第127話 奏太兄ちゃん、何言ってるの?①
俺は頭を抱えながらリビングのソファーに戻った。
足元はおぼつかず、気持ち的には今にも倒れそうだ。
「なんてこった……」
なんの因果か、あざとくて可愛い――いわゆるあざと可愛くなった
ありえない。
こんな状況はまったくもってありえないぞ。
考えてもみてくれ。
相談するということは、唯花がこんなふうに可愛いだの、あんなふうにコークスクリュー・パンチだのとノロケのようなことを言わなくてはいけないんだ。
唯花本人に言うならまだしも、それを母親に言うなんて、一体どういう状況なんだってばよ!?
しかも撫子さんは面白がる。
ぜったい喜色満面で面白がる。
そして俺は言わなくていいことまで言わされるに決まってる……!
そんな姿を横で弟分に見られるなんて嫌過ぎる……!
「くっ、考えろ。考えるだ、俺! この絶望的な状況を覆す、最善の一手を……!」
口元を押さえて小声でつぶやき、俺は必死に思考を巡らせる。
一方、リビングと地続きのキッチンでは撫子さんがポットで葉を蒸らしていた。
伊織が帰ってきたので追加の紅茶だ。これが淹れ終われば、相談という名の拷問が始まってしまう。
伊織はというと、同じくキッチンで京都からの紙袋を撫子さんに渡していた。
「はい、お母さん、お土産。これがウチの分ね。
「あらあら、たくさん買ってきたのね。いおりんったらお父さんに似て気遣いさんなんだから」
「どうせお母さん、主婦友達の皆さんに配ると思って。あと何度も言ってるけど、そのいおりんっていう呼び方やめてってば。なんか小っちゃい子みたいだよ」
「あら、いいじゃない。
「別に葵ちゃんが来てくれたことと、僕の呼び名は関係ないよね……? あと爆誕て。言葉選びのセンスが奏太兄ちゃんとお姉ちゃんみたい」
「それでいおりん、葵ちゃんは次はいつ来てくれるのかしら?」
「またその話……今のところ予定はございません」
「えー」
「えー、じゃなくて」
撫子さんは唇を尖らせ、腰に手を当てる。
「もう、いおりんったらイジワルね。お母さん、葵ちゃんのためにご家庭でチョコレートフォンデュが作れる、タワーマシーンとか買ってあるのよ?」
「え、ちょっと待って。なにそれ?」
「見ちゃう見ちゃう? お父さんには内緒よー?」
撫子さんがキッチンの棚を開ける。すると果たしてそこには全長30センチに及ぶ三段タワー式のマシーンが鎮座していた。
一見、30センチと言うとそれほどでもなく思えるが、いざテーブルに載ったところを想像すると、威圧感がすごい。あと無駄な買い物感もすごい。
俺もキッチンの方を見て、度肝を抜かれた。
当然、伊織はそれ以上に目を剥く。
「何買ってんの!? また無駄な買い物して……! そもそも葵ちゃんとチョコレートフォンデュにどんな関係があるのさ!?」
「決まってるじゃない♪」
撫子さんはマシーンをテーブルに置いて、スイッチオン。
すでに原料がセットしてあるのか、ウィンウィンと音を立て、チョコレートが噴水のように沸き立ってくる。
それを小指ですくい上げ、ペロッと舐めて撫子さんは良い笑顔。
「いおりんともーっと甘々でスィートな関係になってくれますように、っていうお母さんからのさりげないメッセージよ?」
「……甘々でスィートな関係、だと?」
つぶやいたのは伊織ではなく、俺。
その言葉を聞いた瞬間、脳裏に電流が走った。
――ここだ! ここが状況を覆す、唯一のチャンスだ!
伊織が「あのね、お母さん……」と嫌そうな顔をしている後ろで、俺はシャキーンッと立ち上がる。
「撫子さん! そんなメッセージを送る必要はないんだぜ!?」
手のひらを顔の前でバッと開き、第二部の主人公のような格好良いポーズ。
俺の声がリビングに響くと同時、伊織がはっとした表情で振り向いた。
「奏太兄ちゃん!?」
勘の良い弟分はすでに気づいている。
一体、俺が何を言おうとしているのかを。
ふっ、決まっているだろ。
――伊織と葵がすでに付き合っていることをバラすのだ!
それによって撫子さんの興味は伊織に傾き、俺はこの窮地から脱すことができる。
我ながら完璧な作戦だ。
一方、俺の企みに気づいた伊織はキッチンの撫子さんに気づかれないように口パクで猛然と抗議してくる。
「(待ってよ、奏太兄ちゃん! 世の中にはやって良いことと悪いことがあるよね!?)」
俺は指の間から目を覗かせ、アイコンタクトで答える。
「(ふっ、伊織よ。何を狼狽えている? 俺をこの状況に追い込んだのは誰だったかな?)」
「(う……っ。で、でもそれは奏太兄ちゃんとお姉ちゃんが先にしたことが原因だもん!)」
「(その通り。しかし戦いは戦いを呼び、哀しみの連鎖は途切れない。これこそが人類の背負った業なれば!)」
カッと両目を見開き、俺は朗々と声を張る。
「聞いてくれ、撫子さん! 伊織はすでに葵と――」
「――お母さん!」
伊織が声をかぶせてカットインしてきた。
そして鋭く俺を指差してくる。
第三部の主人公のようにビシッと指を突きつけてほしいが、そこまではせず、早口で叫ぶ。とんでもないことを。
「僕、こないだ奏太兄ちゃんとお姉ちゃんがいけないことしてるとこ、見せられましたーっ!」
「あらあらあら」
「――っ!? 伊織、お前えええええええっ!?」
なに言いつけてんだよ!?
そりゃお前が見てる前で唯花とキスしたけど!
それは言っちゃダメだろ!?
母親に言っちゃいけないことだろ!?
あと言い方! なんでそう色々憶測を呼びそうな言い方するんだ!?
俺の弟分には血も涙もないのかーっ!?
「へー、奏ちゃんがお姉ちゃんといけないことをね~?」
唇の端を上げ、撫子さんは悪戯ネコのように笑む。
視線は俺の方へ。
「具体的にどんなことなのか気になるわぁ」
「く……っ」
「ほ……」
「でも」
「……!」
「え……っ!?」
今度は伊織に視線が向いた。
「奏ちゃんの言う、いおりんがすでに葵ちゃんと――っていうのもなんのことなのか、お母さん気になっちゃうかも?」
「よし……っ」
「うぅ……っ」
状況は拮抗していた。
俺と伊織は天秤の両側にいて、撫子さんに目を付けられた方が甘々のチョコレートフォンデュ地獄に落とされてしまう。
人を呪わば穴二つ。
まさしく人類の業の具現であった。
哀しき運命に追い詰められた2人は視線を合わせる。
「(伊織……)」
「(奏太兄ちゃん……)」
どちらか一方しか生き残れない状況。
しかし互いの瞳に映ったのは憎しみではなかった。
どうしようもない、やるせなさだ。
「(くそっ、なぜこんなことに……っ)」
「(やっぱり争い合うなんていけないことだったんだよ……っ)」
「(……ああ、お前の言う通りだ。すまん、伊織。すまなかった……っ)」
「(奏太兄ちゃん、僕もごめん……っ)」
そんな俺たちに撫子さんは交互に視線を向ける。
さながら捧げられた生贄を吟味するように。
「そうねえ……」
またチョコを一舐め。
判決が下る。
と思いきや、撫子さんは微妙に芝居掛かった調子で首を傾げた。
「そもそもの話だけど、いけないことをしてるところを見せられたってことは、いおりんはお姉ちゃんに会ったということかしら?」
刹那、俺と伊織の脳裏に電流が走った。
そうだ、撫子さんにとって唯花と伊織の邂逅は初耳のはず。
ならば――ここだッ!! ここが流れを変える唯一のチャンスだッ!
兄貴分と弟分はアイコンタクトで瞬時に意思疎通を果たした。
「そうなんだよ、撫子さん! こないだ唯花が部屋から出てきてさ、伊織と話をしたんだよ!」
「あらあら」
「お姉ちゃん、僕のスマホにメッセージもくれたんだよ! お母さん、見る? 見る?」
「へえ、見せて?」
「――! 伊織、俺の写真は駄目だぞ!?」
「ああ、そうだった! えっとえっと、それじゃあ……うわぁ、駄目だ! お母さんに見せられるメッセージなんてないよぉ!?」
「なんでだよ!? まともなやり取りしてないのか、お前ら!?」
「どんなやり取りしたのかは奏太兄ちゃんも知ってるでしょ!? およそ正気を金閣寺に置いてきたんじゃないかっていうやり取りしかしてないよ!」
「くあーっ! そうだったーっ!」
唯花と伊織のやり取りをおさらいすると、唯花が俺の女装写真を送り、伊織の混乱メッセージが返ってきて、あとは双方のキス写真とツッコミの応酬だ。
うん、およそ正気を金閣寺に置き忘れてるとしか思えない。
まかり間違っても母親には見せられん。
もはや万事休すだ。
くそっ、こうなったらもう仕方ない……っ。
「……撫子さん、話がある」
「何かしら?」
撫子さんの楽しそうな視線がこっちを向く。
そう、楽しそうな視線、だ。
さっきから撫子さんはまったく動揺することなく、俺と伊織の慌てようを楽しんでいる。
引きこもりの娘が弟に会ったことについても、さほど驚いているようには見えない。
ひょっとしたらこの人は……色んなことをすでに知っているんじゃないだろうか?
だとすれば、俺と伊織はとんだピエロだ。
女王のような撫子さんを前にして生き残れる可能性など、最初からゼロだったのだ。
ならば……犠牲になるのはひとりだけでいい。
そう、俺ひとりだけで十分だ。
「そ、奏太兄ちゃん……?」
こちらの覚悟に気づき、伊織が『何をする気なの?』と視線で問うてくる。
俺は『いいんだ……』という意味を込めて、ニヒルに笑んでみせた。
リビングを横切り、キッチンに進む。
如月家の母と弟を前にして、自分の胸に手を当てた。
「撫子さん、それに……伊織も聞いてくれ」
これから言うことは、本来、話すつもりのなかったことだ。
だからこそ口にすれば確実に撫子さんの気を引ける。
多少脈略はないが、インパクトの大きさを考えれば問題はない。
俺と伊織が共倒れすることはなくなり、伊織だけでも助かるはずだ。
反面、唯花の弟である伊織はきっと驚いてしまうだろう。
あまりの衝撃で心臓が止まってしまうかもしれない。
その時はしっかり心肺蘇生を行おうと思う。
大丈夫、俺は心臓マッサージの経験が何度かある。蘇生率は今のところ100%だ。
「実は俺さ、こないだ唯花と……」
一旦、言葉を切り、深呼吸。
唇が震える。
手にじっとりと汗がにじむ。
「唯花と……っ」
それでも勇気を振り絞って告げた。
伊織だけでも助けるために。
天にも届けとばかりに声を張り上げて。
「俺は唯花とお
リビングとキッチンに俺の声が木霊した。
言った。
言ってしまった。
と同時にどこかからか、どんがらがっしゃーんっと盛大な音がした。
地震か? と思ったが確か
撫子さんが近所にネコがいると言っていたので、またそのネコが騒いでいるのだろう。
それよりも問題はキッチンだ。
撫子さんはもとより伊織もさぞ驚いたことだろう。
俺と唯花がこの家でデートをしていたなんて、コークスクリュー・パンチもいいところだ。
驚愕で心臓が止まってしまってもおかしくはない。
俺はいつでも心肺蘇生に入れる気構えで2人を見つめた。
すると撫子さんは、
「~~っ、奏ちゃんたら本当、本当可愛い……っ」
なぜか肩を振るわせて笑っていた。
そして伊織はと言うと、
「えーと……」
目をぱちくりして、
「んー……」
腕を組み、
「うーん……」
小首を傾げて、こっちを見る。
「……ごめんね、奏太兄ちゃん。一つだけいい?」
「なんだ? なんでも訊け」
「お姉ちゃんとお
伊織は言った。
「――それ、いつもと何が違うの?」
なんかこっちがびっくりするくらいのハテナ顔だった。
次回更新:1/18(土)予定
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