2. 合同捜査

 冷たく澄み切った空気に、男は全くそぐわない笑みを浮かべた。

 薄い唇を震わせ、術式を唱え出す。不気味な韻律が、朝の空気を動かす。ゆっくりと手をかざすと、魔力を帯びた風が舞い、小さなつむじ風を起こし、土を巻き上げて男の手元まで舞い上がった。

 男が裾の長い上着のポケットに手を入れる。紫色のビロードを貼った宝石箱。中には同じ色の、とろりと濃い五角形の透明な石が入っていた。

 任意の魔力を固めた魔結石。それを舞い上がった土の真ん中に埋め込み、指を下に向ける。魔結石を巻き込んだ土が地面に降り、ぱくりと黒い穴が開き飲み込んだ。

 男の唇が満足げに歪む。男は小さく口笛を吹くとコツコツと足音を立てて、朝靄の中に消えていった。

 

 

 冬に片足をつっこんだような晩秋の朝。先週から出した石油ファンヒーターが、コォォと小さな音を立てて温風を吐き出す居間の座卓には、具沢山の味噌汁にベーコンエッグ、漬け物に海苔や佃煮と、これから始まる一日に相応しい健康的な朝食が七人分並んでいる。

「おはよう」

 この春、隣市の関山せきやま市にある県立関山商業高校に無事入学し、高校生活にもすっかり慣れた優香ゆうかが、チェックのスカートに白いベスト、緑のネクタイ姿で、脇に校章が左胸に付いたブレザーを置いて、座卓の自分の席に付く。

 ほっこりと暖かな味噌汁の椀に手を伸ばした彼女に

「おはよう」

 若い男の声が掛かる。セーターにデニム姿の、優香に良く似た優しい顔立ちの青年が入ってきた。

「お兄ちゃん、おはよう」

「おっ、優香、おはよう」

「今日は早いね」

「一時限目から講義があるんだ」

 彼は優香の三つ年上の兄、正樹まさき。この春から大学に進学し、ここ……首都圏のベッドタウンの山根市にある、優香の亡くなった祖母の残した築五十年になる日本家屋に住んでいる。ここからなら正樹の大学まで電車でほぼ一時間弱で通える。彼は優香を五歳のときに祖母に預けてから、とにかく疎遠にしたがっている両親を説き伏せ、妹と十一年ぶりに一緒に暮らし始めたのだ。

「あ、アッシュさん、オレ、今日夕方からバイトで晩ご飯はいりませんから」

 二人に緑茶を淹れて差し出した、赤い手の持ち主に正樹が告げる。

「解ったよ」

 腹から背中に掛けて、オレンジから赤のグラデーションが掛かった肌の、直立するトカゲのような風貌を持つ、魔界の兵士、魔王軍特別部隊破壊活動防止班、ハーモン班の副長、サラマンドラのアッシュ・ブランデルが、襖の向こうから聞こえてきた足音と話し声に、ポットから新しい湯を急須に入れる。がらりと襖が開いて、二つの影が居間に入ってきた。

「なかなかやるようになったじゃないか」

 黒い牡牛頭、分厚い唇をニヤリと楽しげに笑ませて入ってきた筋肉質の男は、同じく魔界の兵士、ハーモン班の班長、ミノタウロスのモウン・ハーモン。

「……とか言って、散々シゴいた癖に~」

 鬼の班長の……本人曰く軽い……朝練に付き合わされて半べそをかいている、二つの大きなハサミと二本の細い腕、長い触角を持つザリガニ少年が、同じくハーモン班の捜査官、レッドグローブのシオン・ウォルトン。 次いで、もう一方の家の奥へと続く襖が開き

「おや、正樹。今日は朝から講義かの?」

 大きな甲羅を背負った亀魔人、ハーモン班の後方支援担当術士兼鑑識官、玄武の流水るすい玄庵げんあんが入ってくる。

「はい、優香、リンゴもあるわよ」

 台所の暖簾を潜り、黒い尻尾を持つ、小麦色の肌の妖艶な美女が、切ったリンゴを盛った皿を手に現れる。ハーモン班の前衛戦闘補助術士兼鑑識官、サキュバスのエルゼ・レイヤードだ。

 それぞれにアッシュが茶を出し、ジャーを開けて炊き立てのご飯をよそう。今日も家族七人が揃っての賑やかな朝ご飯が始まる。異形の家族の中で、正樹も皆と話をしながら箸を動かし始めた。

 お兄ちゃん、本当にすっかり慣れたな。

 兄の家族に向ける笑顔に優香は小さく微笑むと味噌汁を啜る……が

「あれ?」

 その顔が軽く曇った。

「どうした? 優香」

 モウンが訊く。

「う~ん、お味噌汁が少し塩辛いの」

 優香は、一家の食事を一手に引き受けてくれるアッシュの顔を伺いながら告げた。

「……そういえばそうだな」

 モウンの言葉にアッシュが慌てて、自分の碗の味噌汁を飲んで、顔色を変える。「……すみません……ちょっと味噌を入れ過ぎたようです」

 申し訳なさそうに謝る。

「まあ、お前も、たまにはそういうこともあるさ」

 いつも毎日三度三度、ちゃんと美味しい食事を作るアッシュにしては、ちょっと珍しいミスだ。モウンが慰めながら、ポットからお湯を碗に注ぐ。それを見てアッシュが更に情けない顔になった。

 正樹の隣に座るシオンが、そっと前のエルゼを伺う。エルゼはさっきまでの華やかな笑顔はどこにやら、どこかぼんやりとした顔でベーコンを口に運んでいる。シオンは困ったように第二触角を下げた。

 ……どうしたんだろ?

 ここ数日、なんとなく、この異形の家族……特にアッシュとエルゼの様子がおかしい。

 今朝も食卓に不穏な空気が微かに流れている。優香は小さく首を傾げて、いつもと違う、少し辛い味噌汁を口に含んだ。

 

 

 魔王軍特別部隊破壊活動防止班……それは、『要の三界』の一つとして、創造神と呼ばれる大神から、存続不可能となった世界の『破壊』を司る魔界の、魔族の尊厳を守る組織。

 ときに魔族は身の内に潜む『破壊』の本能に突き動かされ、欲望の赴くまま、まだ魔王の『破壊』認定が降りてない世界を、そこに住む人々を『破壊』しようとする。そんな魔界の『恥さらし』を捕獲し、身勝手な『破壊』から他世界を守る兵士達。

 彼らは魔王により個々の裁量で断罪者に制裁を加えることも許されている。


 

「いってきます」

「いってきま~す」

 兄妹が玄関を出、朝の街へと出掛けていく。

「正樹もすっかり、ここの生活に慣れたようですの」

 朝食の後片づけを終え、思い思いに座卓の周りに座った、破防班の面々の中で、玄庵が玄米茶を啜りながら笑んだ。

「始めは皆で、家でも人間の姿で生活しようと話し合っていましたのにね」

 気を取り直したのか、落ち着いたアッシュが小さく肩を揺らす。

 正樹は六年前、ちょうど彼が小学六年生の夏休みに、別れた妹がどうしても気になって、一人で父と母ともう一人の妹と住んでいた地方都市から、この祖母と優香が住む家にやってきたことがある。そのとき、それよりずっと以前から、この家に間借りして住んでいた破防班の面々の本来の姿を見ていた。だが、彼らを受け入れていたのは、幼い子供だったからと考え、皆、正樹が家に来てからは、ずっと家の中でも人型をとっていようと話し合っていた。

 彼らは魔族。魔族にとって、自分の本来の姿を模した人型の姿をとることは、慣れれば息をするのと同じくらい自然に出来る。

 しかし、予想に反して、事前に優香と話をしていたのか、正樹は引っ越しの荷物を部屋に置いた後、地元の銘菓を土産に差し出しながら笑ったのだ。

『どうか、自然な姿でいて下さい。そう畏まれては、オレの方が困ってしまいます』

「彼は良樹よしきさんに良く似ておるの」

 玄庵が懐かしそうに、赤茶色の目を細める。

「ああ、良樹さんにそっくりだ」

 モウンが頷く。皐月さつき良樹は優香の祖母、遥香はるかの夫。優しく、穏やかで、それでいて芯が強い。正に絵に描いたような日本男子だった。

「笑顔といい、物柔らかな人当たりといい、本当に良く似てます。ね、エルゼ」

 アッシュが隣に座る恋人に話を振る。が、エルゼは突然の呼び掛けにびくりと身を震わせると

「えっ? 何……?」

 ダークレッドの目をしばたいた。アッシュの顔がまた曇る。その向こうで、シオンがそわそわと長い第二触角を振った。

「そろそろかな……」

 柱の時計を見上げて、小さく呟く。

「そう、そわそわするでない。合同捜査など珍しいことでもないじゃろうて」

 落ちつかないシオンを玄庵が軽く叱る。

「でも……ポン太が入っての合同捜査は久しぶりだから……」

 シオンが言い訳がましく、第一触角をピクピクと震わす。朝食後、本来ならそれぞれの分担の家事や仕事、またはしたいことを始める破防班の面々が、こうして居間にまだ集まっているのは、とある客を待っているからだ。

 同じ『要の三界』として魂の癒し『再生』を司る世界、冥界。その各界から魂を冥界に運ぶ者達、死神が、二件、運んだ自殺者に魔族が絡んでいるのではないかという知らせを持ってきた。

 魔界と冥界は、四度に渡る天界と魔界の大戦が終結した後、互いに協力協定を結んでいる。それは現在、今の魔王と冥王が兄妹のような関係であることから、更に強固なものになっていた。その為、各界の破防班と死神も協力関係にある。彼らは互いに自分達では解決が難しい事件が起こったとき『合同捜査』として事件解決に協力し合っていた。

「ポン太、まだかな……」

 ポン太というのは、本名は『法稔ほうねん』という冥界のまだ若い死神。冥界の獣人族、茶狸ちゃり族の少年法師で、同じような年齢、同じ頃にこの世界に赴任したのもあって、特にシオンと仲が良い死神だった。

 ふっと、家の敷地を囲む板塀に沿って張った結界を何か力を持つ者が通る。一瞬緊張した破防班だが、それが安息の闇を司どる者の気配だと知ると緊張を解いた。

「ポン太だ」

 シオンが嬉しそうに玄関に出迎えに行く。

「失礼します。班長はおいでかな?」

 玄関の戸を開ける音が響き、この世界を担当する死神達のおさのおとないの声が掛かった。

「いらっしゃい。お待ちしてました」

 モウンが顔を出す。灰色のスーツ姿の長は被っていた帽子を脱いで、頭を下げた。

「今回は合同捜査を引き受けて下さり、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ。我々の捜査が行き届かず、死神の皆さんに迷惑を掛けて申し訳ない」

 モウンも頭を下げる。

「では」

 長が玄関に上がる。次いで、小粋な江戸小紋の着物を着た、同じく冥界の獣人族、猫又族の三毛猫の死神、おたま。そして、黒い僧衣に黒い袈裟を着けた茶色い毛並みの狸型獣人の死神が上がる。

「いらっしゃい、ポン太」

 シオンが狸型獣人の少年に声を掛ける。

「法稔だ」

 ポン太……もとい、法稔がむっとした顔で訂正した。

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