第99話 少女は未来の扉を開く(唯花視点)
ついにあたしは自分の部屋の扉を開け放った。
電気はついてない。廊下はほぼ真っ暗。でも構わず一歩を踏み出す。
「……っ」
冷たい。床の冷たさが足に響いた。
まるで氷雪系の攻撃を受けてるみたい。
でももちろんこれは敵からの攻撃じゃない。
冷たいのも床じゃなくて、あたしの手足そのものだ。
極度の緊張で手足が氷のように冷たくなっていた。
「長くはもたないかもね……」
さっきから息も苦しい。
吸うのも吐くのも浅くしかできなくて、クラクラする。
たぶん過呼吸だ。このままだとすぐに倒れちゃうと思う。
つまりは……時間がない。
結構、しんどい状況。
でもこんなピンチの状況だからこそ、あたしは不敵なキャラを装って笑う。
「……上等であるぞ。わずかな命を振り絞って弟の救出に向かってると思えば、ますます熱いシチュエーションなのじゃ!」
勢いをつけて、横を向いた。
伊織の部屋はあたしの部屋を出て、左側。
目の前に新たな扉が立ちはだかった。
この向こうに伊織がいる。あたしの助けを待っている。
「……怖くない、怖くない……自分の部屋だって開けられたもん。扉のもう一枚ぐらいなんてことない……のじゃ!」
気合いを入れてドアノブを掴んだ。
その直後。
「……くっ、ううう……っ!?」
すごい吐き気に襲われた。
胃が軋み、全身に悪寒が走る。
緊張が限界を越えて、手足の感覚がなくなっていく。
学校に通ってた頃に何度か経験したことがある。
過呼吸で倒れる時の前兆だ。
「お、お姉ちゃん!? そこにいるの!?」
あたしの悲鳴が聞こえてしまったのだろう。
扉の向こうから伊織の声がする。
「もう……もういいよ! 僕のことはいいから部屋に戻って! 無理をしたら昔みたいに倒れちゃうよ! お願い、僕のことはもういいから……!」
「よくなんてないよ!」
ガンッと扉に頭を叩きつけた。
伊織と話してるだけで吐き気が増していく。外の世界に触れてるせいだ。
でも……甘えんな、あたし! 相手は可愛い弟なんだから! 話してて気持ち悪くなんてありえないでしょう!?
ズキズキする頭の痛みに集中して吐き気を堪える。
そして声を張り上げた。
「いい!? 伊織のこともういいなんて思うこと、絶対にないからね! あたしはっ、お姉ちゃんは……怖くて外にも出られない意気地なしだけどっ。奏太がいないと生きてもいけないダメ人間だけどっ。それでも……っ」
心の底から叫ぶ。
「伊織が泣いてる時は立ち上がるよ! だってお姉ちゃんだもんっ!」
「……っ、お姉ちゃん……っ」
「さあ離れてなさいっ。大技いくよ……っ」
無理やり笑って体を起こす。
もう手足の感覚がなかった。
息が絶え絶えで、引きこもりの呼吸も使えそうにない。
でも、大丈夫っ!
あたしの心のなかには無数の物語が輝いている!
もちろんバビロンのゲートのごとく出し放題っ。弾はまだまだいくらでもある!
「……ここは……映画のスクリーンのなか……あたしは伝説の戦士……っ」
思い浮かべるのは映画館。
あたしは銀幕のなかで華麗に活躍していて、客席ではみんなが光るライトを持って応援してくれている。
瞼を閉じた。
今、あたしを観てくれている仲間たちに語りかける。
「みんなっ! お願い、あたしに力を貸して……っ!」
途端、想像の劇場にライトの光がきらめいた。
声が聞こえる。頑張れって応援してくれるみんなの声が!
よーし、いける気がしてきた……っ。
「キュアユイカ!」
左手でドアノブを掴みつつ、右手はグー!
大きく振りかぶって、
「オンリーフラワーっ、スタァァァァパーンチ――っ!」
一撃入魂。
扉に思いっきりグーパンチが炸裂。
もちろん、上、横、正面の三点アングルでドンッ、ドンッ、ドンッと扉を吹っ飛ばすイメージ。
我ながらすごい音が鳴り響いた。
あたしは真っ直ぐグーパンチを突き出していて、その先でついに――扉が開いた。
目の前には、可愛い可愛いあたしの弟。
「お姉、ちゃん……」
伊織は目を見開いていた。
部屋のなかは廊下と同じように真っ暗で、カーテンの向こうからほんの少し、外の明かりが入ってきてるだけ。
伊織の格好はパーカーにジーンズという私服姿だった。床にはスマホと家の鍵が落ちていて、きっとこれらとお財布だけを持って帰ってきてしまったのだろう。
そういう間違った行動力とか、本当もう……あたしにそっくり。
「伊織……」
さあ、最初の一言はなんて言おう。
少し考えて……でも、考えるまでもないや、とすぐに気づいた。
大好きなヒーロー・ヒロインに支えてもらって、あたしはここまで来た。
だから開口一番は、やっぱりここぞとばかりにあたしのヒーローのセリフがいい。
記憶のなかから大切な思い出を呼び起こし、それを真似てあたしは言う。
一年半前、引きこもったあたしの部屋に、奏太が最初に突撃してきた時のセリフを。
――待たせたな!
「お待たせ!」
――唯花、来たぞ!
「伊織、来たよ!」
まだ信じられない、という雰囲気で伊織は今も固まっている。
まるで一年半前のあたしみたいに。
その瞳には大きな涙の粒が浮かんでいる。
来てよかった、と思った。
こんなに打ちひしがれた弟を危うく独りぼっちにさせてしまうところだった。
……ああ、そっか。
きっとあの時の奏太もこんな気持ちだったんだね。
大切だから。
ぜったい放ってなんておけないから。
奏太も勇気を振り絞って会いにきてくれたんだ。
あたしも出来るかな。
奏太みたいにちゃんと出来るかな。……ううん、やらなきゃ。
まだ茫然としている伊織に向かって、あたしは大きく胸を張る。そして、
「お姉ちゃんが来たからにはもう大丈夫っ。安心しなさい!」
思いっきり自信満々に笑ってみせた。
世界で一番頼もしい、あたしのヒーローみたいに。
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