アレはキスじゃない、認めない。


「ウ゛ゥー…グルグル…」


 私にナデナデされて満足げだったペロが突然シュタッと立ち上がり、うなり始めた。外敵が現れたと警告しているみたいなその鳴き方……


「…? ペロどうしたの」

「間接キス、ねぇ。それなら僕も加納君と間接キスしたことになるのかな?」


 ──ゾッ!!


「出たな、サイコパス!」

「にぎやかで楽しそうだね」

「ギャン! ギャウギャウ!」


 そこに現れたのはもしかしなくてもサイコパスである。何を考えているのかわからない薄ら笑いを浮かべたそいつはいつの間にか私の真後ろに迫っていたのだ。

 ペロはひと目見た瞬間から奴が変質者だとわかったのか、親の仇の如く吠え立てている。飛び掛かっていかないように、ペロのリードはしっかり握っておいた。上杉なんかのせいでペロが傷付けられるのはかなわんからね。


 ペロから敵対心いっぱいにギャワギャワ吠えられている上杉は眉をひそめて不快そうに顔を歪めていた。


「煩いな…しつけのなっていない犬だね。飼い主そっくり」

「それは私のことかァァー!!」


 この野郎! ペロのついでに私まで貶しやがって! そんなことないぞ失礼な!!

 そもそもお前が言うなお前がぁ! 倫理観どっかに追いやってるくせにさぁ!


「ペロは賢くて可愛くて忠実な私の家族! あんたを吠えるのはあんたが悪い人間だと察知して私を守ろうとしてくれてるんだよ!」

「どうでもいいけど、僕犬嫌いなんだよね」

「そうかい、私はあんたが嫌いだわ」


 どうでもよくないよ! ペロを侮辱するな!

 まぁ、犬が嫌い云々は人の自由だし、ペロも初対面でこのサイコパス上杉のこと嫌いになってると思うのでお互い様だけどさ。相思相愛ならぬ相思相嫌である。


「ワンッワンッ!」

「ペロ…サイコパスの脅威に気づいてしまったのね!! でも危ないから近づいちゃだめよ! ペロにもしものことがあれば私は耐えられない!」

「失礼だなぁ」


 何をされるかわからないので、ペロを上杉から引き離そうとすると、その前に誰かが立ちふさがった。

 私を守るかのように庇ったその人物を見上げる。昔はいつも同じ目線にいたのに、今ではすっかり身長差が生まれてしまった彼女。


「ペロは本当に賢いわんこなんだ。この子に本当に忠実で……君に危害を加えたら申し訳ないから、ここはお引取り願えるかな?」


 依里だ。彼女はその大きな背丈で上杉を威圧しながらも笑顔であしらおうとしていた。私は依里の後ろに隠れながら上杉を睨みつける。

 依里はプロバレー選手だ。上杉よりも背が高く、その体躯はしっかり鍛えられている。威圧感なら男に引けを取らない。サイコパス相手にも堂々としている親友の存在がとても心強い。

 上杉は依里を見上げて目を細めていた。何かを企むような嫌な視線だ。


「…小平さん、でしたっけ?」

「君は噂の上杉君だよね、婚約者がいる女の子につきまとう悪い虫だって聞いてるよ」


 依里の言葉に上杉は苦笑いしていた。その笑い方のわざとらしさよ。


「ひどいな、友達に悪口吹き込むなんて」

「本当のことでしょ!」

「グルルルーッ」


 サイコパスがにっこりと私に笑いかけるが、私は悪寒でブルブル震えていた。私はあんたのストーカー行為に困ってるんだよ!? 何被害者ぶってるのさ! 上杉の嫌な雰囲気を察知したのか、私の足元では未だにペロが威嚇している。


「慎悟様と上杉様が間接キス…!? どういうことですの!? 答えなさい女狐!」


 忘れていた。彼女の存在を。

 聞かれたらまずいと言うか話がこじれそうな相手に聞かれてしまった…。ていうかまだいたの巻き毛……


「ちょ、巻き毛今はそれどころじゃ…」

「単純なことだよ。彼女と僕はキスをしたことがあるんだ」


 にっこり笑って悪意のある一言。

 上杉の爆弾投下である。

 

「はぁぁーっ!?」


 巻き毛は白目をむく勢いで声を上げていた。

 いつの間にか上杉が真横にいたので、私はすかさず上杉を突き飛ばした。近づくなサイコパス!


「あれはあんたが強引にしてきたんでしょ! 私は認めてない!」


 無理やりされたあれはキスではなく、わいせつ事案である。私は慎悟にされたキスを初めてのキスとカウントするようにしているので、上杉のアレは悪夢だと片付けたのだ。


「あの時は噛みついてきて…すごかったじゃないの」

「バカかあんたは! 嫌がっていたんだよ!」


 あの時は手も足も出なかったから、歯であんたの唇を食いちぎってやろうと思ったんですよ!

 気持ち悪いなぁこいつ。なにうっとりしながら自分の唇撫でているんだ。本当気持ち悪い。


「こ、この尻軽の淫乱女ーっ!! しっ慎悟様という方がありながら不貞などっ!」

「櫻木、やめろと言ってるのが聞こえないのか!」


 慎悟が強めに叱るが、こうなった巻き毛は止まらない。烈火の如く怒り狂っている。

 しかしこのまま言われっぱなし、誤解されっぱなしは癪なので、私は言い返してやった。


「言い訳するなら、それは慎悟と付き合う前だから! その直後慎悟にも無理やりキスされましたー!」


 決して不貞じゃないし、私が悪いわけじゃない! それには慎悟がぎょっとした顔をしていたが、知らんぷりだ。


「むっ無理やりっ慎悟様からですって…!? あなたが慎悟様を誑かしたのでしょうがぁ! 純真無垢な慎悟様を陥落させたのよっ」


 過激派巻き毛が顔を真っ赤にさせて私に掴みかかってきたので、私はそれを振り払おうと抵抗する。

 爆弾投下した張本人はというと、ニヤニヤしながら静かに踵を返していた。つまり場を荒らすだけ荒らして逃げたのだ。

 …上杉、これを狙って言ったな!? アイツ絶対に許さん!


 追いかけてあいつを殴っておきたかったが、私は巻き毛に捕まってしまっていた。

 上杉め、今度会ったら覚えておけ!


「櫻木、やめろと言っているだろう!」

「なぜですか、こんな脳筋アホ女のどこがいいのですか!」


 慎悟が止めようとするが、巻き毛はそれに噛み付く始末である。


「やめなさい」


 巻き毛の一方的な暴行を止めたのは依里だった。巻き毛の背後へ周り、羽交い締めにして止めたのだ。


「なによっあなた!」

「間接キスとか不貞とか騒いでるけど、それは当事者同士の問題でしょうが。無関係なのに見苦しいよ、あなた」


 依里の言葉に巻き毛はカッとなった様子であったが、力も体格も依里に負けている彼女は拘束されたままキーキー喚いていた。


「よく周りを見てご覧、慎悟君もだけど、周りの人はあなたを見て引いてるよ」


 冷静なツッコミに、巻き毛は毒気を抜かれた様子でぐるりと周りを見渡す。慎悟は元より、無関係の通行人は巻き毛を見てドン引きしている顔をしていた。


「……」


 彼女は暴れるのをやめると、依里の拘束から解放されていた。やっと自分の姿を客観視出来たのかなとホッとしていたのだが、巻き毛は違った。


「覚えてなさい! 私は絶対に慎悟様を目覚めさせてあげますからね!」


 私に捨てゼリフを吐き捨てると走って逃げていったのだ。

 しかしその足は遅い。テロテロ走りながら逃げ去る巻き毛をペロが追いかけようとしていたので、私はすかさずペロのリードを掴んで止めたのであった。

 なんだったのよ……

 嵐が二回訪れたみたいに、疲れてしまった……





 依里とペロが帰宅したあと、慎悟がしみじみと語っていた。


「依里さんみたいに冷静でしっかりした友人があんたのそばにいてくれたら、俺も少しは安心できるんだけどな」


 ……なんか無茶苦茶失礼じゃない?

 彼曰く、私の周りにいる友人たちは私に甘いところがあるから、注意しつつも私のペースに振り回されてるって言うんだ。慎悟はまるで私が嵐を起こしているかのような言い方をするんだ……。

 …そんな事ないのにね。


 まぁ、自慢の親友を褒めてくれたことは評価してやってもいいけどさ?

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