小話・私達の夢、世界へ
ずっと夢見ていた舞台。
今日、親友が日本代表としてスタメン出場する。
国歌・君が代を歌いながら、彼女はじっと日の丸国旗を見つめていた。日本を背負って戦う、その気分はきっと体験した者にしかわからない重責であろう。会場の巨大スクリーンに映る彼女の顔は緊張でこわばっていた。
大勢の観客で賑わう会場は、私達が青春をかけて戦った大会よりも、当然のことながら規模が大きく、テレビカメラがあちこちに配置されている。
所々から「ニッポン! ニッポン!」と応援の掛け声を上げる観客の声が聞こえてくる。それを聞いているだけで鳥肌が立ってきた。
とうとう、この日が来た。依里は夢へとまた一歩近づいた。私と共に見た夢に。
依里は、東洋の魔女の再来へ更に一歩近づいたのだ。
世界大会初日の対戦国は世界ランク3位の国。ここ近年調子の悪い日本よりも順位が更に上だ。
相手国選手の身長は更に大きい。相手選手と握手する、180超えの依里が小さく華奢に見えた。外国の選手は日本人選手よりも体格に恵まれ、日本人選手がどうしても華奢に見えてしまうのだ。
試合は序盤から日本側が劣勢であった。粘り強くて有名な日本女子バレー代表たちは積極的にボールを拾っていったが、相手にポイントを次々奪われていき……点差が広がっていく。
そんな中で、依里は輝いていた。
宙を高く、高く舞っていたのだ。その姿が眩しくて、目をそらせなかった。
振り下ろされた手がボールを打ち抜く。がら空きの相手コートスペースを狙って叩きつけた。日本側へポイントが入る。
わぁぁぁ…! と会場の観客たちが歓声を上げると、一体となって「小平!」とコールしている。
私も声援を送るべきなのは理解していたが、試合の行方が気になって声が出ない。手に汗を握ったまま、目の前で繰り広げられる熱戦をじっと眺めていた。
二軍選手だった依里は今回ようやく代表として選ばれた。彼女がこの舞台に立つまでは決して平坦な道のりではなく、打ちのめされることも多々あったであろう。
だけど、依里は決して諦めなかった。這いつくばってでも、夢を追いかけ続けた。弱音を吐くことがあっても決して挫けず、ただひたすら夢に向かって走り続けたのだ。
依里、頑張ったね。日本代表になるという夢を叶えたんだね。
私が手を伸ばしても届かない夢を彼女は叶えてくれた。その夢を目の前で見せてくれた。
まだ試合は終わっていない。これからが正念場だと言うのに、涙が止まらなくて視界が歪む。試合模様が全くわからない。
ただ、サポーターたちの熱い声援があちこちから飛んでくるのだけはわかった。「小平! 小平!」と依里を応援するサポーターの声。会場は依里を応援する声でいっぱいだった。
私も応援しなきゃ。私の夢まで抱えてこの舞台に立った依里は今、世界を相手に戦っているんだ。私は依里のファン第一号なんだから。
「…ほら、ちゃんと見ないと依里さんに失礼だろ」
「ゔん…」
隣に座っていた慎悟が、私の頬を伝う涙をハンカチでそっと拭ってくれた。私はぐっと唇を噛んで泣くのを堪えた。
「…依里っ! 頑張れぇ!」
泣き止もうと思ったけど涙は急には止まらない。嬉しいはずなのにどうしても涙が止まらないんだ。
私の相棒は依里しかいないと思っていたあの頃。今は別々の道を歩み、離れた場所にいる私達。その距離は埋まることはないけど、私達の心はいつだって近くにあると信じている。
だって依里も私も、バレーを愛する心が変わらないから。
私は声が枯れるまで応援した。やっぱり涙が止まらなくて、慎悟に借りたハンカチをグシャグシャにしてしまったけど、依里の晴れ舞台を最前列の特等席で観覧できたことが何よりも嬉しい。
世界大会初出場にして、見事な戦いぶりを見せた依里はその試合でたくさんポイントを奪った。僅差でお互いに勝ちを譲らず、フルセットまで持ち越した。
そして奮闘の末、日本女子チームは3−2で相手国を撃破したのだ。
世界ランク3位に勝利。
正直、対戦チームは日本をナメていたのだと思う。相手は2軍選手メインで編成されていたからだ。──日本相手ならそれで勝てると思われていたのだ。油断が裏目に出たのであろう。
だが、それでも日本が勝利したことは事実。日本は好調なスタートを切ったのだ。会場は大盛りあがり。「小平」と叫ぶ声が会場内に響き渡った。
──世界大会は始まったばかり。依里はこれからも更に注目されるであろう。
試合後の依里に声をかけようと思ったが、彼女はテレビインタビューに大忙しだったので、邪魔にならぬように遠くからそれを見守っていた。
依里は照れくさそうに、しかし誇らしげに堂々とインタビューに答えていた。そんな彼女を見ていると、私まで誇らしくなってしまった。
「依里さん、格好良かったな」
隣にいた慎悟の言葉に私はきょとんとしたが、親友を褒められて嬉しくて、私は思いっきりニカッと笑った。
「でしょ! 私の自慢の親友だもの!」
私が腰に手を当てて威張っていると、慎悟が顔を上げて別の方向を見ていた。おい、私の自慢は無視かと不満に思いながらも慎悟の視線を追うと、そこには頭2つ分くらい抜き出た大男がいた。
当然のことながら、人に注目されているその青年は注がれる視線に慣れた様子で人をかき分けると、のっそりとこちらへと近づいてきた。
「やっぱり来てたんだ」
「渉!」
弟の渉だ。依里の応援に来ていたらしい。
…弟の渉は……私の予想通り身長2メートルを超えてしまった。会う度に巨大化している彼に言葉を失ったことは一度や二度ではない。
おかげで見上げると首が痛くなって仕方がない。
「渉君も、女子大会の後に行われる男子大会に出場するんじゃなかったか?」
「そうですよ。最終合宿の最中なんですけど、依里姉ちゃんの晴れ舞台だけ観に来たんです」
慎悟の問いに渉は「ちょっと事情話して抜けてきました」とあっさりした様子で答えていた。
弟の渉は19歳になった。
渉は誠心高校女子バレー部元監督の予想通りに……化けた。
一時はあの悲劇のヒロイン、松戸笑の弟ということで注目されていたが、今では私の名前が霞んでしまっているくらいだ。化け物じみたスパイク力を手に入れた渉は攻撃特化のオポジット選手になっていた。
そして依里より一足先に大会へ出場するようになり、今大会でもスタメン出場が確実視されている。日本人としては恵まれた体格にバレー技術に才能。有名強豪校でスパルタ……寵愛された渉はものすごい勢いで成長し、今では世界と渡り歩いている。
その辺りは我が弟ながらすごいと思うし、末恐ろしいとも感じる。
「…私も生きてたらあんたくらいになっていたのかなぁ…」
「2mになりたいの?」
「中国のオポジットがそのくらいあるから…憧れるよね…」
それだけ身長が高ければ、スパイクは如何ほどの威力を発揮するのであろうか……
結局身長は156cmで止まってしまった。あの牛乳漬けの日々は一体何だったのだろうと落ち込んだ日もあった。無駄に骨が丈夫になった気はするが、その割に怪我するし、本当に丈夫になったのかはよくわからない。
渉は私の言葉を聞いて何を思ったのか、脇に手を差し込むと軽々と持ち上げ、私を高い高いをしてきた。
……屈辱の、高い高い再来である。
「…二宮さんと…同じことしやがって…!」
私は降ろせと言おうと思ったのだが、渉に「なぁ、」と呼びかけられたので、口をへの字にして弟の言葉を待った。
「大丈夫だよ。近いうちに俺と依里姉ちゃんがオリンピックの舞台に連れてってやる。特等席で観せてやるからな」
「…渉」
ストン、と重さを感じさせない降ろし方をされた私は渉を見上げた。幼かった弟の面影はあるけど、今はこんなにも頼もしく見える。
あんなに小さかったのに。こんなに大きくなって……
「…姉ちゃん、あんなにデカかったのにな……こんなちっちゃくなって」
私が考えていたことと正反対のことを渉が呟いてきた。
腹が立った私はすかさず渉の腹にパンチを入れる。
「痛っ! そんな乱暴だと慎悟さんに怖がられるぞ! 幻滅されても知らないからな!」
「そんなことない! 慎悟は私のこと大好きだもん。そんな心配要らないもんね!」
まったくもって失礼な弟め!
本当は拳骨したかったけど圧倒的に身長が足りないので腹を狙ったが……こいつの腹筋どうなってんの? バッキバキやないか…
「取材、終わりそうにないな」
「ヒロインインタビューだから仕方ないよ」
この試合で活躍した依里は今後ますます成長していくだろう。ここにいる渉も同様に。
羨ましいって気持ちはまだまだ残っているけど、今はそんな彼らが誇らしくて仕方がない。
夢見た未来は、目が開けられないほど眩しくて、手の届かない場所にあるけれど……そこには確かに私の見たかった風景が広がっていた。
依里がこっちを見て、ニッコリと笑顔を向けてくれた。
…私は彼女に向けてとびっきりの笑顔を返す。
「おめでとう、依里」
私と彼女が夢見た舞台は、まだまだ始まったばかりである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。