第120話 突発思いつき幕間『朝ちゃん先生のクリスマス』
【前書き】
時系列的に過去or未来のクリスマスの話になります(本編で中学生たちが修学旅行中なのですみません)。番外編としてお楽しみいただければ幸いですー。
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そこは駅前から少し離れた場所にある、半地下のバー。
アクアリウムの青い輝きが店内を照らし、カウンター席に2人の美女が座っている。
奥側に座っているのは、
胸元までしっかり隠れた上品なワンピース姿で、肩には薄地のショールを羽織っている。
普段、夫や
ウェーブの掛かった明るい髪を揺らし、カクテルを唇に運ぶ。飲んでいるのはチェリーブロッサム。グラスの底に沈んだチェリーを最後に口にするのが楽しみ。
一方、撫子の隣に座り、死んだ目をしているのは
こちらは大胆に背中が見えるカットソーで、スカートにも深めのスリットが入っている。
ただ露出が多いのではなく、カットソーの袖がふわりと広がったフラワースタイルだったり、イヤリングがハートをアレンジしたデザインだったりして、可愛らしさと大人びたセクシーさを両立させた格好だった。
ちなみにこれは撫子が買ってきた服だ。
そもそも瑞希は学校にいてジャージ姿で残業をしていたのだが、突然、撫子がセレクトショップの袋を持ってやってきて、『はーい、朝ちゃん。これ私からのクリスマスプレゼント♪ さ、着替えて着替えて。街に繰り出すわよー』と言われ、こうして連行されたのだ。
端的に言って、ワケが分からない。
目の前のドライ・マティーニを見つめながら、瑞希は死んだ目で尋ねる。
「……撫子先輩、なんで私はこんなところにいるんでしょうか」
「えー、心配しなくてもちゃんと似合ってるわよぉ? 朝ちゃん、美人さんなんだからちゃんとオシャレしなきゃ、もったいないわよー?」
「いや聞いて? 自分がバーで浮いてないかどうかなんて心配してませんから。私が訊いてるのはなんでこんなところに連れ出されてるのかって話です」
情熱的な色のカクテルを口に運び、撫子先輩は悩ましげなため息をこぼす。
「朝ちゃん、今日が何の日か分かってる?」
「平日です。平日の水曜日です。社会人がいつものように仕事をしている日です」
「ちーがーいーまーす。今日はクリスマスです。恋人たちが楽しげにキャッキャウフフする日です」
カウンターに頬杖をつき、見つめてくる。
「カワイイ後輩がこんな日にも当たり前のように残業してるって情報をキャッチしたので、撫子さんは世直しのためにひと肌脱ぐことにしたのよ。具体的には素敵な服を買ってきて、灰色の職場から連れ出してあげたのです」
「灰色の職場ってまた流れるように失礼な発言を……だいたいその情報とやらはどこからキャッチしたんですか」
「知りたい?」
「……いいです。もう想像つきましたから」
瑞希は撫子先輩の息子の担任をしている。
大方、その辺りから探りを入れたのだろう。
もしくは……余計なことを言ったやつがいるか、だ。
具体的に顔が浮かぶのは、現役高校生の元・教え子。
「朝ちゃんは真面目過ぎ。どうせ今日だって、今やらなくてもいい仕事を前倒ししてたんでしょ」
「それは……前もって進めておけば、何かあった時に融通が利きますから。教員の仕事は子供相手だから常に余裕を持っておくことは大事なんです」
「だからって何もこんな日にやらなくてもいいじゃない。クリスマスよ、クリスマス。ちなみに昨日のイブはどうしてたの?」
「……今日と同じように残業してました」
「朝ちゃん……」
ほろり、と撫子先輩が泣き真似する。
「ダメよ、本当ダメ。もっと自分を大切にして。朝ちゃん相手だからもう撫子さんもストレートに訊いちゃうけど、今恋人はいないのよね、そうね、分かってた」
「質問と解答がワンセット!? 訊いちゃうけど、って言いながらまったく訊いてないじゃないですか!」
「じゃあ、いるの?」
「いないですけど!」
逆ギレ気味に白状して、ドライ・マティーニをぐっと飲み干す。
この人相手に誤魔化そうとしても時間の無駄だ。そう長年の経験で分かっている。
どこかの元・教え子はその辺が分からずにいいようにオモチャにされてしまうのだろうが、こっちは付き合いの長さが違うのだ。
バーテンダーにおかわりを頼み、すぐに出された新しいグラスを指で揺らす。
「いいんです、私は仕事が恋人なんですから」
「もう、またそんなこと言って。誰かいい人いないのー?」
カウンターに頬杖をついたまま、もう一方の手でこっちの頬をツンツンしてくる。
ウザい。ひじょーにウザい。
本当にこの人は相手の感情を逆なでするやり方を心得ている。
腹立たしいのでちょっと意趣返しを試みる。
「いい人ならいましたけど、とっくの昔に誰かにかっ攫われましたから」
「あら、あらあらあら……意外。朝ちゃんからそんな混ぜっ返し方するなんて」
指が止まり、撫子先輩が目を瞬く。
人をからかっている途中でこの人の勢いが止まることなんて滅多にない。
つまりはカウンターを一発放り込めたということだ。
もちろん微々たるものだが、良い気味である。ドライ・マティーニが美味しい。
瑞希、撫子先輩、そして……その夫の
撫子先輩が毎度トラブルを起こし、それを瑞希が解決し、おろおろしっ放しで役立たずの誠司先輩を瑞希がガチ説教するのが日常。
涙目で『うぅ、ごめんね、瑞希ちゃん』と言うのが誠司先輩の口癖だった。雰囲気などは如月弟によく似ている。
そんな始まりだったが、そのうち誠司先輩が見る見る男の子らしくなっていって、ついには瑞希のピンチを救ってくれるまでに成長し、瑞希は彼を意識するようになってしまった。
自分の気持ちに戸惑いつつも、紆余曲折あって、最後にはもう誤魔化し切れないと諦めた。
そして瑞希は意を決して告白した……のだが、ちょうど同じ時期、別件で撫子先輩が引きこもった。
結果、誠司先輩が撫子先輩を立ち直らせ、そのままゴールイン。
瑞希は正面からフラれ、負けヒロインと相成った。
「……まあ、昔のことですけどね」
苦笑してカクテルを一口。
撫子先輩も同じようにグラスを傾け、隣から見つめてくる。
昔を懐かしむ、大人の目で。
少しからかうように。
「ひょっとして朝ちゃん、いまだに誠司さんのこと引きずってる?」
「まさか」
肩をすくめた。
「当時の私、小学生ですよ?」
「あら、恋に年齢なんて関係ないわ」
「だとしても、当時の誠司先輩が私になびいてたら犯罪です」
「そんなの、あの頃の朝ちゃんだったらどうにでも出来たでしょ? 私だってもし自分が負けたら潔く2人を応援するつもりだったし、法律なんて敵じゃないわよ」
え……、と一瞬言葉を失った。
「もし自分が負けたら……って、そんなこと考えてたんですか?」
唯我独尊な撫子先輩が?
にわかには信じられなかった。
「だから、朝ちゃんは自分の魅力に気づいていないっていうのよ。昔も今もね」
もう、とため息をつかれてしまった。
撫子先輩はグラスを摘まみ、くるくると揺らす。
グラスのなかのチェリーが右に左に揺れ動く。
「あの頃ね、誠司さん……私じゃなくて朝ちゃんのことを好きな時期もあったのよ。知ってた?」
「それは……」
嘘はつけない。
肩の力を抜いて、ふわりと笑う。
「知ってました」
「あ、やっぱり?」
「だって『おろおろセージ』だった頃の誠司先輩、私にどっぷり依存してましたから」
「そうよねー。小学生のお尻に敷かれちゃってる誠司さんは可愛かったけど、でもこっちに目を向けさせるのは苦労したわ。朝ちゃんって私の人生始まって以来の強敵だったのよ?」
「あは、それは光栄です」
素直な笑みがこぼれた。
昔の話は楽しい。すでに心の整理が終わっている、乗り越えた過去だからこそ。
撫子先輩は唇を弧にし、そっと囁く。
まるで2人だけのナイショ話のように。
「だからね、朝ちゃん」
「はい」
「私、
「…………」
唐突過ぎて、脳が理解が拒んだ。
いや言葉自体ワケが分からなかった。
たっぷり10秒ほどフリーズし、ギギギとぎこちなく首を傾ける。
「い……」
アクアリウムの魚たちが飛び跳ねるほどの声で叫んだ。
「いきなり何言ってんですか、あんたはぁぁぁぁぁぁっ!?」
「やあん♪ 朝ちゃん、こわーい!」
「可愛い子ぶるな! 昔話でちょっと良い雰囲気になったと思ったら、なに突然ワケ分からんこと放り込んでんですか!? なんなの!? 昔からずぅぅぅぅっと思ってるけど、倫理観の回路が壊れるんじゃないですか、撫子先輩!?」
「怒んないで、朝ちゃん。これには撫子さんなりの深ーい考えがあるの」
「じゃあ、言ってみて下さいよ! その深い考えとやらで私を納得させられると思うならね! 分かってると思いますけど、
「分かってる、分かってるわよー」
「本当に分かってるんですか!? じゃあさらに言っときますけど、
「知ってる、知ってるわよー。だって私がウチのお姉ちゃんを産気づいた時、タクシー飛ばして病院に連れてってくれたの、朝ちゃんだし。あとみっちゃんが空港で破水した時、奏ちゃんを取り上げたのも朝ちゃんでしょ? だから撫子さんだって朝ちゃんの思い入れは熟知してるわよん」
「だったら、なおのこと!」
グラスを一気に飲み干した。
バーテンダーに三杯目を頼み、キッと撫子先輩を睨む。
「私はまだ納得してませんからね。引きこもってる唯花のこと、奏太ひとりに背負わせるのは間違ってる」
「あれー、撫子さんの考えを述べるターンじゃないの? っていうか、またその話?」
「ええ、その話です。何度でもしますよ、私は」
新しいドライ・マティーニが置かれた。
それには手を付けず、口を開く。
「確かに奏太は大したやつです。真っ直ぐな信念があり、大胆な行動力があり、その上で困った時には仲間に頼る柔軟さも持っている。でも――まだ子供だ。誰かのためにばかり頑張ってないで、自分勝手に生きていい時期のはずです」
それに、と続け、無意識に手を握りしめた。
「子供が道に迷った時、手を差し伸べるのは大人の仕事だ。唯花を助けるのは私たち大人の役目のはずでしょう?」
「そういえば……唯花が部屋から出てこなくなった時、朝ちゃんはいの一番にウチに来てくれたわね。今でも覚えてる。だって奏ちゃんより早かったんだもの。びっくりしちゃった」
「当たり前です。私だって唯花の幸せを願ってるんだ。でも撫子先輩や誠司先輩、それに三上先輩たちまで『奏太に任せとこう』なんて言うから……今でも私は納得してません」
「んー、そうね……こればっかりは子供が出来てみないと伝わらないことなのかもしれないけれど」
こっちは本気で睨んでるのに、撫子先輩は柔らかく笑った。
「子供が本気で選んだ道なら応援してあげたくなっちゃうのよ、親って」
それはひどく優しい眼差しだった。
学生時代の、ただ破天荒なだけだった撫子先輩にはなかった目だ。
……ずるい。
そんな瞳で言われたら、こっちはもう何も言えない。
引きこもった唯花のところへ駆けつけようとした時も、結局親たちのこの目に止められてしまった。
自分でも拗ねているのだと自覚しつつ、愚痴をこぼす。
「本気で選んだ道って……唯花が本気で引きこもりを選んだって言うんですか」
「分かってるくせに。選んだのは奏ちゃんよ。『他の誰でもない、自分が唯花を支えるんだ』ってあの子は選んでくれた。そして唯花が本気で人生を選ぶのはこれからよ。私がそうだったようにね」
「…………」
ダメだ、敵わない。
ため息をつき、三杯目のカクテルを飲み始める。
「……撫子先輩」
「なあに?」
「……私も子供ができたらそうして自然と見守れるようになるんでしょうか」
「だから奏ちゃんのはじめてを食べちゃえばいいのよ」
また唐突な。
と思うが、もうツッコまない。
「そうだった。なんなんですか、その話」
「つまりね」
一転、からかいモードのにやにや顔に戻り、撫子先輩は身振り手振りを交えてくる。
「撫子さんもウチのお姉ちゃんのことをしっかり考えてるというわけなのよ。ほら奏ちゃんってエッチの時、若さにかまけてグイグイいっちゃいそうじゃない?」
「いや知らんですよ」
「朝ちゃんは奏ちゃんのこと、『誰かのためにばかり頑張ってる』って言ったけど、奏ちゃんってば案外、その辺のバランスは取れてるのよ。なぜならお姉ちゃんが引きこもり卒業したら秒で童貞さん卒業するって宣言してたもの」
「は? なんですかその話? そんな宣言したんですか? 奏太が? 本当に?」
だとしたら説教だ。
問答無用でフル説教だ。
「奏ちゃんの『唯花のため』はちゃんと『自分のため』にもなってるの。撫子さんが奏ちゃんを絶大に信頼してる理由の一つね。だって誰かを本当に大切にできる人って、自分も大切にできる人だもの」
「良い話風に言ってますけど、それ、あんたの娘が秒で襲われる話ですからね?」
「問題ないわ。だって私の娘だもの。間違いなく好きな人にはムチャクチャされたい性癖のはずだもの!」
「聞きたくない! あらゆる意味で今の言葉は聞きたくなかった……っ!」
「でもねー、ずっと部屋で過ごしてるからウチのお姉ちゃん、運動不足だと思うの。スポーツ万能な奏ちゃんにアクロバティックなことされたら、きっと筋肉痛になっちゃうわ」
「アクロバティックってなんですか!? なにされるんですか、唯花は!?」
「だから経験不足な奏ちゃんが無茶しないように、あらかじめ『はじめて』は済ませておくべきだと思うの。それが唯花のためにもなるわ」
「いやおかしい! やっぱり撫子先輩は倫理観の回路壊れてます!」
「もちろん知らない女の子相手じゃ、奏ちゃんに変な癖がついたらいけないし。はい、そこで朝ちゃんのご登場!」
「登場しない! そんなところで登場するくらいなら私は一生負けヒロインでいい!」
「えー、登場しないの?」
「えーじゃない! しませんよ!」
「撫子さん、本気で協力するわよ? 本気の最大火力で協力しちゃうわよ?」
「やめて下さい! 誠司先輩と結婚してようやく落ち着いてくれたのに、撫子先輩の本気なんてもう見たくない! 世界観が壊れるんですよ! ――だいたい!」
カウンターをべんっと叩いて説教。
「そういうことは恋人同士がすることです! 奏太と唯花は相思相愛なんだから他の相手なんて必要ありません!」
「えー、でも朝ちゃんだって奏ちゃんのこと、好きでしょう?」
「嫌いなんていつ言いましたか!?」
「朝ちゃんって歳の差あるのが好みだもんねー」
「ん!? ちょっと待って、そういう話じゃないでしょう!?」
「やっちゃえ、やっちゃえ、撫子さんが許す!」
「あんたが許す許さないの話じゃないんですってば!?」
「もう~、朝っちゃんってばお固いんだからぁ」
撫子先輩は拗ねたように唇を尖らせる。
ずっとグラスで揺れていたチェリーを摘まみ、舌で絡み取るように頬張って一言。
「だからまだ処女なのよー」
額にピキッと怒りマークが浮かび、思わず「……っ」と仰け反った。
上体を戻しながら勢いよく叫ぶ。
「それは言わないで下さいよ、もうおおおおおおおお!!!」
今日一番の叫びにアクアリウムの魚たちが一斉に飛び跳ねた。
これなら学校で残業していた方がマシだったと思う。
端的に言って……さんざんなクリスマスだった。
次回更新:12/28(土)予定
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