断で入っていたことが後ろめたいのだろう。謝り倒す少年二人にアッシュは思わず苦笑した。
「いや、別に入られても困るものは置いてないから……」
そういいつつ首を傾げて「術がどうとか言っていたけど……?」と法稔に訊く。法稔がぽかんと彼を見返した。
「……アッシュさん、気付いてなかったんですか?」
「……何を?」
「……いえ……」
そうか……、アッシュさんもシオンと同じで強い力の持ち主だから……。法稔が畳に四つん這いに手をつく。太い尻尾を振り移動しながら、数珠を片手にもう片手で畳の表を撫でる。
シオンがしびれを切らしたように
「ポン太、それで、この部屋がどうしたんだよ!」
声を上げる。
「法稔だ」
しっかり言い返して部屋の中央、畳の一点を茶色の毛並みの指が指す。
「間違いない。この下に術具がある。それによって、この部屋は随分と前から心と記憶を惑わす術を掛けられていたようだ」
二人が慌てて、彼の指す一点に寄った。
アッシュが法稔の示した一点に掌を乗せて探る。
「本当だ」
ギリッ! 奥歯を噛み締める。
「全然、気が付かなかった」
畳を赤い拳で殴り付けると、アッシュは顔を上げた。
「ターゲットはエルゼ?」
「はい。間違いないと思います」
法稔が頷く。「じゃあ、最近、姐さんがおかしかったのは……」
「この術に惑わされていたんだろう」
法稔の言葉にアッシュは更に堅く拳を握り締め、畳を睨み付けた。
「でも、戦闘兵のアッシュさんはともかく、術士の姐さんまで気付かないなんて……」
おかしくない? エルゼの実力を良く知っているシオンが細い腕を組む。
「公園で言っただろう? 術、そのものは悪いモノでは無いって」
法稔は数珠を鳴らすと精神を集中した。
「余程、うまくエルゼの心の傷を突いたんだな……」
それで気付く間も無く術に飲まれてしまったのだろう。アッシュが悔しげに呻く。
「やはり、そうだ」
ぶつぶつと口の中で呪文を唱えていた法稔が目を開けた。
「この術は、間違いなくエルゼさん本人が作ったものです。相手に負担を掛けることなく、最低限の魔力で十分に効果を発するやり方は、まさにエルゼさんの得意とする術式。悪用されているけど、元々は心に傷を負った者に対する精神治療目的の術じゃないかと思います」
「姐さん、人を傷付ける術は使えないものね」
「ああ、多分、本来は相手に良い思い出の記憶を見せることによって心を癒す術だと思う」
シオンの言葉に法稔が頷く。そのとき、カラリとまた襖が開き
「さすがは冥界の法術師。よく、そこまで見抜いたの」
玄庵の楽しげな声が、部屋に入ってきた。
「玄さん!?」
「法稔がこの部屋に向かったときから術のことに気付いたとは解ったが、まさかこれがエルゼ本人の術であることや、術の本来の目的まで見抜くとはの」
腕を上げたの。にこやかに微笑む玄庵を、アッシュとシオンが唖然と見る。法稔は一人、真面目な顔で訊いた。
「玄さんは、これにとっくに気付かれていたのですね」
「え~!!」
驚きの声を上げるシオンを「未熟者が」と一蹴して玄庵は答えた。
「勿論。班長も、とうに気付いておったぞ」
ジロリと赤茶色の瞳で睨まれて、アッシュがうつむく。
「試練ですか?」
「そうじゃよ。アッシュが気付かんかったのは想定外じゃったが、エルゼには、術士として自分で気付いて破って貰わんとこの先困るのでな」
最も、エルゼも無意識では既に術に気付いておるようじゃが……。
ふうと息をつく。
「心の一番痛いところを突かれておるせいで、まだまだ動揺しておるようじゃの」
しかも、こういうときに支えるべき恋人がこの有様じゃったし。
ちくりと言われて、アッシュが「すみません」情けない顔で謝る。
「そういうことじゃから、シオン、法稔、このことはまだエルゼには内密にな」
「はい」
「厳しいなぁ~」
シオンが思わずぼやいて、睨まれ首を竦める。
「アッシュ、お前さんもじゃぞ」
「しかし!!」
「動揺を取り除いてやるのは良い。しかし、それ以上の手出しは無用じゃ」
エルゼの成長の為にの。厳しい口調の玄庵にアッシュが大きく肩を落として「……はい」と息をつく。
「……大丈夫じゃ。エルゼは儂が見込んだ術士。必ず乗り越えられる」
不安げな三人にきっぱりと言い切る。エルゼのことを信じ切っている、術の一族、玄武族の元長老に
「はい」
「解りました」
「それが、エルゼの為なら」
三人は部屋の畳を、気遣わしげに見ながら答えた。
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