第2話 ケモ美人なう
傍らの石壁に体重を預けながら、俺は力なく項垂れていた。右手に握ったままのスマホが壁にぶつかり、カツンと音を立てる。
異世界への転移、噂には聞いていたし発生事例も数多く耳に入っていた環境だからか、それそのものに現実感を感じないわけではないが、まさか自分が巻き込まれることになるなんて。
いざ自分の身に降りかかってみると、なかなかに絶望感がすごい。SNSに投稿してバズったりとか、ネット掲示板にスレ立ててレス数稼いだりとか、そんなことを考えている余裕は一切なかった。
まぁ、そもそもスマホは圏外。ここからリアルタイムに投稿できるはずもない。というかぶっちゃけスマホの充電どうしよう。
そんなことを考えつつ、深くため息をつくと、左手側、表の通りの方から声がかかった。
「あのー……大丈夫ですか?具合でも悪いのでは……」
声色から察するに若い女性だ。家族以外の初対面の女性と話すことなんて、ここ数年とんとなかったせいで、いやに緊張してくる。
なんとか平静を装いながら、努めて明るく、不自然にならない程度の笑顔を作りつつ、意を決して声のした方に顔を向けつつ言葉を返した。
「あ……え、えと、だ、大丈夫です。ちょっと、眩暈がし、しただけです、ので……」
返答しながら俺は改めて絶望した。噛みすぎ、どもりすぎだ。不自然なんてもんじゃない。
そして俺の視界にようやく、声をかけてきた人物の姿が入ってくる。
やはり、若い女性だ。鼻が前に突き出し、
獣人だ。外見を見るに、ポメラニアンやマルチーズの犬獣人だろうか。かわいい。昔実家で飼っていた犬を思い起こさせる。
そんな彼女の外見に、心なしか緊張がほぐれてくるのが自分で感じられた。
と、気持ちに余裕が出たところで俺の中に一つ疑問が生じた。
この女性と俺、今普通にコミュニケーションを取っていなかったか?
何とか話せたんだ、一つ質問を重ねるくらいわけはない。きっと。たぶん。メイビー。勢いに任せて再び口を開く。
「えっと、言葉、伝わって……?」
「言葉……?あっ、はい。ちゃんと通じてます、大丈夫ですよ」
あんまり俺の内心は大丈夫じゃなかったが、問題なく相互にコミュニケーションが取れることが確認できた。これは助かった。
異世界に転移した先で、向こうの字が読めないとか、こっちの言葉が通じないとか、そういうことはある程度の割合で起こるという話を、前に聞いたことがある。
ライトノベルの異世界転移モノでは、神様の不思議パワーだったり謎のサポーターによる自動相互翻訳だったりご都合主義だったりで、日本語が全世界共通の言語状態になったりするものだが、俺は幸運にも最初から日本語が通じる世界にやって来たらしい。
まぁ、表の通りに見える看板に書かれている文字は、ちんぷんかんぷんなのでそこは何とかしないといけないのだろうが。スマホに入れてる翻訳アプリが機能してくれたりしないかなぁ。
俺との会話に思うところがあったのか、女性が「うーん」と小さく唸った。耳がぴこぴこと揺れている。
「そういうことを聞いてこられるということは……あの、貴方、ここがどこだか分かりますか?」
女性の問いかけに、俺は視線を宙に泳がせた。この場所の話か。
正直なところ、何も分からない。転移してきたのはこの路地だし、表通りに出てもいないから情報が無いし、そもそもこの世界のことも何も分からない。
俺はゆるりと頭を振った。そういえば、この世界でも頭を横に振ることは否定のサインになるのだろうか。地球上でもこういったサインは国によって違うそうだけど。
「……分からない、です。気が付いた時には、この路地に、いましたので」
「なるほど……それじゃ説明しますね。
ここは神聖クラリス帝国の東部に位置する城塞都市、ヴェノ。
今私と貴方がいるのはヴェノの中央市場から放射線状に伸びる大街路の一本、ルブルーム通りに繋がる路地です。
……えーと、ここまでで、聞き覚えのある単語は、ありましたでしょうか?」
女性が言葉を区切って、おずおずと俺の顔を見上げてきた。
神聖クラリス帝国、城塞都市ヴェノ、ルブルーム通り。どれも耳にした覚えはない。異世界なのだから当然なのだが。
俺はもう一度頭を振る。すると女性は腕組みをして、再び小さく唸った。どうやら首を振るのは否定のサインとして、問題なく伝わるらしい。
「そうですか、覚えはないのですね……
こちらの地名に明るくない様子、言葉が通じるか確認されたところ、そしてその手に握られた小型の
間違いない、貴方は
いっそ「ズビシィッ」という効果音が響かんばかりに、女性は俺に指を突きつけてきた。人を指さすのはマナー違反ですよ。いいけど。
そして俺は首を小さく傾げた。何かよく分からない呼称をされた気がする。マレビト?
「あの、マレビト、というのは……?」
「あっ、そうですね、説明が要りますよね。
貴方のように異世界から転移してこられる方って、少なくない……とまでは言いませんが、いなくはない程度にはいるんです。
そういう方々を総称して、
彼女の説明に、俺はなるほどと頷いた。
要するに、俺みたいな人間は他にもいるのだ。きっと過去にも、俺みたいに地球から転移してきた人間とか、いたりしたのだろう。
俺が思っていたより、こちらの世界とあちらの世界は行き来があったのかもしれない。
俺が納得したのを見てか見ないでか、彼女は口を動かし続ける。
「それにしても転移してきた先がヴェノでよかったですねー。
帝国の中でも、
これがタサックやスュドみたいな辺境の村だったら、入植の対応してもらうために何日もかけて移動しなくてはなりませんし、お金も必要になっちゃいますから」
地名やらなんやらは場所の見当もつかないため、彼女の話の内容は半分ほどしか頭に入ってこなかったが、俺が幸運に恵まれたということだけは分かった。
確かに手続きをしてもらえる街に、最初からお邪魔できたのは有り難い。お金をかけずに移動できるのも嬉しいところだ。こちらの貨幣なんて、俺の財布には入っていないし。
そして一頻り話したところで、彼女は満面の笑みを顔に浮かべて俺の顔を見た。
その輝かんばかりの笑顔に、恥ずかしいやら眩しいやらで俺がどきまぎしていると、彼女のもふもふした手が俺の左手首を掴んできた。
突然の柔らかな毛並みの感触に驚いている俺を差し置いて、彼女はぐいぐいと俺の手を引く。存外力が強い。
「さぁ、これも何かの縁です。入植対応をしてくれる役所まで連れて行ってあげます!
一緒に行きましょう!」
「ちょ、ちょっと……!」
抵抗する暇もない。引かれるがままに足を動かす俺は、目の前のルブルーム通りに飛び込んだ。
一気に空間が開け、頭の上に広がる空の青が広くなる。この世界の空も青いんだなぁと、半ば現実逃避するようにして、俺は女性に腕を引っぱられ続けたのであった。
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