第13話 二頭のトロール
早朝、俺達はオークの集落を囲むように待機していた。
早朝といっても辺りはまだ暗く、ほとんどの生物が寝静まっているような時間である。
時計など無いので体感だが、地球というか、人間界基準で言うところの午前三時過ぎくらいだろうか。
本来であれば皆寝静まっているような時間だが、誰一人として集中力を切らしていないのは大したものだと思う。
恐らく皆、興奮冷めやらぬといった状態なのだろう。
何しろ、襲撃のあった時間から、まだ五時間程しか経っていないのだから…
「…全員、配置にはついたかな?」
「はい、東と西に数名が待機しています。残りは長の家などに偵察に出ました」
「わかった。じゃあゲツも、いつでも出れるように準備しておいてくれ」
「わかりました」
ゲツに指示を出しながら、俺も自らの準備を進めていく。
(しかし、まさかこちらから攻める事になるとは思いもしなかったな…)
つい先程までは完全に防衛戦を想定していたというのに、何故急遽こちらから打って出ることになったか?
それはオーク達の事情と、二頭のトロール、ゴウの危険性を考慮したためであった。
――五時間前。
襲撃に来たオーク達は、まとめて集落の広場に集められた。
数はおよそ二十程だろうか…
皆、既に戦意は喪失しており、一様に力なく首を垂れている。
そんな彼らの前に、この集落の長であるザルアが歩み寄る。
…事情があるにせよ、この集落を襲った事実は変わらない。
このザルアという者がどのような人物かは知らないが、それ相応の制裁を加えるのかもしれない。
「ま、待ってください! 我々には既に抵抗の意思は無い! 制裁を受ける覚悟もできている! …しかし、その前に、どうか話を聞いて頂けないだろうか!」
「…初めから、そのつもりですよ。まずはそちらの話を聞いて、今後の事を判断するつもりです」
…流石は長、と言った所だろうか。
少なくとも、直情的に怒りをぶつけるような人物では無いらしい。
このオーク達の代表らしき男、ソクは、ザルアの言葉に感謝しながら、事情を説明し始めた。
◇
トロール達が現れたのは四日程前だったそうだ。
二頭のトロールは、集落の正面から堂々と入ってきたらしい。
それを最初に目撃したのは、この男の妻なのだという。
畑仕事をしていた男の妻は、急に現れた巨体に恐れを抱き、すぐに長の元へ報告に向かった。
そして報告を受けた長と、その補佐であるソクは、慌てて現場へと駆け付ける。
まず最初に目にしたのは、齧られ、毟られ、ぼろ布のように成り果てたオークの若者だったらしい。
その若者は集落でも屈指の戦闘力を持つ者で、その日は森へ狩りに出ていたそうだ。
他にも一緒に狩りに出ていた者はいた筈だが、他の者の姿は見当たらなかった。
しかし、その様子では他の者も恐らく…
周辺を見渡すと、食い散らかしたような肉片があちこちに散らばっていた。
そしてその肉片は、とある家に向かって続いているようであった。
長とソクは、すぐにでも逃げ出したい気持ちを抑え込み、その家へと向かう。
粉砕され、意味を成さなくなった扉をくぐって中に入ると、二頭のトロールは待ち構えるようにして床に座り込んでいた。
「よう、オメー達は…、男か。なら食わないでおいてやるか…。おい、オメー達、集落の長をここに連れてきな」
「…長は、私だ」
「おお? そうかい、そいつは話が早いな。っと、ビビんないでいいぞ? ちと腹が減ってたもんで何人か食い散らかしちまったが、別に俺様は、お前たちを食い殺すために来たわけじゃないからな」
二頭のトロールは、何か…、小さな足のようなモノを齧りながら、そう言った。
他にも何か言っていたような気がするが、目の前の光景に意識を割かれ、内容をあまり覚えていない。
その家は、集落でも数少ない子供のいる家庭であった。
つまり…、あの足は、あの子の…
「うっ…」
吐き気が込み上げ、思わず膝をついてしまう。
「なんだぁ? 気分でも悪いのかぁ? わかるぜぇ、俺様もさっきまでは空腹で気持ち悪かったんだ。しかし、今は腹が満たされて大分気分が良くなってきたぜ。…おい、そのままの体勢でいいからよく聞けよ?」
二頭のトロールはバリボリと音をたて、手に持っていたモノを残さず平らげる。
そして今度は、家にあったらしい酒樽から直接酒を仰いだ。
「俺様は根っからの戦好きでよぉ、手持ちの部下連れて、あっちこっちに戦争をしかけてたんだが、面倒な奴等に目をつけられちまったんだよ。奴等ぁ、力は大した事なくても数は多いわ、術も使うわで煩わしいったらありゃしねぇ。二十くらいいた俺の部下も、今じゃ十まで減っちまったんだよ。…なぁ、ムカつくだろ?」
同意を求められても、二人には返す気力すらおきなかった。
しかし、二頭のトロールはそうだろ、そうだろと勝手に続ける。
「んで、流石にこのまま続けても埒があかねぇってんで、この森まで撤退してきたワケよ。でもなぁ、負けっぱなしってのは良くねぇだろ? だからよ、俺様はこの森で戦力をかき集めて、奴等に報復しようと思ってんだよ! ってことで、もうわかるよな? 喜べよ! オメー達を俺様の兵隊にしたやるぜ! なあ、嬉しいだろ!? 最強である俺様の部下になれるんだぜ!?」
この者の兵隊になる事で、どうして我々が喜ぶことになるのか…?
ソクには二頭のトロールが語る内容が、まるで理解できなかったらしい。
しかし、それは当然の事であろう。
聞く限り、その者とは立場も違えば、価値観、思想に至るまで、あらゆる事に違いがあり過ぎる。
理解など、出来よう筈も無い。
この惨状を作り上げ、目の前でこれだけ悍ましい行為に及びながらも、二頭は悪びれる気配が無かった。
恐らくその事について訴えたとしても、二頭はこちらの感情を理解すらしなかっただろう。
…つまり、交渉の余地など初めから無く、その時点でオーク達の運命は決まっていたと言っていい。
◇
「その後、長は皆を集め、生き残るためには従うしかないと説きました」
「…それに皆は従ったのか?」
「いえ、当然逆らう者はいました。特に、狩りなどで外に出ていた別の隊の者達は、あの二頭のトロールを直接見ていませんでしたからね…。抗戦すべきだと譲らなかったのです。しかし、アレを見た我々には、到底賛同などできなかった…。結局、もう一度だけ穏便に解決できないか交渉に行くと、長は奴の所へ向かったのです」
聞くまでもなく、その交渉は失敗したのだろう。
でなければ、彼らはここにいない筈だからな…
「それから数刻もしないうちに、長の頭を掴み、引きずりながら奴が現れました。そして我々に、言ったのです。『お前達、長に遠慮していたんだろうが、もうその必要は無い。臆病者の長は俺様がこの通り殺しておいた』と。そして、我々に見せつけるように、長を…、まるで、枯れ枝をへし折るように…」
その時の光景を思い出したのか、何人かのオークから嗚咽が漏れる。
「長が奴の手の中で、まるで紙屑のように引き千切られ、小さくなっていくのを、我々はただ茫然と見ていました。その時点でもう、我々の中に戦意が残っている者は、一人もいませんでした…。残ったのは、ただただ、恐怖だけだったのです…」
その後、彼らは二頭のトロールに言われるがまま従うしかなかった。
戦力外となる女子供は一か所に隔離をされ、男達は他の集落を襲う兵士として扱われた。
「奴が意図してやったかはわかりませんが、隔離された妻達は私達に対する人質にもなっています。奴の気に障るような事をすれば、妻達はきっと…」
これは、想像以上に厄介な状況かもしれない。
オーク達が人質を取られている事は想定済だったが、まさか、全員を夜襲に割り当ててくるとは思っていなかった…
当初の予定では、彼らには討ち死にした事になって貰い、明日の戦いの隙を見て人質を解放してもらうつもりだったのだが、そうも行かなくなってしまった。
何故ならば、彼らが戻らなければ、人質の価値は無くなるからである。
「うちの集落の女達は、体力的には我々と大差ありませんが、戦闘経験はありません。ですので、我々が戻らなければ利用価値が無くなったと判断される可能性が高いでしょう…」
ソクの補足は、俺が考えた内容とほぼ一致する。
…しかし、だからといって、彼らをこのまま帰らせるワケにもいかないだろう。
話に聞く二頭のトロールの気性を考慮すれば、彼らも人質も、何らかの制裁を加えられる可能性がある。
それに恐らくだが、二頭のトロールはオーク達の事を部下とすら思っていない。
せいぜいが非常食兼、捨て駒といったところだろうか。
そうでなければ、全員をこんな夜襲に向かわせるとは思えない。
そもそも、二頭のトロールの目的が戦力の徴集なのであれば、レッサーゴブリンの集落を全滅させるつもりは無い筈。
にも関わらず、オーク達が命じられたのは殲滅だというのだから、どうにも違和感がある。
何らかの意図がある可能性もあるが、その可能性は極めて薄いだろう。
ソク達の情報から、二頭の性格は粗野で大雑把…
決して頭が良さそうには思えないからだ。
つまりこの夜襲も、特に何か考えがあって実行されたものでは無い可能性が高い。
オークの存在も、レッサーゴブリンの集落襲撃も、全ては遊びでしかないのかもしれない。
うまくいけばそれでいいし、いかなければ、また別の集落を襲う。
恐らく、その程度にしか考えていないのだろう…
となると、もしかしたら、最初から人質なんて…
「…もしかしたら、あまり時間が無いかもしれない。どうするか…」
「…な、なあ、あのトロール達ははどうしたんだ? もう、殺しちまったのか?」
悩んでいると、別のオークが尋ねてきた。
「いや、なるべく頑丈そうな(っていってもたかが知れてるけど)小屋に軟禁しているけど」
「そ、そうか…」
質問してきたオークは、どこかホッとしたような、安心したような顔をする。
(この反応はなんだろうか? まるで、敵であるトロールの身を案じているかのような…?)
ん…、待てよ?
そういえば、さっきの推論には一つ矛盾があるな…
てっきり監視が目的だと思っていたが、二頭のトロールが本当にどうでも良いと思っているのなら、監視を付ける事自体不自然だ。
「…なあ、今、トロールの事を気遣っていたみたいだが、どうしてだ? あいつらは敵なんだろ?」
「あ、いや、あのトロール達は、その…、結構良い奴らなんだよ」
「良い奴ら? あんた達の集落を襲った奴らなのにか?」
「いや、俺達の集落を襲ったのはあの二頭、ゴウって男だけだ。あのガウってトロールと、その側近らしき三人は、この夜襲だって最後まで否定的だったんだよ」
「…そう言えば、あのガウってトロールが、俺の意思では無い、とか言っていた気が…」
ガウ達の襲撃現場で見張りをしていたゲツが、思い出したように言う。
「あの三人がお目付け役じゃなければ、俺達は戦意を失った時点で殺されていたと思うよ。それがわかっていたから、ガウ達がその役目を買って出たんだよ」
…あのトロール達か。
俺はガウとしか直接面識が無いが、確かにガウからは悪意のようなものは一切感じられなかった。
それに、ガウはもう大分回復しているのにも関わらず、俺との口約束を守り、大人しくしている。
戦士としての誇りを持っているのだろうが、そこから考えるとこの夜襲はやはり違和感が多い…
「…ふむ。少し確認してみるか。ゲツ、引き続きここで見張りを頼むよ」
「わかりました!」
良い返事だ、何故か俺を見る目に熱がこもっている気がするんだが、気のせいだろうか?
「ザルアさんも、引き続き準備をお願いします」
「了解しました」
「ライは念の為、一緒に来てくれ」
「わかった」
念の為、ライには同行してもらうが、その必要はほとんど無い可能性がある。
恐らくだが、彼らは…
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