8. 尋問
湿った重い風が吹く中を、目の前のショートカットの中学生の少女が足早に歩いている。近道なのだろうか、薄い水色のフェンスで囲まれた市営野球場に入っていく。雨の予報で使用の予定が無いのだろう、入って直ぐの小さなコンクリート製の管理所は、扉が堅く閉じられていた。右手には濃い灰色のコンクリートの上に、緑の草が生えた盛り土に覆われたスタジアムの背。左手には今時珍しい薄いトタン板で作られた無人の工場の高い壁。
人の目が完全に途絶えたのを確認して「あの……」都は先に行く少女の背中に声を掛けた。今まで襲った少女達同様、少女の背中がビクリと震えておどおどと振り向く。彼に見せられた映像と同じ顔の少女に都は小さく息を吐いた。
「落としましたよ?」
あらかじめ用意してあったプリントを彼女に見せる。少女が持っていた学生カバンとサブバックの口を確かめた後「そうですか?」不審げに訊いた。
「ええ、確かめてみて下さい」
そう言って更にプリントを持った腕を伸ばす。少女が首を捻りながらも近づいてくる。 以前の三人もこうして近づいてきたところを襲ったのだ。少女がプリントに手を伸ばしたところで、都は全身に力を込めた。絹糸のような光沢を放つ黒髪がうねうねと、それ自体が生き物のようにうねり始める。
都自身はそれほど運動神経が良い方ではない。直接、相手を掴んで生気を吸い取ろうとすると思わぬ反撃にあったり、逃げられそうになったりする為、髪を伸ばし相手に絡みつかせて動きを封じ、生気を吸っていた。これは確実に生気を手に入れる方法として、少年に教わったやり方だ。
突然、都の頭の中に『化け物!!』という三番目の被害者の少女の叫び声がこだまする。全身に絡みつく髪から必死に逃げようとしながら、都を見た恐怖に満ちた視線。そして、四番目の未遂に終わった少女を助けた、いかつい顔の中年男性の哀れみを帯びた瞳。
『お前は本当にこれで良いのか?』
悲しげな声に躊躇った瞬間、男は手を払い、都の髪をあっさりと元に戻すと気絶した少女を抱いて消えた。
二人目までは彼が側にいたこともあって、高揚した気持ちの中、何も感じず襲っていたが、彼が離れ、自分だけで三人目の少女を襲ったときから、罪悪感だろうか重いしこりのような感情が都の心に溜まり始めている。今も驚いて自分を見る少女の視線に思わず力を使うことを躊躇する。
……しかし……。
病院へ、学校に提出する登校許可書を取りに行った帰り道で見た彼の姿を思い出す。 彼は都のクラスで評判の可愛い少女と一緒に和やかに笑い合いながら歩いていた。最近、都には見せなくなった優しい笑顔に心が乱れる。
この子の生気があれば……。
あの笑顔がまた自分のモノになるのだ。一気に髪を少女に向けて伸ばす。
「優ちゃん!!」
人気の無いはずの野球場裏に声が響いた。 茶髪の髪を乱して、小柄な少年が自分と少女の間に入ってくる。半月のような刀を両手に持った少年はそれを舞うように動かし、絡みついた髪を断ち切ると少女を抱いて、人ではありえない高さで飛んだ。
「大丈夫? 優ちゃん」
「うん、シオン。ありがとう」
二人の声が背後から聞こえる。
「野木、話があるんだ」
次いで、落ち着いた声が都に掛かった。
その声を聞いた途端、都は思わず逃げ出した。心臓がバクバクと打ち、頭がふらつく。もたつく足を必死に動かして、都は少しでも声から遠ざかろうと走った。
あの声は……自分が騙した先輩の声だ。初めこそ、自分がどれだけ美しくなったのか、学校でも評判の女子に人気がある先輩で試したいという思いもあって、何度も呼び出したが、そんな自分に先輩は真面目に付き合ってくれた。彼が聞き出せと言ってきた破壊防止班の情報についても、先輩は彼等がどんなに優しく信頼出来る人達で、都の力についてこれ以上悩む事のないようにアドバイスしてくれると何度も何度も説明してくれた。
そんな先輩に彼とは違った、同じ力を持つ者同士だけではない心安らぐものを都は感じていた。彼はそれは破壊防止班が先輩を通して都を罠に嵌め、捕縛しようとしているのだと言っていたが。
その先輩に絶対見られたくない自分を見られた。ショックにひたすら逃げる。
バックネットの裏を回り、入ったときと同じ水色のフェンスと車の行き交う道路が見えたとき、都の感覚が前方に揺らぎを感じた。さっき少女を助けた茶髪の少年が都の前の現れる。驚いてたたらを踏むように足を止めた都に、少年の大きな瞳が赤紫色に光る。同時に体が硬直する。都は動けないまま、アスファルトの上に立ち竦んだ。
「おい、シオン」
和也と優香、瑞穂が駆けてくる。
「女の子に手荒なコトしちゃダメだよ~」
瑞穂の非難の声に「いや、手荒なマネをしたくないから麻痺させたんだけど……」
シオンが首を捻った。彼としては抵抗する女の子を力で押さえつけるより、こうして不意打ちで麻痺魔法を掛けることの方がスマートなやり方らしい。指を鳴らす。都の身体がグラリと揺れ、ペタンと地面に座り込んだ。
「大丈夫か?」
脱力したように両手をアスファルトについて、項垂れる都に和也が片膝をついて話し掛ける。
「ごめんなさい……」
都がついた両手の間に顔を埋めて、身体を丸めて謝りだした。
「野木……」
背中をぶるぶると震わせながら、ひたすら「ごめんなさい」を繰り返す都を見ていたシオンが真剣な顔になる。
『和くん、今からボクの言う通りに彼女に質問して』
シオンの心語が和也の頭に響いた。
「『それ』は何に対しての『ごめんなさい』なんだ?」
和也の声が湿った重い空気を揺らした。
「オレを騙して破防班の情報を聞き出していたことへの『ごめんなさい』か? 襲った優香への『ごめんなさい』か? それとも、君に襲われた三人の女の子への『ごめんなさい』なのか?」
和也は言われるとおりに伏せたまま震えている都に尋ねる。
「先輩……」
彼女の姿に止めようとする瑞穂の腕を優香は引いた。
「シオンが和也さんにやらせているんだよ」
感受性が高い魔女には二人の心語のやり取りが聞こえているらしい、瑞穂に耳打ちする。
「うん。ここは和くんに任せようと思うんだ」
三人は一旦、二人から離れた。黙ったまま震えている都から顔を上げて和也がシオンを見ると、シオンは 『そのまま質問を繰り返して』と心語で伝え『頑張って』と告げた。その様子に優香と瑞穂も何かに気付いたように、二人で和也に『ファイト』と送る。しっかり景子や部員達同様の勘違いしているらしい三人に苦笑すると、和也はもう一度シオンに言われたとおり質問を繰り返した。
「……沖田先輩への『ごめんなさい』です……」
ようやく都が答える。
「そうか? オレには優香を襲ったとき躊躇ったようにみえたが」
「それは……」
都がゆっくりと顔を上げた。腰から下は地面にべたりと座ったまま、上半身だけ上げると彼女は膝の上に堅く握った手を置いた。
「怖くて……」
「何が?」
「あの子を襲ったら、自分が更に何か得体の知れないモノになってしまう気がして……」
「でも、襲ったな。それはどうしてなんだ?」
「それは……」
都は眉根を寄せると考え込んだ。
「……あれはね、魔族に唆されて踊らされている彼女の本心を聞き出すことで、自分を取り戻させようとしているの」
二人のやりとりを優香が瑞穂に説明する。さっきの優香への躊躇いと和也への明らかな罪悪感を見たシオンは、彼女に質問することによって、今の本当の気持ちを気付かせようとしているのだ。
「……彼があの子を襲ってもっと綺麗になったら、ずっと私だけを見てくれると言ったから……」
そう答えた都の瞳が微かに上気する。うっとりとした光に不快そうに口元を歪めた和也を見て、シオンは歩み寄った。
「その『君だけを見る』という台詞、彼は間違い無く出会った女の子全てに言っている」
「えっ!」
シオンの冷静な声が響き、都の瞳から光が消えた。顔が強張る。
「彼は魔界の名門の侯爵の子息。しかも美形で只でさえ女の子が群がってくるのに、それだけでは満足出来ないのか女癖が悪いので有名でね。自分に好意を寄せる女の子は勿論、自分に関心の無い女の子まで、身分と力でモノにするんだ。中には旅行先の宿で、彼の隣の部屋に泊まっただけで、旅の間、付き合わされたあげく身体をもて遊ばれた子もいる。当然、その場限りの関係で、旅が終わった後、捨てられた女の子は彼の身分に泣き寝入りさせられたと聞くよ」
そんな話が彼には山程るんだ。淡々と語るシオンに「ひどい……」優香と瑞穂が憤った声を上げる。都の頬がみるみる青冷めた。
「君はまだ彼とはそこまではいってないようだけど、そのうち彼の餌食にされていたんじゃないかな? 彼にとっては自分の目に入る女の子はすべて自分の獲物みたいだから」
シオンの口から忌々しげな舌打ちの音が鳴る。
「……あなたは一体……」
すらすらと魔界の彼を語るシオンに、都はようやく彼が普通の少年ではないことに気付いたようだ。自分をまじまじと見る都に、シオンが小さくクスリと笑う。
「魔王軍特別部隊破壊活動防止班、ハーモン班の捜査官、シオン・ウォルトン。彼や君のような魔族に踊らされた人間を捕まえる魔界の兵士だよ」
そう答えて、首から上を本性であるザリガニに戻す。
「ひっ!!」
小さく悲鳴を上げて後ずさる都に人間姿に変わると苦笑する。
「君の恋しい彼も似たような本当の姿を持つ者だよ。彼のベヒモス族は……そうだね。この世界でいうと曲がりくねった角を持ったバッファローに似ているかな?」
「……そんな……」
都がうめく。彼女の身体からがっくりと力が抜けた。
ポツ、ポツと鉛色の雲から落ちてきた大粒の雨が、あっという間に地面を濡らしていく。続いて、ザァ――という音と共に野球場が雨に沈む中、四人はスタジアムに開けられたグラウンドへの通路で雨宿りをしていた。通路は中程で門で塞がれているが、張り出したひさしが雨をしのいでくれる。
シオンの話に脱力した後、和也に抱えられるように、連れて来られた都は、ぽつり、ぽつりとイジメのことや力に目覚めたときのこと、そして彼が現れ、すがりつくように彼を信頼してしまったことを話した。胸の中のことを全部吐き出すことで、少し楽になったらしい。都は 和也と優香に改めて謝った。
「……私が襲った子達にも謝りたいんですけど……」
都の言葉に和也がシオンに尋ねる。
「野木はこれからどうなるんだ?」
シオンがズボンのポケットから小さなビー球ようなガラス玉を出した。不思議な色合いの光がゆるく明滅するそれを皆に見せる。
「これに都ちゃんの和くんの質問に対する答えとさっきの話、和くんや優ちゃん、他の被害者の子への謝罪の言葉を記録させて貰ったよ」
それをモウンと他世界監視室を通して、軍の懲罰委員会に送り、そこが事件の内容と共に審議して、都への罰を決めるのだという。
「自発的に罪に気付いたから重い罪にはならないと思う。破壊修復班の再犯防止プログラムを受けた後、記憶と力の消去で済むと思う」
そのプログラムで被害者の少女達にも彼女達への負担とならない方法……夢という形で謝罪させられるだろう。シオンは少し眉をひそめた。
「被害者の子にかなりなじられると思うけど」
「はい」
一瞬顔を強張らせた後、覚悟を決めたようにはっきりと答える。
「野木さんのこの容姿も元に戻されるの?」
今度は瑞穂が尋ねる。「うん。その方が被害者少女の回復も早まるし」シオンが隣に立つ和也の脇腹を肘でつついた。
「ほら、都ちゃんに他にも話したいことがあったんでしょ」
「ああ」
和也はもう一度都と向き合った。しっとりとした空気の中、憑き物がとれたような都は彼女本来のものだろう。落ち着いた雰囲気が漂って本当に美しい。でも、やはりここまでの美は異常だ。
「中学生のときのイジメが原因で美しくなりたいって暴走したと、さっき聞いたけど、それはもう大丈夫だ」
「えっ?」
都が目を見開く。
「野木には、もう野木の容姿には関係無く、野木と一緒に何かをしたい人達がいるからな」
和也は郷土史資料研究部の部員達のことを語った。都のイジメのことを知って心配していた女子部員や部長の話を聞いているうちに、都の頬に血の気が戻ってくる。
「そう言えば休んでいる間、景子先輩や柴田先輩が何度も電話をくれたし、部長が『何か困ったことがあったら相談してくれ』って家に見舞いに来てくれました」
「部長、素早い」
瑞穂がぼそりと呟く。
「……既に先、越されているじゃん……」
ぼそっとツッコミを入れるシオンを「だから、そういうんじゃない」睨んで和也は続けた。
「部長は野木を自分の後継ぎ、郷土資料研究部の古地図担当にしようと目論んでいるからな」
「そうだったんですか……。でも……不思議ですよね。皆さん、クラスの子みたいに引いたりしない……」
「マニアは趣味さえ合えば、後は結構気にしないところがあるからな」
和也がニッと笑う。都は息をつくと白い手で顔を押えた。
「どうして、それに気付かなかったんだろう……」
「今、気付いたなら良いじゃないか」
和也は彼女に優しく微笑み掛けた。
「郷土資料研究部にいる限り、もう野木が一人になることはないからな」
「うん、間違い無いよ」
瑞穂が太鼓判を押す。「はい」都の顔にようやく笑みが浮かんだ。
降り続く雨は全く上がる気配が無い。梅雨の走りだろうか、勢いの衰えない雨足に瑞穂が家に電話を掛けた。
「おじいちゃんとおばあちゃんが、皆の分も傘を持って迎えに来てくれるって言ってます」
スマホを切り、笑顔で告げる。隣で副長であるアッシュに、これからの指示を仰いだシオンが都に呼び掛けた。
「君が正気に戻ったことがアイツに知られると、どんな目に合わされるか解らないから、班長が帰ってくるまでボク達と一緒に行動しよう。今、姐さんと玄さんとも連絡が取れたから二人が来たら、四人で皐月家に行こう」
「はい」
「家に帰り次第、姐さんが御両親に術を掛けて友達の家に泊まっていることにするから。とにかく、今夜ボク達がアイツを捕縛するまでは、絶対ボク達から離れないでね」
都が真剣な顔で頷く。
「和くんは優ちゃんと、瑞ちゃんを家まで送って…… その後は危険だから優ちゃんを和くんの家に泊めて貰えるかな?」
「解った。母さんに聞いてみる」
和也は家に電話を掛けた。
「沖田先輩のお父さんとお母さんは普通の人なのに不思議な力に理解があるんですね」
都が羨ましそうに、電話を終えて優香とシオンに許可が取れたと話す和也を見る。
「優香さんも沖田先輩と同じ魔術師なんですよね。富田さんもそうなんですか?」
都の何気ない問いに瑞穂も事が一段落して気が緩んでいたのだろう、何気なく答えた。
「うん。私も力を持っているの。私のは優香ちゃんや先輩と違って、後から偶然手に入れた冥界の力なんだけど……」
「瑞ちゃん!! ダメだよ!!」
シオンの悲鳴が薄暗いコンクリートの通路に響く。
そのとき、激しい雨の音の中、はっきりと「みつけた……」嬉しそうな少年の声が響いた。
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