第112話 その夜の撫子さん(三人称視点)※少し性描写あり注意

 さて、時は少し遡る。


 それは如月きさらぎ家の長男・伊織いおりが修学旅行先からひとりで帰ってきてしまった夜のこと。


 真夜中、家のなかに激しい打撃音が響いた。

 長女のキュアユイカがオンリーフラワー・スターパンチを放ち、伊織の部屋の扉を開け放った音だ。


 母親である撫子なでしこはその時、夫婦の寝室にいた。


 寝室は家の一階にある。

 離れてはいるが、撫子は子供たちのやり取りをほぼ把握していた。

 母親とはそういうものである。


 そしてオンリーフラワー・スターパンチの炸裂からほぼ時を置かず、如月家の玄関に人影が現れた。


「あれは……そうちゃんね」

 

 撫子は寝室のカーテンを少しだけ開き、隙間から少年の姿を見ていた。

 隣の三上みかみ家に住む、奏太そうただ。


 彼には夫が我が家の鍵を預けている。

 その鍵で家に入り、奏太は二階へ駆け上がっていった。


 間を置かず、玄関の方に特攻服の少女がやってきて、大型のバイクを置いていった。


 すると息子の伊織が奏太と共に下りてきて、そのバイクに乗せられ、出発していった。


 京都に戻るのだろう。

 おそらくは奏太の手引きだ。


 カーテンの隙間から彼らを見送り、撫子は唇に弧を描く。


「……これで一安心ね」


 実を言えば、撫子が常々心配していたのは娘の唯花ゆいかではなく、息子・伊織の方だった。


 確かに唯花は今、引きこもっている。

 しかし母娘の感覚で分かるのだ。唯花は今、休憩しているだけ。時が経てば、自分から立ち上がる。


 如月家の女は、頼もしい男の子がいてくれれば、幸せに向かっていけるのだ。

 撫子に夫の誠司せいじがいたように、唯花には奏太がいる。だから何も心配はいらない。


 逆に息子の伊織は大丈夫だろうかと思っていたのだが、それも杞憂に終わりそうだ。


 母や姉と同じように伊織も心のなかに脆い部分を抱えているが、今、出ていった横顔はちゃんと男の子をしていた。


 夫などは『伊織の方こそ大丈夫だよ』と言っていたが、どうやらその通りらしい。

 やはり息子のことは男親の方が理解できるのだろう。


 撫子はカーテンをそっと戻し、ベッドの方を振り向く。


「伊織は京都に戻ったみたい。唯花も今ごろスヤスヤとお寝むのはずよ――あなた」


 視線の先、ベッドには夫の誠司がいる。

 撫子は自分の首筋に手をまわし、ばっと髪をかき上げた。

 ウェーブの掛かった髪が舞い、リンスの香りが部屋を包む。


「だから今夜は……ちょっと激しめに『仲良し』しても大丈夫かも♪」


 淫靡な笑みで囁く。

 撫子が着ているのは、フリルのついたピンクのベビードール。

 

 透けた薄絹がセクシーなランジェリーを覆い、揺れる乳房とほっそりした腰を強調している。


 寝る時の撫子はいつもこうした刺激的な格好だ。

 もちろん子供たちには悟らせない。


 リビングでは普通のパジャマを着ていて、何食わぬ顔で伊織に『おやすみ』を言い、寝室にくると、そこではじめて内に秘めた情熱を解放するのだ。


 一匹のメスと化した撫子は女豹のしなやかさでベッドへ入っていく。

 その目はまさしく獲物を狙う獣そのもの。


 だがその獲物と獣の関係性は一瞬で覆された。

 夫が撫子の腕を掴み、体の位置を入れ替えて撫子のことを組み伏せたのだ。


「やん……っ。もうっ、あなたったら」


 こぼれたのは、嬉しい悲鳴。

 夫の強引さによって、撫子は為す術もなく押し倒されてしまった。

 それが嬉しい。


 ちょっと怖い。でも素敵。

 そんな気持ちを惜しげもなく表し、撫子は頬を染めている。

 こんな彼女の顔を一体誰が知ろうか。


 実のところ。

 娘の唯花がそうであるように、撫子もまたその本質はМだった。

 知っているのは、夫の誠司だけだ。


 常に女王様のように周囲を振りまわす、撫子。

 知略家のように皆を手のひらで転がしてしまう、撫子。


 だが誠司だけは知っている。

 そんな撫子がベッドのなかでは可愛い子猫のようになってしまうことを。


「愛してます、あなた」


 妻からの愛の囁きに応え、誠司は優しく、そして激しく唇を奪う。

 同時に誠司は熟練した手つきで撫子の耳を撫でまわした。


 その瞬間、撫子の体が雷に打たれたように跳ね上がった。だがしっかりと誠司に組み敷かれているため、逃げ場はない。愛ある蹂躙が撫子を打ちのめす。


 撫子という女王を誠司は完全に飼いならしていた。

 

 だが、しかし。

 彼も初めから実力者だったわけではない。

 むしろその逆、彼はそもそも哀しいほど弱々しい凡人であった。


 事実、中学時代に撫子が起こした騒動の多くを解決したのは、彼女の妹分・朝倉あさくら瑞希みずきである。


 誠司などは修学旅行で撫子に夜這いをされた際、緊張のあまり失神してしまうような体たらくだった。


 だがある時、ついに一念発起し、立ち上がった。


 誠司少年は努力し、研鑽し、思考し、実践し、研究し、錬磨し続けた。

 さらには撫子の『男を育てる気質』に乗り、彼女の怒涛の誘惑に耐えながら、遥かなる頂きを目指した。


 そして彼は到達する。

 自身を育てた撫子すら凌駕する領域に。


 奇しくもそれは撫子が世界に圧し負けたのと同時期だった。

 奔放なる女王はその実、ガラスの城に住んでいたのだ。


 世界に潰されてガラスは砕け、破片が心を引き裂き、撫子は自室に引きこもった。

 娘の唯花と同じである。

 それはあの朝倉瑞希でさえ、解決し得ない状況だった。

 

 誰もが悲嘆に暮れ、絶望に屈した。

 だがたった一人、立ち向かった少年がいた。


 高校生になった、誠司である。


 一撃。

 人生すべてを懸けた告白が怒涛の勢いで繰り出され、凍てついた扉を粉砕した。


 撫子は心の闇から救い出され、勢い余ってそのまま契りを結び、やがて長女の唯花が爆誕する。


 物語はハッピーエンドを迎え、そのバトンは次の世代に引き継がれた。


 言わば、彼は第一部の主人公。

 

 如月四天王・序列一位。

 己が努力のみで女王を射止めた、才無き最強。

 そして、いずれ三上奏太が超えるべき、最大の壁。


 彼の名は如月誠司。




 あの朝倉瑞希が認めた――『撫子先輩のヒーロー』である。




「さあ激しくいくよ、撫子」

「ああっ、来て! あなた、来てぇ……っ」


 こうして。

 娘が幼馴染のキスによって「えへへ……」と最高の夢をみながら眠っていて。


 息子が謎のヘリコプターに乗せられて「あ、あはは……」と目のハイライトが消えていた時。


 撫子さんは――


「ああっ、素敵! 無理っ、私じゃぜったい勝てない! あなた……すごい! 好き! 大好き! 愛してます……っ!」


 ――大変、お楽しみな夜を過ごしていたそうです。

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