ごきげんよう、皆さま(再び大学生活編)

1年遅れの約束、しょっぱい缶チューハイの味。


 大学を休んだ。

 講義の内容は後で慎悟に聞けばいいのでどうとでもなるけど、私の心は少しばかり沈み気味だった。


「笑さん」

「あ、おはよ慎悟」


 休んだ日の翌日、私が大学にやってくると、送り迎えの車が停まる駐車場のロータリーでちょうど通学途中だった慎悟から声を掛けられた。

 化粧を念入りにして顔色の悪さを隠してきたけど、元気のない私に気づいたのだろう。慎悟は怪訝な顔をしていた。


「…どうしたんだ、また悪い夢を見たのか?」


 私が沈むのはいつもそれだったから、慎悟はすぐに察していたが、今回のは違うんだ。


「3日前に、バレーを教えてくれた祖母が亡くなったの」


 連絡を受けたときすぐに駆けつけようと思ったけど、今の私は二階堂エリカとして生きている。縁もゆかりもない私がやってきたら親族が戸惑うだろう。なので不自然に思われぬよう、お葬式と告別式だけ、一般参列客としてこっそり参列してきたのである。

 弔問客として焼香には行けたが、火葬などには立ち会えなかったし、顔もチラッとしか見れなかった。


「…1年前に癌が見つかって…希少で悪性度が高くって…余命は伸ばせたけど治療の甲斐なく……ね」


 今の私はお見舞いにも行けず、両親から受ける連絡で祖母の容態を聞かされるだけだった。

 棺に入っていたのは、花に囲まれて安らかに眠るひとりの老人だった。小柄だったが、ふっくらして年齢よりも若く見えた祖母はすっかりやせ細っていた。


 そのため、昨日大学を急遽休んだのだといえば、慎悟は気遣わしげに私を見つめていた。


「……最期は専門のホスピスで過ごしていたんだけど、ばあちゃんったら死んだら私の元に行くと病床で言ってたんだって。最後は痛みとせん妄でうなされて、うわ言のように私を呼んでたんだって」


 苦しむばあちゃんの側に行けず。

 不思議なことに巻き込まれて、孫の笑はまだこの世にいるんだって伝えることも出来ず。──私の存在を知らずに、彼女は旅立ってしまった。


「私は、あの世からクーリングオフされちゃったから迎えに行けてないのに、「寂しがった笑がばあちゃんを迎えに来たんだ」っておじさんたちがお通夜で言ってたらしいよ」


 ひどいよね、と不満を漏らす私の声は震えていた。

 あの世に行っても私はいないのに。


 私にバレーを教えてくれたばあちゃん。

 背が高いことが武器になると教えてくれた彼女は、いつも私の試合を楽しみにしてくれてたのに。試合があった後には電話がかかってきて感想を言ってくれた。近所の人に私の自慢をしてくれていた。

 いつだって私の夢の応援してくれていた。…見せてあげたかったなぁ、世界を…。


 今の私の立ち位置は赤の他人だ。

 祖母の体にすがりついて泣くことも出来ない。火葬場についていくこともできない。

 仕方のないことだけど、それが苦しくて。


「…最期に一言くらい話したかったなぁって後悔しちゃって」


 適当に渉の友達って嘘ついて、お見舞いについていけばよかったんだ。

 後悔してももう遅い。ばあちゃんはもう旅立ってしまった後だ。


 あぁ、自分が同じ立場になってわかった。私の周りの人はこんな心境だったのだろうかって。

 死んでしまったらもう会えない、話せない。残るのは遺骨と思い出だけ。


 枯れたはずの涙が溢れ出す。

 慎悟は私の言葉を黙って聞いていた。涙で濡れた私の顔をハンカチで拭うとそのまま私の手を引いて大学とは反対方向に歩きはじめた。


 その日、真面目な慎悟は珍しく私と一緒にサボりを決行してくれた。



■□■



「墓参りに行こうと考えてるんだ」


 それから一ヶ月ちょっと過ぎたある日、慎悟がそんな事を言った。

 墓参り…? と私が不思議に思っていると、慎悟は秀麗な眉をギュッとひそめて視線をさまよわせていた。


「…四十九日も終わった頃だから、もう墓におばあさんの骨が納められているだろう。葬儀ではゆっくり出来なかったし、一度墓参りしてあげたらどうだ?」


 ばあちゃんが眠るのは松戸家の墓だ。

 私の骨もそこに眠っている。慎悟のことだから死を連想して行きたがらないと思っていたが、私の気持ちを慮っての提案だったようである。


「……一緒に来てくれるの?」

「当たり前だろ」


 慎悟のその気遣いに私は思わず泣きそうになった。私の顔が涙を堪えているように見えたのだろう。慎悟は私を抱き寄せて背中と頭を優しく撫でてくれた。




 その週の土曜日、早速私と慎悟は車に乗って松戸家の墓がある山あいの田舎にやってきた。

 たくさんのお墓が格子状に並ぶ集合墓地。夜であればおどろおどろしい空気がいっぱいなのだろうが、今は天気も良く、空気も澄んでるように感じた。私の思い込みかもしれないが、快く歓迎されている気すらする。

 花束を抱えて歩き進めていると、人の話し声が聞こえてきた。私と同じくお墓参りに来た人だろうと思って何も考えずに歩いていたのだが……彼らが松戸家の墓の前に座ってお酒を飲んでいる光景を目にして私は固まってしまった。


「……」

「おい、どうした?」


 私の後ろを歩いてきた慎悟が不思議そうに声を掛けてくるが、私も目の前の状況が理解できなくてどうしたらいいのかわからない。


 彼らはやってきた私達の姿を見上げて不思議そうに見上げている。彼らの手には缶チューハイ、そして敷物の上に並べられたおつまみの数々。

 お昼から墓場で酒盛りとは……最近の流行なのだろうか。そんなの聞いたことないけど。


「……もしかして、笑さんのお知り合いの方ですか?」


 5人くらいいた男女の内の1人から尋ねられた私はピクリと肩を揺らした。

 “私”の知り合い…? 言葉が出てこず誰だっけ…とその人達の顔を思い出していると、彼らはわたわたと占拠していたお墓前の敷物を隣の敷地前にずらしていた。


「私達、笑さんの中学の時の同級生で、今日はお墓参りに来たんです」

「…あ、そうなんですか…」


 あぁ、同級生か……すっかりみんな大人になって垢抜けてしまっていたからわからなかった。

 皆21歳か……“私”は大人になれないまま永遠に17歳のままだけど、生きている人たちは皆年をとっていく。わかっていたことだけど、なんだか切ない感情に駆られた。


 それにしてもお墓参りか。

 私が亡くなった当時の同級生でもない、1年や2年一緒に過ごしただけの同級生のお墓参りに来てくれるもんなんだな……。


「松戸さんがいたクラスはすごく居心地よかったんです」


 松戸家ノ墓、と彫られた墓石を見上げていた青年がポツリと呟いた。

 私はその言葉に首を傾げる。


「松戸さんは先輩にも先生にも可愛がられていたし、困った人をすぐ助けてくれる人だった。喧嘩とか仲間はずれとかしようとする人がいたら松戸さんがすぐに間に入ってくれてね」


 そうだったっけ?

 先輩とか先生に良くしてもらっていたことは覚えているけど…やっぱ部活の関係もあって深く関わることも多かったしねぇ。そのお陰で私に変なこと言ってくる人は少なかったかもしれない……


「ヒエラルキーはあったとしても、うちはいじめとかそういうの全く無くてみんな仲が良かった。隣のクラスはいじめとか登校拒否とかあって、上位の人が幅きかせてるって聞くのにうちのクラスはそういうのなかったよね」


 そうかなぁ?

 たまたまクラスに温和で平和主義な人が多かっただけじゃないのかな。


「私は1年のときから同じクラスだったけど、一緒に行った修学旅行や林間学校、すごく楽しかった」

「私達の絵を褒めてくれて、真似して書いてくれたけど、すごい絵でね…」


 笑画伯の絵をまだ持ってるのだと言って、笑っていたはずなのに、何故か彼らの瞳には涙が滲んでいた。


「──なんであんな優しい人が死ななきゃいけないんだろうね」


 その言葉に、場は水を打ったかのように鎮まり返ってしまった。

 ここにいますとか言えないし、どういう反応するのが正解なのかわからず、私は沈黙と真顔を保っていた。


「みんなが成人したら同窓会してみんなでお酒飲もうって約束したのに」


 ……それを言われて思い出したのは中学の卒業式の日だ。

 仲が良かったクラスメイトたちにノリノリでそんな発言をした気がする。私としてはその場のノリだけで言った社交辞令だったと思うのだが、彼らはその日を楽しみにしていたのだという。


 しんみりした空気が漂い、ぐす、と鼻をすする音が各所から聞こえてきた。

 私の死は時間とともに風化していくものだと思っていた。親しい人以外は忘れ去っていくものだと思っていた。じわっと涙が滲んできたけど、私は頑張って笑顔を作った。


「…お酒、私も頂いていいですか?」

「どうぞどうぞ、あ、彼氏さんもどうぞ!」


 スーパーの袋から出された缶チューハイを私と慎悟はお礼を言って受け取ると、プルタブを開ける。プシュッと音を立てて炭酸泡が弾け飛んだ。


 ──ばあちゃん、私は形を変えて現世に生きているんだ。

 ごめんね、そばにいられなくて、お見舞いに行けなくて、お迎えに行けなくて。ばあちゃんにいつか世界の舞台に出た私を見て欲しかったのに、先に居なくなってごめんね。

 こんな奇妙な形で生きているけど、私はそこそこ幸せなんだよ。

 ばあちゃんの残してくれた思い出も与えてくれた言葉は今も私の中でしっかり生きている。それを抱えて、私は生を全うしてみせるから。

 閻魔大王、そっちに行っている私のばあちゃんをよろしく頼むよ。


 缶チューハイを墓に向けて乾杯してから一口飲み込む。

 成人した私が飲んでいたであろうそれは、なんか少ししょっぱかった。


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